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2-2 書き方、読ませ方

読者は誰ですか?

 文章読本などの「書き方」の本は多数ありまして、名だたる文豪、研究者からいっぱい出ていますので、書き方についてはぜひそうしたものを参考にしていただきたいですね。
 電子書籍も本なのだと考えると、書き方はとても大切です。わかりやすく、個性的で、おもしろい書き方を工夫していくのは、書き手としては楽しい作業になりますので、ぜひ試行錯誤をしてみてください。
 ですが、あえて、編集者視点から申し上げると、「読ませ方」をまず先に考えてみてはいかがでしょうか。
「誰が読者なんですか?」ということです。
 電子書籍をセルフパブリッシングするとき、はっきり言えば、「好きなように書いていい」。だれもチェックする人はいません。アマゾンなどストア側のチェックはありますし、公序良俗に反するものなど社会的なチェックは逃れられませんけれども、憲法で表現の自由がうたわれているので勝手な検閲は許されません。もちろん表現の自由は濫用してもいけません、念のため。
 どんな書き方をしてもいいのです。たとえば、難しい物理学を、七五調で韻を踏むように書いてもかまいません。ラップみたいに読めますね! バカバカしくもありますけど、自由なので。ダジャレで読む六法全書、とかね。まあ、編集会議の議題にするのもはばかれますが、セルフパブリッシングなら思うがままです。
 そうやって自由に楽しみながら書いた電子書籍を、これから販売していくわけです。あなた自身が売り込み(プロモーション)もしなければならないし、読者からのレビューにも対応しなければなりません。
 そのときになっておそらく気づくのですが、「自分の書き方は、あれでよかったのだろうか」と。売れるためには、読者に受け入れられる書き方をしなければならないのですが、それは突き詰めると「読ませ方」なのです。
 こう読んでほしい、というものを先に考えておかないと、間違った書き方をしてしまい、望んでいない評価を受けやすくなるのです。これは、悩ましい問題です。自分の意図しないところでウケたり、妙な反発や批判を受ける。ネット社会では頻繁に起きています。不用意な発言、曲解する読み手、それを増幅する人たち……。その中で、たとえ自分の方が正しいとしても、その正当性を訴えていくためには多大な労力が必要になります。
 もっとも、読む自由もありますから、流通させてしまえば著者は読者を選ぶことができません。未知の読者によって、予想もしない読まれ方をするのが楽しみの一つでもあるので、あんまり杓子定規に「読み方」を規定してもつまらないことになります。
 それでも、一応、「こういう読者にこう読んでもらおう」と思うかどうかは、書き方に大きく影響を与えます。それは、たいがいはいい影響なので、試してほしいと思うのです。
 もし、みなさんが、学校で先生から「好きに書いていいんよ、自分の思った通り、書きたいように書きなさい」と指導されていたとしたら、その考えはいますぐ捨てましょう。完全に捨てる必要はないですが、せめてデスクトップではなく、どこかのフォルダに入れておきましょう。
「自分が好きなように書いたもの」を閲覧して評価してもらえる範囲はとても狭く、近親者でさえも認めてくれない可能性があります。自分に対する自分のための本なら、それでもいいのですが、「売れる」を前提にすれば不特定多数を相手に書くわけですから、「書きたいように書く」はちょっとだけ、読者寄りにしていただきたいのです。
 好きなことを好きなように書いている、と思えるプロの書き手の作品でさえも、編集者の目を通して評価されたのちに世に出ています。また、ある一定の評価を得た書き手の場合は、あえて批判されるような書き方にも挑戦することもあるので、そうしたものを真似してはマズイのです。

どんな風に読まれたいか?

 みなさんは、自分のつくった電子書籍を、どんな人に、どんな風に読まれたいですか?
 編集者は著者と「読者は誰か」をよく議論します。「先生、これではその読者にはわかりませんよ」とか「ターゲットの読者層には伝わらないのでは」といった議論です。女性向けの本と男性向けの本があります。よく「生理的にダメ」とか言う批判がありますけども、性別によるリテラシーの差はやっぱり世の中にはあるので、「男性向けならいいけど、これは女性にはちょっとなあ」とか、その反対の場合もあります。
 いま、私はこうして書いていても、「男性向け」の例だけになっていないかとか、性別を差別するような表現になっていないか、考えたりします。プロとして本をつくってきた人間は、常にそうしたことを気にするのです。それを突き詰めると「どう読まれたいか」を考えることになります。
 ちなみに、いまこの本は、私の中に存在しているある人のために書いています。具体的には二人います。一人は男性で学校は卒業していて、社会人です。ある専門的な分野で長くやってきた人。ただし本は書いたことがありません。これから「やってみようかな」と思っています。
 もう一人は女性です。学歴はわかりませんが社会人で、日頃からなにかを書くのは好きな方。ブログを週に二回ぐらいは更新し、自己啓発のセミナーなどにも参加しながら「いつか自分の本を出したい」と思っています。
 前者の男性は、専門書以外はあまり本を読んでいません。後者の女性は、小説、エッセー、週刊誌、月刊誌など読み物は好きで、専門書といった難しい本は好きではありません(だから本を読むよりセミナーが好きなのですが)。
 このような想定読者は、プロの場合は、潜在的に頭の中にいますし、つくる本に合わせて、ある程度は変えていくことができます。
 でも、はじめて書こうという人にとっては、実はまったく想像がつかないものです。その結果、「自分に向けて書く」ことになりがちです。
 自分向けに書くことは悪いことではないので、誤解していただきたくないのですが、書きはじめるときには私だって「自分のために」というのが、書きやすいときもあります。とにかく書かないと本にならない場合、書ける方法で書いてかまいません。その点では、さっき隠した「好きなように書く」はアリなのです。
 そうやって書いたものを、いきなり出版するよりも、「読ませ方」を考えて読み直し、想定した読者に伝わるように書き直すことが、「売れる」ための第一歩になります。
 これを一度経験すれば、次は「読ませ方」から、考えられるようになるでしょう。

見せ方→読ませ方→書き方

 私は、「売れる」ためには、「見せ方」が大事だと思っています。見せ方が、読ませ方を決め、読ませ方が決まったら、はじめて書き方が決まってくる、という考え方もできると思っています。結果(書き方)から、「どう読んでもらおう」と考えて、さらに売るための「見せ方」まで考えるのが王道かもしれませんが、低予算、全部自分でやるセルフパブリッシングの場合は、この王道をやり切れない可能性があるからです。だったら、自分なりの「見せ方」から入って、逆算していけば、実現性の高いプランが立てられるでしょうし、やり切れば「売れる」ことになるはずです。
 冒頭で触れたように、電子書籍はネットで販売されるので、本そのものだけではなく、著者自身やその周辺までも含めた情報で売っていくことになります。トータルで「どう見せるか」を考えて、それに合わせた読者を想定し、「読ませ方」を考える。それに合った書き方を選択するわけです。
 このやり方の欠点は、見せ方、読ませ方が完璧に考えられたのに、一行も書けない、という事態が発生しやすいことです。
「企画倒れ」というやつです。外側から固めていくと、案外、完璧なようで中身をつくるのに苦労するものです。
 また、私もそうですが、書き方を何通りも持っている人は少なく、「自分のカタ」があるので、最後には開き直って「だって、書いたの、おれだもん」みたいになっていくのが見えてしまうわけです。「ムリだ、女性向けなんてムリだ」と。「中高生向けは書けない」とか……。
 ここで言う「書き方」とは、文体まで変えろと言っているわけではなくて、もっと基礎的な部分の話です。「敬体(ですます)」か、「常体(だである)」かとか、改行多めか、少なめか。見出し多めか少なめか。漢字はどこまで難しい漢字を使うか。英語など外国語はどの程度、入れられるか。さらに、たとえ話を入れるとき、それはアニメなのか、ドラマなのか、映画なのか、古典文学なのか、歌舞伎なのか。
 このような選択できる部分について、どの程度「読者」を意識できるか、ということを申し上げているのです。
 そこで、よくやる方法。見せ方や読ませ方を考えたあとは、いったん、忘れます。そして「それはそうだけど、とにかく自分のために書いておこう」と、書けるところから書きます。
 それがある程度のボリュームになったら、以前に考えた「読ませ方」を思い出し、それに沿って修正をします。小説などの場合は、もっと私的に書いてもいいので、書いたあと「寝かせておく」というのが効果的です。ビジネス関係の本、ハウツー本などでも、書いたあと、しばらくしてから読み直すと、より内容が充実しますし、「読ませ方」を意識した修正ができるようになります。
 イメージとしては、本を書くには密室が必要なので箱の中に籠もって書きます。ですが、それを不特定多数の人に読んでもらうためには、箱の外に出て、書いたものを箱の外から見直していく作業が必要なのです。
 プロの作家は、これをテクニカルにやる人もいれば、脳内で自然にやれる人もいます。自分に対してもっとも否定的なのは、もう一人の自分なので、下手な批評にガマンができない(つまり「そんなことはわかっている」)と思うのも、内に籠もりつつ、外からも見ることができるからでしょう。
 一般的には、この「外から見るもう一人の自分」をつくる作業をしてこない人が多いでしょうから、私としては、いまからそういう訓練をするよりも、「とにかく書く」のあとに、寝かせてから、想定した読者になったつもりで読み返すのがいい方法をオススメします。
 出版社では編集者がその機能も果たしていることがあります。身近な人で、読んでくれる人、想定読者がいるなら読んでもらうのもいいでしょう。
 このとき、とくに重視したいのは「わかるかどうか」「読めるかどうか」です。内容の批判などはいりません。「おもしろい、おもしろくない」という判断はまったく意味がありません。相手がそれを言ったとしても、無視してかまいません。
 編集者が「先生、これはおもしろいですね」というのは、「おおむね、こちらの意図した通り」という程度の意味のことが多いですね。たいがい「おもしろい。でも、このところは……」とダメ出しが続くことが多いでしょう。
 ですから、みなさんが誰かに読んでもらっても、「おもしろい、おもしろくない」は聞き流し、「内容はわかった?」とか「スムーズに読めた?」という部分を確認していきましょう。
「ここが難しかった」とか「このあたりの意味がわからない」といったことは、改善したほうがいいでしょう。
 最初に、「とにかく書く」ために、自分向けに書いているため、ほかの人には伝わらない、言葉が足りない、言葉が正確ではない、といったことが起こりがちなのです。

見せ方=テイスト

 これは次号以降でプロモーションや売り方のところで触れていくテーマです。いまはそこまで考えると、書けなくなる可能性もありますから、ひとまず、書くことに専念していただきたいですが、見せ方を簡単に言えば、テイストです。ファッションでも、さまざまなテイストがありまして、その組み合わせに失敗すると気持ちが悪いファッションになるわけです。または雑な印象を与えてしまいます。
 みなさんの書いたものが、みなさんのテイストとイコールであれば、受け入れやすいでしょう。もし、いまの自分と違うテイストの本を書きたいなら、ペンネームを使うなどして、意思表示をしたほうがいいかもしれません。読む側はみなさんを知っていれば知っているほど、そのイメージで本を読みます。ペンネームをつければそこを切り替えてもらえるでしょう。
 プロモーションで使うSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)などでの発言のテイストと、本のテイストがあまりにかけ離れていると、なかなか伝わりません。著者はよくわかっているので「これはこれ、あれはあれ」とやれますが、他人はそこまでみなさんのことを知らないので、もっとシンプルに理解しています。職業や風貌や日常の発言のテイストから、本の中身、語り口までも、ふんわりとイメージしているわけです。
 あまりにも違うと、包装紙と中身のギャップに驚いてしまい、そのギャップを意図的に計算したとき以外は、読者の満足度を下げてしまうわけです。「がっかり」とまではいかなくても、「なんか、思ったのと違う」的な印象になります。わざわざそのような損な選択はしなくてもいいでしょう。

読ませ方=スタンス

 読ませ方を簡単にいえば、著者のスタンスです。立ち位置。著者と読者のコミュニケーションを媒介するのが本のひとつの役割でもあるので、著者のスタンスがはっきりしないと伝わりにくくなります。
 先日、『本物の自信を手に入れる セルフ・ファシリテーション 自分を変える54のスキル』(森時彦著/田中淳子著 ダイヤモンド社)の制作に関わらせていただいたのですが、著者の森先生が、プレゼンテーションのTEDの話をされていました。NHKのEテレでTEDの番組『スーパープレゼンテーション』がありますが、そのホストであるMITメディアラボ所長伊藤穰一氏が「Why me? Why we? Why Now?」を取り上げていました。
 プレゼンテーションで話をするときの要素として、「なぜ、私がこのテーマを語るのか」ということを表明し、「どうしてみなさんもこれに関心を持たなければならないのか」を説明し、そして「どうして『いま』なのか」を語らないといけないよ、という意味です。
 この中でも電子書籍に限らず、書籍に必要なことは、「Why me?」です。この点について、案外、ちゃんと書いていない本がある一方、本の大半が「Why me?」だけだった、ということも起こります。なぜ自分がこの本を書くことになったのか。そこに読む価値があるケースもあるからです。営業で成功した人、起業で成功した人、節約術だとかダイエットなどもそうでしょう。
 たとえば、私がある難病にかかってその闘病を通じて日本の医療の実態について本を書こうとしたとします。もうこの中に「Why me?」がはっきり出ています。当事者だから。患者側の視点を持っているから。それで本を書きますよ、ということです。
 これが、ある難病患者に献身的に寄り添って治療に携わった医師の本だったら、どうでしょう? または、長年の闘病を見守っていた家族が書いた本だったら? さらに著名な作家がその話に基づいて小説にした場合は?
 いずれも、著者のスタンスが違うので、書き方も違ってきます。それは、「読み方」が変わるからです。
 みなさんがいま書いている作品、書こうとしている作品は、どのようなスタンスで書くのでしょうか。ぜひ、そこを明確に意識してください。
 もちろん、最初は「なんとなく」書きはじめてもいいのです。楽しく書いてみてください。そして、ある程度、まとまったとこで、スタンスを考えながら、読み直すといったことをしていくのです。
 スタンスについては、一冊の中では貫徹してほしいので、ブレのないように修正していくといいでしょう。

書き方=文章作法

 書き方は、一冊の本をとも書き上げても完成しません。一生、学び続ける、工夫し続ける世界です
 プロの作家でも初期の作品と晩年の作品ではかなり変化していくことはご存知だと思います。みなさんも、これから書く本と、その後に何冊か書いていく本では、徐々に変化していきます。その中で、一番変化するのが「書き方」です。
「前と同じではマズイ」という思いがつくり手はあると思うので、自然に徐々に変化していくのです。まったく変わらない、ということはありません。時代も変わり、それによって言葉も変化していくので、表現、書き方も変化していきます。
 いまから出す本について、書き方については、あとでお話しすることぐらいのことは気をつけていただければいいのですが、書き方をしっかり学ぶには時間をかける必要があります。
 最初の一冊については、書き方でいろいろと悩みながらつくっていくことになるでしょう。あとで反省するところがたくさん出てくれば、それだけ次に向けて改善できるのですから。

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