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「部屋☆結界」の作り方考察〜「結界」の誕生は2600年前の仏教だった!?

○「結界」という言葉は仏教用語だった

そうじ力的結界の作り方について考えを深めているマスダです。
前回も少しnoteに書きました。

結界について考え中

これから不定期でこのマガジンで連載していきます。

今日は結界の歴史について書きます。

「結界」という言葉はどこから来ているのでしょうか?
調べてみると、これは「仏教用語」だということがわかりました。

ちなみに日本語は仏教用語だらけなんですよね。

「愛」「挨拶」「根性」「覚悟」「油断」「安心」「愚痴」「金輪際」「玄関」「工夫」「出世」
まあ、あげるとキリがないくらい、どれも日常で使う言葉ばかりです。

仏教は、今から2600年前に、お釈迦様が作った宗教です。
キリスト教、イスラム教とならんで世界三大宗教のひとつですね。

そんなはるか昔の言葉を現代の日本人が日常会話で使っているって、
なんだか不思議な感じがします。

仏教の開祖はお釈迦様ですが、この「お釈迦様」にはいろんな呼び名があってちょっと混乱します。例えば、釈尊、仏様、ブッダなどです。
そして本名は、ゴーダマ(姓)・シッダールタ(名)です。
お釈迦様という呼び方は、シッダールタが生まれた一族の名前、釈迦族からきています。
父親は釈迦族の王様ゴーダマ・シュッドダナで、シッダールタは釈迦王族の王子として生まれました。

だから、お釈迦様という名の意味は、「釈迦族出身の聖者」という感じでしょうか。
釈尊(しゃくそん)も同じです。

仏様、仏陀(ブッダ)というのは、「目覚めたるもの」「悟りたるもの」という意味です。
悟りを開いたゴータマ・シッダールタのことを「仏陀」と呼んでいたんですね。

さて「結界」の語源を探る話に戻します。
「仏教」から生まれた「結界」についてです。

宗教的な、何かスピリチュアルな意味が込められているのではないかと興味がわいてきますね。

ところが、そうではなかったようなのです。

驚きです。

では説明していきましょう。

○お釈迦様に修行を求める女性信者

その昔、仏教教団が作られた初期の頃、男性にしかその修業の門戸は開かれていませんでした。

なぜなら女性が入ってくると男性の修行の妨げになるとされていたからです。

わからなくもない。
欲望を断って出家して修行に励んでいるのに、女性がいれば男性の欲望を掻き立ててしまって集中できないということですね。

しかし、お釈迦様の説法を聞いた多くの女性が、感銘を受け、ぜひ私たちにも修行をさせてくださいとお釈迦様に訴えたんですね。

はじめはお釈迦様はお断りしたのだそうです。
それでも女性たちは何度も訴え続けました。

「男性にだけ悟りの道が開かれ、私達にはそれは許されないのか」と。

『どんな人間にも悟る権利がある」ということで、お釈迦様は考えを改められて女性が釈迦教団に加わることを認めたそうです。

○女性に悟りへの修行が許され「結界」ができる?

ただこのご決断の裏にはこんなことばも残されています。

「女性が釈迦教団に入ってきたことで法が滅びるのが500年早くなった」

この言葉から、男女が一緒に修行することが非常に困難であるということがわかります。
女性が否定されているような感じもするけれど、逆に考えれば、それだけ男性が誘惑に弱いということでもありますね。

それでも、結果的には、女性を受け入れ比丘尼(びくに)集団ができました。

さあ、女性の修行者達が入ってきたことで、男性修行者達はざわめきます。
そもそも釈迦教団には、欲望を断って出家したわけだから、そばに女性がいると心揺れますね。

そこでお釈迦様は、男女の活動範囲を分けました。

此処から先は男女とも行き来してはならないという境界線を作ったのです。

互いに目に触れる機会自体を少なくしたのです。

その区切ったところを「結界」と言っていました。

そうです!

境界線のことを「結界」と言っていたのです。

今わたしたちがイメージしている「結界」とは違いますね。

○お釈迦様は弟子によって「結界」を作っていた?

ただ僕が思うに、男性修行者と女性修行者を分ける境界線を「結界」と呼んだというエピソードが後世に伝わってきてはいますが、お釈迦様はしっかりと結界による「聖なる空間」を作っていたのではと思います。

プロの宗教家の出家者と教団を支える在家信者に分けていることも、結界のひとつだと考えられるからです。在家信者の組織を外結界、出家修行者の組織を内結界にして、さらに、出家者には悟っている順にランクづけがされていて、有名な釈迦の10大弟子からベスト500の弟子、500羅漢などがいることから、悟りを開いた弟子の心の力で何重にも結界が張られていたことがわかります。

弟子によって「聖なる空間」を作ることができたから、お釈迦様は4万8千の法門(膨大な量の教え)を説くことができたと思うのです。

お釈迦様在世中は、弟子によって何重にも守られる状態を「結界」という言葉で表現しなかったのかもしれませんが、これがやがて数千年経ち、密教の曼荼羅というかたちで現されてきました。

仏教界ではかなり異端である「密教」で実は「結界」は明確になってくるのです。

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