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『目と鼻と口 〜わかり合えなさについて〜』文=枡野浩一【初出「早稲田文学」2015年夏号】(無料公開中)


 予備校時代、私は母に買ってもらったダッフルコートを着ていた。当時の私は買い物のとき迷うのが癖になっていて、一度買ったものをなにかと返品したり交換したりしていた。「焦げ茶色系のがいいんだけど」と言って、店の人に出してもらったものが気にいらず、怪訝な顔をされながらも選んだ一着だった。

 予備校時代といっても、一度入った大学で落ちこぼれて(数学がまったくできないのに小論文受験で簿記などを学ぶ経営学部に入ってしまった)、再受験をするために入った予備校だった。ほとんど二十歳になっていた。

 眼鏡屋で近視眼鏡をつくることになり、一度つくった眼鏡がどうしても気にいらず、別のフレームでつくりなおしてもらうことにした。

 その眼鏡屋で完成した眼鏡を受け取るとき、店員同士が雑談をするのが聞こえた。緑のコートを着た客の悪口らしかった。自分のコートは焦げ茶色だから自分には関係ないと思って聞いていたのだが、店員の顔色が変わった。

 受け取った眼鏡は、度数がちょっと合っていないのではないかという違和感があったけれども、もうこれ以上の返品はできないと、空気を読めない私にもわかるような態度を店員がとった。それゆえ「もしかしたら自分の着ているこのダッフルコートは焦げ茶ではなく緑色なのだろうか」という疑いを持った。

 そういえば高校を卒業して現役で入学した大学の健康診断で、色弱の疑いがかかったのだった。それまでの人生でも一度くらいは検査する機会があったはずなのだが、転校がちだったことが関係あるのか、スルーしてきた。

 家に帰って家族にコートの色をたずねると、モスグリーンだと言う。苔のような緑色。私の目にはずっと濃い焦げ茶色に見えていた。

 こう書いていても不安になるのだが、茶色というのはお茶の色だから、もともと緑色がかっているのだろうか。モスグリーンはたしかに茶色に近しい色だと母は言ったが、気づくと私は靴下でも何でも、わりとモスグリーンのものばかり買っていたことが判明した。自分では茶色だと思って選んでいるのである。

 それから私のダッフルコートは日に日に緑色になっていった。緑だと言われてから、急に緑に見えるような気がしてきたのだ。でもモスグリーンのものを茶色と思って買うことは二十数年経った今でも変わらない。人に言われると「ああ言われてみれば緑だ」と思う。でも何度でもまちがえる。高校時代は美大をめざしたいと思っていたこともあるくらい、ほかの成績が悪くて美術の成績だけマシだったのだが、私の目に見えるように描いていた絵は皆にどんな色に見えていたんだろうか。

 個性的な絵を描く画家の目には、じつはそのとおりに世界が見えていたのではないか、みたいな説を最近になって目にするようになった。瞳の色が黒い人と青い人とでは、色の明るさを感受する力もちがうのではないか、という仮説も見た。つい先日も、実際には青色と黒色にデザインされたドレスが、人によっては白色と金色のドレスに見えるということがインターネットで話題になっていた。私の目には青っぽい白と黄土色のドレスに見えた。そして「人によって見える色がちがうかもしれない」という疑いを持たずに生きてこられた人のほうが多数派なのだなと改めて思った。

 インターネットのおかげで、「自分の見ている世界とはちがうように世界を見ている人」の存在に気づきやすくなった。逆に「世界でもこんな症状に悩まされているのは自分だけかもしれない」と思っていたことが、意外とポピュラーな症状であることも自覚できた。

 また目の話で恐縮だが幼いころから飛蚊症だった。自覚したのは小学校の休み時間にクラスメイトが飛ばした紙飛行機が目に当たった直後だ。実際には以前から飛蚊症だったのだろうが「紙飛行機が当たったせいで」と認識してしまい、早退して眼科に行った。診断されたとき医師に「飛蚊症かもしれない。でもそれ年寄りの目だよ」と笑われた。が、最近になってインターネットで調べたかぎり、見上げた青空がゾウリムシのように動く透明な汚れでいっぱいになる景色は、私だけでなく多くの人が見つめてきたということがわかる。

 そのほか光を見るとくしゃみが出る人が一定数いて、その現象は「光くしゃみ反射」と名づけられているということも、インターネットで知った。その性質は遺伝するらしい。

 さらにはアスパラガスを食べたあと、尿のにおいが変わったと感じる人が一定数いて、それは「アスパラガスを食べると一部の人の尿がにおうようになる」のではなく、「アスパラガスを食べたあと尿のにおいが変わったことを感知できる能力が一部の人にある」ということらしい。この性質も遺伝するという。

 インターネットがなかったら一生知らないままだったかもしれないことばかりだ。私は離婚して十年近く経ってから「男でもキスが好きな人は多い」ということを知って驚いた。キスにあこがれるのは女性だけで、男はサービスでやっていると本気で思っていた。キスで気持ちよさを感じたことが一度もなかった。自分の誤解を知ったのは、インターネットでキス嫌いを告白したら大騒ぎになったからだ。つい先日の歯科検診で、下の舌にある膜が張り過ぎているため滑舌が悪くなっている、昨今は子供時代に手術で切除してしまうケースも多いと教わった。インターネットで調べたら、その膜がある人はキスがうまくできないのだそうだ。キス嫌いに原因があったとは! 紹介状を書いてもらって口腔外科でも診断してもらったが、もう成人しているし今さら膜をとっても滑舌がよくなるとは限らない、しかも手術後は痛いし滑舌もしばらく悪化すると言われて、この舌で生きていくことにした。

 インターネットでは毎日のように議論が繰り広げられている。かつて私が「匿名で批判するのは卑怯だ」という意見を書いたとき匿名の方々からの反論がどっと押し寄せて、それにいちいち丁寧に反論していたら気持ちが上の空になり、大金の入った財布を落としてしまったりした。そのときのあれこれは今もインターネットに「まとめ」として残っている。だが最近では「まとめ」に残るようなやりとりは一切しなくなってしまった。人は皆、自分に見えるものでしか物事を判断しない。顔も知らない、話したこともない人たちと、理解し合うのは無理だと身にしみたからだ。身にしみるまでは膨大なやりとりをしていて、その膨大さはぜひ一度見て辟易してほしい。その膨大なやりとりの中で私は「やっぱり匿名で批判するのは卑怯だ」と心底、実感した。けれど匿名で私を批判した人たちは「やっぱり匿名であろうとなかろうと議論のできない馬鹿は馬鹿だ」と結論づけている気がする。

 最後に自分の本業の話をちょっとだけ。私の短歌は糸井重里氏によって「かんたん短歌」と命名された。簡単な言葉だけをつかった、感嘆するような短歌を、というような意味。もちろん「簡単につくれる面白い短歌」などというものは、この世にないと思っている。歌壇(短歌界)では私の短歌は「わかりやすい」「初心者向け」と評されているはずだ。

 短歌をより広めるためのお笑い芸人活動を二年前から始めた。片手間な感じではなく、芸人事務所に所属し、週三回ライブに出るくらいは忙しくて貧しい毎日を過ごしている。わかったことは、私のような作風の短歌でもお笑いの現場で披露すると「どういう意味?」と質問されてしまうということだ。ほとんどまったく通じない。最近はもっぱら「詩人歌人と植田マコト」というトリオで漫才をやっていて、芸歴十四年の植田マコト先輩のおかげで笑いをとれない日がないくらいなのだが、私が面白いと信じてきた自作をそのまま披露して笑いがとれることはまず全然ない。浅草リトルシアターの舞台で、新宿末広亭の舞台で、私がどのような屈託を持って短歌を詠んでいるか、言葉で議論することが好きなあなたに「わかりやすく」伝える自信はゼロだ。


執筆時は肩書を「歌人・芸人」としていました。芸人活動は休止中。本稿はこれで全文ですが、購入すると100円の投げ銭になります。以下にはお礼の一言と食べ物の写真、その食べ物のお店情報があるだけです。

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