宛先不明

 郵便物が盗まれていたことがある。そのころ住んでいたマンションは、郵便受けのあるコーナーのすぐそばが管理人さんの部屋になっていた。人目があるので怪しいチラシなどが投げ込まれることもなかったし、誰も郵便物がなくなるなどということは考えもしなかったのだろう、郵便受けには鍵が付いていなかった。

 私宛ての郵便物がいつからなくなっていたのか正確にはわからない。届くはずの郵便物が届いていないことが続いて気付いたけど、それ以前からなくなっていたのかもしれない。犯人は鈍感な私に自分の存在をアピールしようとしたのか、開封して中身のない封筒だけ届いたこともあった。このときは郵便局に調査を依頼したけれど、原因はわからなかった。管理人さんにも報告してポストに鍵を付けた。

 私に手紙をくださって、返事がないなあと思っている人がいたかもしれないと思うととても悲しい。思い出すと今でも腹が立って、薄気味悪い。と同時に、この経験から私は、手紙は絶対に届いているとは限らないと思うようになった。

 郵便というのは考えてみると驚異の信頼関係の上に成り立っているシステムである。私たちは小銭で買った切手をぺたっと貼っただけで、相手に確実に届くと信じ込んでいる。ポストから集めるのは人間であり、仕分けるのには機械が導入されているが最終的には人の手も要るだろう。それをコンテナか何かで遠い町に運んでいるのも人間であり、それぞれの家のポストに入れるのも人間である。

 途中でズルをする人やサボる人、悪意を持った人が一人でもいると郵便物は受取人に届かない。たまに年賀状が配達されずに河原に捨てられていたなどという事件があると再確認するけど、あれはみんながちゃんと仕事をしているという信頼が前提のシステムなのだ。

 デジタルの手紙が主流になった今、たまに紙の郵便物を出すと、ちゃんと届くかどうか不安になる。郵便物が盗まれるなんてことは滅多にないにしても、宛先不明で届かないことはよくあるだろう。メールの場合、宛先のアドレスが変わっていたりして届けられなければ、その場で戻ってくる。一瞬のことである。しかし、紙の郵便物の場合は、数日後に宛先不明で手許に送り返されてきて初めて、届かなかったことがわかる。そして郵便物が届けられなくて送り返されてくるのは差出人の住所をきっちり書いている場合に限るのだ。

 以前郵便局で年賀状の仕分けのアルバイトをしていたときに、宛先不明の年賀状の箱があった。私はそのうちの何枚か、筆で書かれた崩し字の宛名などを“解読”したが、子供の字で読めないものも多かった。

 その中に一枚、小学生の男の子らしい、汚い字の年賀状があった。私たちが見るのは宛名だけなのだけど、このときは住所のヒントを探し字の癖を見るために裏面を見た。すると、憎からず思っている女の子に宛てたものだろうか、憎まれ口と、変なイラストが並んでいる。私が手にとって見入っていると、職員さんが「ああそれ、差出人の住所もないから戻せないんですよ」と苦笑した。

 宛先不明で戻ってこないと、この男の子は年賀状が女の子に届いたと思っているに違いない。そしてどうして返事が来ないのだろうと、平気なふりをしながら内心悲しくなっているかもしれない。冬休みが終わってクラスで女の子に再会したとき、この男の子はどんな態度を取るのだろう。もしかすると女の子の方だって、この男の子から年賀状が来ないなと、がっかりしているかもしれない。――そういう切ない宛先不明の年賀状が、こんなにたくさんあるなんて!

 宛先不明で尚且つ差出人不明の郵便物は、一体どういう運命を辿るのか。あの箱の中の郵便物が最終的にどうなるのか、アルバイトの私にはわからなかったけれど、思い出すと今でも胸のあたりがきゅっとなる。手紙というものは100%相手に届いているとは限らない。それを100%に近づけるために、せめて宛先は読みやすく、差出人の住所も忘れずに、ああ私は郵便局の人でもなんでもないんだけど、あの切ない箱を見たからには、頼まずにおれないのだ、ちゃんと書くようお願いします。


ありがとうございます。