いわゆるモテるということについて

 モテてもしかたない、いやモテるとかえって不幸を招くというのは、長年に渡って主張している持論である。

 というのも、間近で見てきた異性の肉親である父と弟はモテる方だったが、そのことが彼らの幸せに繋がっているようにはまったく思えなかったからである。

 私の弟は凄まじくモテた。弟が自分でどれだけモテるのか姉である私に直接話したことはないが、中学生のころは毎年バレンタインデーとなるとチョコレートでパンパンの紙袋を両手に提げて帰ってきて、私たち家族は消費するのが苦痛になるほどだったので、量的にモテてたと思う。

 父は私が物心ついたころはすでに“色男の残骸”だったので、モテているところを見たことはないが、女性からの手紙を幼い私が見つけて「お父さん、お返事書かんとあかんねえ、お母さん、お父さんに女の人からお手紙届いたよ」と言ったときの父の慌てた表情と母の険しい表情は忘れられない。

 父や弟の男性としてのスペックがいいかというと、ぜんぜんそんなことはない。モテる人は、もう何をしていてもモテるのである。背が低くてもぜんぜんオッケーでモテ、学歴なんか関係なくモテ、高収入でなくてもモテてヒモになれる。お腹が出ていても可愛いと言われてモテ、ハゲを隠さないのが潔いと言われてモテる。寝癖やくしゃくしゃのシャツさえかまってあげたいと思われてモテるのである。

 もう身体からモテる原因となる何かの物質が出ているとしか思えない。モテるということは人柄とかセンスとは別の何かが働いている現象なのである。モテることは自己肯定感を爆上げするようだけど、人間として素晴らしいからモテているのではない。カスみたいな奴もモテている。なのでモテるための努力というのは不毛である。

 しかし安心してほしい。前述のようにモテることが幸せに繋がるというわけではないからだ。少なくとも一夫一婦制の我が国では大勢の女性からチョコレートをもらっても結婚するのは(一度に)一人であり、肉親をそばで観測していた身としては、モテることが無用のトラブルを招いたり(具体的に記すのはやめます)、本命に必要以上に気を遣わなくてはならなくなったりするだけで、何のメリットもなかったように思う。

 それに、本命にモテる確率を上げるためにはあまねくモテるのがいいという考えも不幸を招く。たまたまモテる相手だったというのではなく、モテる人をパートナーに選びたがるタイプには地雷が多いからである。男性の場合はトロフィーワイフを求めるようなタイプ、女性の場合は皆が羨むブランド物のバッグなどを好むタイプである。パートナーをアイテムの一つとして選ぶような女性が、その後の人生で自分の身の回り品だけでなく夫の就職先や住まいや子供の学校などすべてを羨まれるもので揃えようとするのはよくある話で、あまり幸せそうには見えない。

 また、モテる男性を選ぶ女性の中には、羨まれる状態にいたいタイプの他に、あえて女性関係のトラブルで苦労したがる女性というのもいないことはない。カレシはこんなにモテるんだ、こんなにモテる人が私を選んでてうれしいという思考回路なのだが、なんだか病的なものを感じる。私ならそんなことより自分の仕事で評価されたい。モテる状態をシャットアウトして自分を大切にしてくれない人と付き合っていて、何が幸せなのか私にはわからない。

 そもそも“モテる”にもいろいろあって、後腐れなく一時的な寂しさを埋めるためとか、ちょっとふわふわした気持ちを楽しみたいとか、とりあえずの繋ぎとか、ともだちに自慢したいとかいう相手にモテまくっても虚しいだけである。それよりずっと一緒にいたい、人生を共にしたいとお互い思うたった一人にモテる方がいい。

 では、そういう相手にはどうしたら巡り会えるのか。肝心のそれがわからないんだよなあ。カミサマ教えてください。ハッピーバレンタイン!

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ありがとうございます。いつもつましい暮らしを送っていますが、くたびれたときは、ちょっといい喫茶店で休憩させてもらうことにします。

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何度も読み返したい素敵な文章の数々vol.10

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