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本にまみれる

 ミニマルな暮らしがもてはやされる今日この頃だけど、好きなものに囲まれて暮らすのが幸せという人も多いことと思う。

 私は現在好きな本に囲まれて暮らしている、というか本に囲まれて眠っている。布団を敷くスペースはなんとか確保できているが、本棚に寄り添って眠っている。足元にはスライド式の本棚があり、その上には和本――和綴じの江戸時代の本――を入れたブリキの缶が乗っている。

 地震が来たら私は倒れた本棚の下敷きになるだろう。その前に吹っ飛んできたブリキ缶にやられるかもしれない。本が凶器になって死ぬ。これは研究者の本望であり、一種の殉死である。研究室でよくそんな冗談を言って笑ったものだ。私たちは若かった。数年後に阪神淡路大震災が起きるなんていうことも思いもしなかった。本が凶器になる恐ろしさも実感できなかった。

 ここに引っ越してくる前は、古いけれど広い部屋に住んでいたので本を置かない和室で眠っていた。築50年近いそのマンションの取り壊しが決まり、引っ越してきたのが今の本まみれの部屋だ。 

 部屋中にうずたかく積み上がった段ボール箱、中身はほとんどが本なのだが、その前で半笑いのまま立ち尽くす私に、引っ越しのお兄さんは「とにかく壁際の本棚に入るだけ本を入れて通路を作ってください。その後はテトリスみたいに荷物を収めていくんです」と教えてくれた。私はその教えに従って、まずベランダまでの通路を確保した。洗濯物を干すためでもある。

 立ち退き期限まで3週間あったので、それからは旧居で眠った。旧居から仕事に出かけ、晩に新居で荷物のテトリスをし、終電までに旧居に戻る。7月で、記録的な猛暑だった。管理人さんが私に気付いて、他の住民が置いていった冷蔵庫を運び込んでくれた。

 ある晩、私と同じように引っ越し後も戻ってきている住人に会った。私はまずベランダまでの獣道を作ったが、その人は寝る場所を確保したそうだ。ベランダまで出られないので洗濯が干せない、引っ越してから洗濯をしていないのでそろそろ限界だと、憂いの表情を浮かべていた。次に会ったときその人はお菓子とジュースを差し入れしてくれた。私たちは人気のないマンション内をぐるぐる探検し、ベランダから夜景を眺め、愛するKマンションに缶ジュースで乾杯した。

 仕事を終えてから毎日気力を振り絞って“テトリス”に励んだ甲斐あって、立ち退き期限までになんとか布団を敷くスペースを作ることができた。床を拭きながら、ふと(私って可哀想やよな?)と思ったら、それまで泣いたことなどなかったのに、ぶわっと涙が出てきて、私はかがんだまま子供みたいに泣いた。涙がぼたぼた床に落ちた。

 立ち退きが決まった私を慰めてくれる人の中には、経験者も何人かいた。ここよりもっと設備のいいとこがいいよ、引っ越し代を出してもらえてラッキー、などと言われた。そう言われたときは素直な気持ちで聞いていたけど、泣いているとだんだん腹が立ってきた。Kマンションがどんなとこだったか、どんなに住民に愛されてたか知らないくせに。自分も立ち退き経験したっていってもいざとなったら実家があるくせに。私にはもう実家がない。一緒に住もうと言ってくれる伴侶もいない。この世界のどこにも帰るところがないのに、住まいを追い出される、この気持ちがわかる?

 一度泣いてすっきりしたのか、いまは前向きな気持ちでもう一度引っ越しをし直すことを考えている。しかし、いくらなんでもこの物件は狭すぎるとなぜ気付かなかったのか、返す返すも情けない。物件を探していた時期は、対処しなければならないことをいくつか抱えていて実家と住まいを行き来していた。週に最大14コマ授業があった(同業者でないとわかってもらえないけど)。今思い出してもどうやってこなしていたのかわからない。自分の物件探しに割く脳味噌のリソースがほとんどなかったのだろう。

 情けないけど、その状況での失敗がこの程度で済んでよかったと思うようにする。いまは愚かにも憧れたことさえある本にまみれる暮らしがどういうものかを、いくら好きなものとはいえここまで囲まれると精神的にも辛いということを、身を以て体験しているのである。

ありがとうございます。