カミングアウトのパターン

皆様、何かをカミングアウトするときどんな風にカミングアウトしますか?私はカミングアウトをする相手によって変わってくるのですが、私の場合数パターンに分かれます。今回はそのお話です。

1.自己紹介として

このnoteの自己紹介でも私が双極性障害持ちである事と性別違和を持つLGBT当事者であることを書いています。このnoteで書こうと思っている記事が精神疾患とLGBTについてなので、そこをあらかじめ話しておかなくてはならないと思い、自己紹介にその二点を入れています。また、ツィッターなどでそれらの話題をいいねしたりリツイートする機会が多いため、ツィッターのアカウントでも二つのカミングアウトをしています。

また、服がメンズなので、「なんでメンズ着ているの?」とか突っ込みを受けた時などにこういう事情があってね。とカミングアウトしたり(最近はそれすらしないですが)、頓服など服薬しているのを見られて精神疾患をカミングアウトしたりもあります。

この場合、私にそういう属性があるという事実だけをさらっと知っておいてくれればいいので私を現すキーワードの一つとして精神疾患や性別違和について書いたり話したりしています。言うなれば血液型が何型かとか、星座は何座かと同じようなレベルです。こちらがさらっと話している分、私の自己紹介を見る人たちにも「へぇー。そうなんだ。」と事実がその程度相手に伝わればいいと思っています。カミングアウトしたといっても相手に細かい知識や対処とかは求めていません。

2.公的な場合

今は、自分のメンタルは男性でありたいけどそうもあれず、女性である事も難しい中途半端な状態で、服はメンズを着ているけれど社会的には女性であるということを私自身受け入れられていますが、私にはそれが受け入れられない時期がありました。

そんな時期、家族の知り合いに会う時(姉の旦那になる人に初めて会った時とか)や新たに公的な機関(就労支援とか)にお世話になる時「妹です。」とか「女性です。」というのが辛かったものです。(今は平気です。心の中で色々決着ついているので)そんな時「メンタル完全に女性じゃないですが妹です」とか「体は女性ですが内心ははるな愛さんの逆バージョンです。」と”公的(社会的)にどうありたいか”を自分の”女である”という属性に付け加えたものです。当時は社会的に男性でありたいという気持ちが強かったのです。この時期に出会っている人には「女でありたくない事」を前面に出して人間関係を保っていました。

また、FTM(女性から男性へ性別移行しようとしている人)の友達といるときも「公的(社会的)に男性であること」を前面に出します。
FTMの友達といるときは今でも「トイレ行ってくるー」と女子トイレに直行するのは見られたくありません。友達達は「外科的治療はしていないけどますいけは俺たちと同じ男」と私を思っているでしょう。それを見て女子トイレは行きにくいし「社会的には女です。」とは言いにくい。彼らといるときは「社会的な男性」でありたいと願い、友達と肩を並べたいと思い、そういう振る舞いを心がけます。

この場合はいずれも私が「女性であることを受け入れていない」こと「公的(社会的)に男性でありたい人間であること」が通じればいいのです。だから、私が本来何者(私の社会的性別、肉体的性別が何であっても)であろうと「女性である事を受け入れていない」、「男性でありたいと願っている」ことが相手に通じていればそれはそれでよいのです。

精神疾患に関してはだいぶ早いうちに受け入れています。一生ものだな。という覚悟も早い段階でありました。「精神疾患であることを受け入れられない時期」というのが通院を始める直前一週間位しかなかったし通院して服薬を開始したころには「病名なんだっていい!薬飲んで楽になるなら精神科も内科も同じだ!」と思いました。だから話の流れで必要ならすぐに「双極性障害です。」とか「精神科通院してます。」と話しています(主に就労支援とか)。症状や現在置かれている状況、病気の内容についても話しますが、それは相手が専門的な知識を持った人や同病者の場合だけです。一般の人にはそこまで細かくは話しません。職場でも面接で聞かれたことの内容と、あとたまに寝れていない時など「体調不良」とは言いますが、症状について躁状態とかうつ状態とか副作用がとか細かくは話さないです。
精神疾患について世間一般に話しても分かってもらえない事が多いのは事実ですし、何なら性別の問題より「分かってもらえない」と強く実感しているかもしれません。ごく一般の世間の人には「精神科通ってる」この一言で向こうが勝手にそれが偏見であっても勝手に想像してくれる。と感じているからかと思います。

3.本当に知っていてほしい

家族や、ごく一部の友人がこれに当たります。精神科入院中できた友人は、病気のことを知っているのは当たり前として、そうでなく中、高、大、就職してからの友人達で私の精神疾患もしくは性別に関しての考え方を深く知っている人はごくわずかです。私が、その人に対して「もう、一人でこの気持ち(事実)を抱えていられない。この気持ちの(事実の)片棒担いで!!」と思った人にこちらからこの話題を持ち出して私の心の奥深い所まで話しています。

中には例外としてすっごく仲がいいのに逆に何も話してない人もいます。それはそれでそういう付き合い方が楽しい友達なのです。そういう悩みを忘れた付き合いがしたい。それが楽しい。そういう相手でもあります。カミングアウトされていないから大事な友達じゃないというわけでもないのです。あえてカミングアウトしない関係という形ででつながっている友達もいるのです。

私ももう四十路間近で友人たちも家庭や子育て、仕事に忙しい日々を送っている人が多いです。そんな友達にわざわざ精神疾患の話や性別違和の話をしたりはしません。現在の人生のステージでもっと話して楽しいことはあるし、話したいこともある。過去にこれらの問題について半べそかいて話をしたことはあっても、現在その話題ばかり持ち出すことはありません。私を構成する一部として、知っておいてくれて、私がどうにもこうにもその問題でしんどくてしょうがない時に吐き出させてくれたらな。という感じです。今は「その問題は私の一部。私のすべてじゃない。」と一段上から問題を眺めることができるようになりました。だから、知っていてくれて、どうにもこうにもならなくなった時に話を聞いてくれるだけでいい。知っていて受け入れてくれるだけでありがたい。その悩みを話したけれど私は以前の私と変わりはないよ。今まで通り仲良くしてね。そう思えるようになったのかと思います。

本当に知っておいてほしくて若いころ半べそかいてカミングアウトした相手には全幅の信頼を置いています。あふれてくる辛い感情をダダ流しにして感情のままカミングアウトしたので。そういう感情垂れ流しの状態を見せられるというだけでも本当に信頼していないとできない事です。これは、精神疾患、性別違和両方に関して言えることです。

4.カミングアウトするにあたって

カミングアウトをすると、された側は「え?!何言ってんの?!」とびっくりするか、「やっと言ってくれたね。気づいていたよ。」となるかが大きな分かれ目かと思います。カミングアウトしたい!!と思う側からすれば相手の反応など予想できない状況かもしれません。どんな反応が返ってきたとしても、その反応を生み出したのはあなたのカミングアウトなのです。いいっぱなしでいいとは言えません。言ってスッキリして、相手の動揺を顧みないとうのも無しでしょう。相手からしたらカミングアウトされた内容について知りたいこと、話し合っておきたい事もいくつか出てくるかと思います。カミングアウトされた側の感情も無視しない方がその後その人とは良い付き合いができるかと思います。

例を挙げれば、性別違和を持つ私が友達にカミングアウトた時「やだー、私のこと好きにならないでよ。私の彼氏も好きにならないで。」と言われたことがあります。でも、この場合、彼女は「性自認と恋愛対象は別だ」「私にだって好みがある」という事実を知らないだけなのです。性別違和を抱えていても、男性、女性共に好みのタイプがいるから安心しろ、誰かの恋人を誰彼構わず奪うようなことはしない。と彼女の不安を取り除き安心してもらう所まで相手に向き合いました。そうやってちゃんと面と向かって向き合おうと思える相手にこそカミングアウトしたいものですから。



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