着物にブーツ

 着物にブーツを履いていたら注意された。

 最初は注意されたとは気づかなかったので、純粋になぜ履いているのかという理由を尋ねられたのかと思った。

「寒いからです」

と答えると、再度尋ねられたので、

「坂本龍馬がブーツ履いてから150年経ってますし」

と言いながら、鈍感な私もようやく履いてくるなと言われているのだと気づいた。

 その会では私は新参者である。鈍感な私も私なりに気を遣っているつもりである。実のところ、ブーツ履いていってもええんかな、と一瞬思った。

 しかしその会は、モダンで、出版当時世間を騒がせた過激な一面を持つ作品を読むような会である。そういう作品を愛する自由な精神の持ち主の方が集まっている会である。着物にブーツを合わせる程度のことを躊躇したのが恥ずかしいと思い直し、もともと丈の短い母のお古の長着を、ふつうにお端折りとって短く着付け、ブーツを履いて出かけたのであった。

 ふだんから着物を着ていること自体、なぜなのかとよく尋ねられる。理由はいくつかあるが、一番の理由は貧乏だからである。そもそも私は洋服が大好きなのだが、今の収入ではデザイン、生地、パターン、縫製すべて満足できる洋服を着るのは経済的に苦しい。着物なら手持ちのものやお古の中で気に入ったものも多いから、それを着潰そうと思ったのだった。さいわい私の行動範囲は着物を着ていても許されそうなところばかりだし。

 そういうわけで私は実は洋服には厳しい。実家は糸編の商売をしていた。生地を目にした時点でその生地そのものの質や染めなど、たぶんふつうの人よりはわかる。子供のころはよく洋服を誂えてもらっていたので、仕立てのパターンの出来や、縫製の良し悪しについても、いろいろと思うところがある。ちなみに男性は体型に合っていないスーツを着ている人がめちゃくちゃ多い、というかほとんどなので、完璧に合っていてしかもお洒落なシャツとスーツの方によくお目にかかっていたときは、我慢できずにどこで仕立てているのか聞いてしまった。

 それはまあ例外中の例外で、ふつうはその人自身を見ているので、着ているものに関する観察のスイッチはオフになっている。褒めるとき以外は、人の着ているものの生地や仕立てについて口にしたりしない。

 それは誰だってそうだと思う。似合っていると思ってスーツを着ている人に、気づいたからといって「吊し(既製服)は着てほしぃないわー。ここ、変な皺が出てるやん。生地の打ち込みも節約してあるなあ」と言う人はいるだろうか。いやいない。けれど、着物の場合はなぜか言う人がいるのである。「プレタ? 身体に合うてないねえ。ちょっとこの辺ぶかぶかしてない? え、正絹違うの? ポリエステル?」

 洋服だとかなり変なものを着ていても何も言われないのに、着物になると突然マナーにうるさくなるのはどういうことなのだろう。しかもそのマナーというのがせいぜい戦後にできたものだ。こういう風潮が和装を廃れさせたのだと思う。

 私も大人なのでその場に合わないものを敢えて着ていくことはしない。白い半襟に白い足袋で草履の時もある。洋服の方がふさわしいと思ったら洋服で出かける。着物にこだわっているわけではない。

 仕事でも、趣味の場でも、幸せなことに私が今までいた場所はどこもとても自由だった。年齢や社会的な地位の上下を持ち込んで偉そうにする人は、ほとんどいなかった。古参も新入りを排除することなく、対等に扱ってくれた。そういう世界で育ててもらった私は、人の道に外れること、道徳的倫理的に間違っていることでなければ何より自由を大切なこととして生きてきた。

 21世紀になって20年近くなるのに、平成も終わろうというのに、洋服の人がセーターを着ている場所で着物にブーツを履けないなんて。これは自由のリトマス紙だと思う。「やめてほしい」とはっきり言われてしまったが、着物にブーツを履いてくるのをやめてほしいというのがその人だけでなく会の総意なら、私はブーツではなく会をやめるつもりだ。

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ありがとうございます。いつもつましい暮らしを送っていますが、くたびれたときは、ちょっといい喫茶店で休憩させてもらうことにします。

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