儚きもの、洋服。

 子供のころ、洋服はだいたい仕立ててもらったのを着ていた。というとなんだかお嬢様みたいだが、伯母が洋裁の仕事をしていたのである。

 洋服を仕立てるのは時間がかかり、子供の私にはとても退屈なことだった。まず、どんなものをどんな生地で作るのかを相談しに行かなければならない。すべての決定権は母にあり、私の意見は聞き入れられない。私がすることといえばサイズを決めるときにおとなしくしていることだけである。キューピーみたいに両手をやや広げて胸回りや胴回りを測ってもらうのはくすぐったい。肩から手首までメジャーが滑るのはちょっと冷たい。さっさと測って解放してくれればいいのに、母にとっては私に洋服を誂えに出かけるというのは姉とおしゃべりする絶好の機会だったらしく、洋服と関係ない話が延々続くのである。

 洋服を受け取るまでにはあと二回出かけなければならない。仮縫いが済んで、微調節をするときと、そのあと、やっとできあがった洋服を受け取りに行くときである。私はそのつど母に連れられて、母と伯母が今晩のおかずを何にするかを生死に関わる重大問題のように延々と話すのを聞きながら、時間をつぶすのであった。

 母が注文する洋服は、重宝することは重宝した。マントは帽子に合わせてよく着た。短めの丈や手を出す穴が開いているのが活動的な子供にはぴったりだった。朱色が交じったツイードのジャケットも、少し改まった場所に出かけるのに大げさすぎなくてよかった。でもどれもこれも、実用的ではあったけど子供の私が大喜びするというものではなかった。私の意見は一切聞かずに作るのも不満だった。

 それが一度だけ、どういうわけか伯母が私のリクエスト通りの洋服を作ってくれたことがある。

「どんな服着たいんか言うてみ? のりちゃんの言う通りに作ったるよってに」

私は半信半疑で、ふわふわのお姫様みたいな布で作って、ピンクで、提灯袖で、大きいリボンが付いててひらひらしてるのん、と注文した。

 伯母は小学生の注文通り、ベビーピンクのオーガンジーで、提灯袖のワンピースを作ってくれた。ウエストの切り替えで大きなリボンが付いていて、これは後ろで蝶々結びするようになっていた。丸い襟を付けてほしいと言ったのが却下されて衿なしだったのだけが注文と違っていたけれど、首回りのデザインをあっさりしたものにしたのは絶妙なバランスだったと今は思う。

 このワンピースは私の宝物になった。自分にぴったりのサイズで着心地がいいのはもちろんのこと、お気に入りの洋服を着る高揚感というものを初めて味わった。着るものが人の気分にどんなに大きな影響を与えるかも初めて知った。

 しかしこのワンピースは同時に洋服の儚さを私に教えてくれた。あっという間に小さくなって着られなくなったのである。それでもしばらくは取っておいたのを、母が勝手に従姉妹にあげてしまった。母は、従姉妹にも小さくなったら返してもらうから、と怒り狂う私を言いくるめたが返ってこなかった。たぶん捨てられたのだろうと思うと、今でも胸のあたりがきゅうっと苦しい。そしてこの苦しさを、自分で洋服を買うようになってから何度も味わうことになるとは思いもしなかった。

 私はあれからお気に入りの洋服をたくさん捨ててきた。大きな衿のふわふわのアンゴラジャケット、凝ったストライプの裏地のスーツ、フランスのアンティークレースがあしらわれた白いワンピース……。人の形に合わせた洋服は、体型はそう変わっていないつもりでも何年も経つと微妙に似合わなくなってくる。どんなにベーシックなものでもシルエットに流行がある。リフォームしたこともあったけど、考え抜かれたパターンで作られた完成品を素人がリフォームしてもいいものはできないことを思い知らされるだけだった。

 洋服に一生物はない。だけど儚いからこそ私たちは洋服にときめくのだろう。お気に入りの洋服は、そのときどきの自分自身の気分や、どんな自分でありたいかという憧れを表しているのである。

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ありがとうございます。いつもつましい暮らしを送っていますが、くたびれたときは、ちょっといい喫茶店で休憩させてもらうことにします。

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