膝カックンへの道

 してはいけないことが、してはいけないというその理由だけでしたくなることがあるが、してはいけないとまでいかないようなことでも、ちょっとこれはできないとわかった瞬間、したくてたまらなくなることがある。

 たとえば、公園で滑り台を滑ることとか。ブランコはまだ大丈夫だ。会社帰りに缶ビール片手にブランコに座るという図はドラマなんかにもふつうに出てきそうだ。全力で漕いでいたら人目を引くかもしれないけど、ちょっと漕ぐくらいなら全然オッケー。

 しかし、滑り台となると事情が異なる。会社帰りの大の大人が缶ビール片手に滑り台を滑ってご覧なさい。これはちょっと目立つ。目立ちすぎる。いや俺はできるぜと言う勇気あるおっさんも、滑り台の階段に一歩足をかけたところで躊躇して変なにやにや笑いをするしかなく、滑り台を滑るという何気ないことが、もう自分には永遠にできなくなっていることに気付くであろう。

 そう、あなたはもうたぶん一生滑り台を滑れないのだ。永遠に。法に触れるのでも何でもないのに。電車の中から見える、あの公園の、あの風雨に晒されてペンキの剥げた、なんてことのない滑り台も、あなたは決して滑ることができないのだっ!

 ――と、こんな風に考えると今日から滑り台を滑りたくてたまらなくなってくると思います。滑り台を滑るなんて、人生に於いてどうでもいいことなのに。

 私はこういう場合に備えて息子が小さいときにチャンスとばかり滑り倒した。二十年ぶりくらいに滑った滑り台は、記憶にあるよりずっと低く、横幅も狭く、一瞬で滑り下りる長さだった。今思うと、母親の私は必要以上にうれしそうだったかもしれない。しかしその結果、現在、電車の窓から滑り台を見て胸が締め付けられるということはないのである。

 というわけで滑り台に関しては大丈夫だが、今私が、してはいけないとまでいかないようなことだけど、したくてたまらないことは、膝カックンである。

 膝カックンというのは、相手の後ろに回って膝の裏に自分の膝をぴったり当て、自分の膝を曲げることで相手の膝をカックンと曲げて体勢を崩す遊びである。

 膝カックンができるチャンスはないことはないが、出先の喫茶店で席を立ったときとか、飲み屋に向かう道とかで膝カックンをするのは、どうもいけないような気がする。もう長いこと私は、人の三歩ほど後ろを歩いているとき、今膝カックンしたろか、いや、やはりできない……と逡巡しているのである。苦しい。

 いろいろ考えるに、外出先では膝カックンは避けた方がよいようだ。家の中しかない。家の中で、不自然ではなく人の後ろに立つ状況が好ましい。

 たとえば、玄関に向かう恋人を見送るため後ろを歩いているときなどが最適だろう。もうお互い若者ではないから、穏やかな、淡々とした付き合いである。若い女の子と遊びに行くのも私は笑顔で送り出す。楽しんできぃなと言いながら、しかしちょっとムカツクので、あんまり調子に乗るなよおっさんという思いを込めて、玄関先で膝カックンをするのである。

 してはいけないとまでいかないけど、ちょっとできない膝カックンができる。しかもシャイな私にとって、最高のコミュニケーションツールとして。これ以上最適な状況があるだろうか。膝カックン可能な場所、膝カックンされても怒らない気心の知れている相手、気を許した相手の後ろを歩くという立ち位置。残る条件はそういう恋人がいるかどうかだけである。

 膝カックンへの道は遠い。

ありがとうございます。