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古本屋のワゴンにひっそりと置かれていたこの本の価値は?

古本屋の外に置かれているワゴンのなかで見つけたエマソンの日記。

え?エマソンの日記?

エマソン?エマソン?あのエマソン?

アメリカ・ルネッサンスを代表する思想家、ラルフ・ウォルドー・エ
マソン。

これまで日記は見たことがありませんでした。

値段はまさかの100円で即買い。

アマゾンでいくらなんだろうと気になって調べてみました。

なんと12990円(2019.3)と、高値がついていました。

なんだか得した気がします。

一気に豊かな気分になりました。

この本は、昭和35年3月15日発行されたようです。
定価が450円
これから10%になる消費税は、この頃はもちろんないです。
消費税が導入されたのは、意外と最近で1989年でしたね。
どんどん景気が悪くなるのが気になりますが、選挙が近いからか話がそれてしまいました。

外箱(函)がついていてしっかりとしたハードカバーです。
函がついていてハードカバーでしっかりと製本されているからこそ、半世紀以上たっても読めるんですね。

最近の本は半世紀も持つんでしょうかね。

本の終わりのページにはあとがきがあるのですが、この本は、訳者あとがきがあって、それとは別に一枚の折りたたんだ長い紙が入っていまして、そこに、編集者の言葉と推薦者の言葉が載ってました。

ということで、エマソンの日記から、心に残ったところを少し紹介しようと思います。

エマソンは「自己信頼」という書籍が有名です。
ポジティブシンキングの源流にもなったキリスト教の原罪にとらわれないニューソート(新思考)に入ります。

でも、以外だったのは、エマソンの人生は様々な悲劇がありました。
日記にもそれらのことは書かれていて、様々な悲しみを乗り越えて、世を照らす思想が生まれてきたのかと思うと心が揺さぶられます。

まず、最初の妻エレンとは、24歳に婚約します。

妻は17歳。

彼は「これ以上の幸福は危険なくらい」
と兄への結婚報告の手紙の中に書いています。

しかし、婚約後1ヶ月後、エレンは喀血します。

それでも1829年9月に二人は結婚し、二年後、1831年2月にエレンは亡くなりました。

その当時の日記はこちら。

1831年2月8日
エレン・タッカーエマソンは、2月8日火曜日の朝9時に逝く・・・・・。

**同年3月13日
エレンが昇天してから、見よう、知ろう、礼拝しよう、愛しよう、和解しようとして、五日も費した。・・・我らを再びむすび合わせ給え、おお、われらの精神の父よ。
去って再び帰らぬものがある。
自分は知っているが、この惨めな不感は次第に消えるだろう。
いつ消えるかと心配するくらいである。
古い務めは、もうよそよそしい顔はしないで現れるだろう。自分はふたたび平静な顔つきで友人たちの間に伍するだろう。ふたたび自分は楽しむようになるだろう。自分は再びささいな希望、些細な懸念に身を屈して、墓所を忘れるようになるだろう。

しかし、死者が自分のところへ戻ってくるであろうか?

火曜日に閉じた眼が再び外部自然の様相、朝の霧、宵の明星、花、それから全ての詩味、一人の魅力ある友の心情と生命に結びつけることができるようになるだろうか?

だめである。

ひとつの誕生、ひとつの洗礼、ひとつの初恋しかないのだ。愛着も人間と同じように、いつまでも青春を維持することはできないのだ・・・。
おお、人は思い出すことのすくなきにつれ、過ぎ去りしものとともに居らざるなり。**

これはエレンの死から五日後の日記です。

いまだ死を受け入れられない悲痛な叫びが、日記に書き記されています。

読んでいて切なくなりますね。

その後1835年9月、再婚します。

翌年10月に生まれた息子のウォルドーは、五年後には病気で亡くなります。

1842年1月28日
昨夜8時15分に愛児ウォルドー死す。

同年1月30日
金曜日の3時に眼を覚ましたら、どこの農家の庭のどの雄鶏も必要以上にけたたましい声で鳴いていた。
太陽は赫々と朝の空にのぼったが、辺りの風景はこの損失のため顔色がなかった。
自分は寝ても冷めてもよくこの子のことを思い出したものだが、暁の星も暮れ方の雲も、この子ゆえにうつくしいのだった・・・・・中略
かつて足音をさせて歩いた者は一人残らず戸外を歩いているのに、あの可愛らしい足はじっとして動かない。
彼は鳥のように頑是ない息をひきとった。

同年3月20日
この事実(ウォルドーの死)については、自分は苦しみ以外には何ひとつ理解しない。事実そのものからは何の説明も何の慰安も得られない。ただ心の転換があるだけだ。この事実を忘却して、新しい対象を追求するだけだ。

深い悲しみがじわじわと胸に染み込んできますね。

そして晩年、エマソンにとってショッキングなことが起きます。

それは自宅の火事です。

1872年の7月24日の朝、エマソンが眼を覚ますと、家が燃えていたというのです。幸い二階の一部だけだったので良かったのですが、老齢のエマソンは相当なショックを受けたようです。

その当時の日記はこのように記されて居ます。

1872年7月24日
家が焼けた。

この一行のみです。

晩年に家が焼ければそうなりますよね。

辛い出来事を、言葉にするのは、本当に大変なことですからね。

その後、静かな余生をおくり、1882年4月27日、肺炎をわずらい、亡くなりました。

人生の苦しみや悲しみのときに、なにを思って、なにを感じて、どのように乗り越えていったのか、人の実力が試されます。
同悲同苦という言葉がありますが、多くの悲しみを乗り越えたからこそ、多くの人に希望をもたせる思想を残せたのかなと思いました。


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