お笑いはもう詩歌なのだ【本日無料公開中】
詩歌っていうのは「作品をあれこれ語る行為」「批評」に体重がかかるジャンルで、その前提をふまえて書いたコラムです。
▼小学館「週刊ビッグコミックオリジナル」2017年12.20号より
自分のツイッターがYahoo!ニュースになったことがある。ちょうど一年前のことで今は消失してしまっているが、《M-1決勝進出8組発表 歌人・枡野浩一氏が全組言い当てる》というタイトルだった。M-1はM-1グランプリという、漫才の日本一を決めるテレビ番組だ。
まっすぐに準決勝ライブを観て、自分なりの審査基準で8組を考えてツイートしただけだ。8組当たった人は、ほかにはいなかったようだ。
なぜ当てたのかと皆に質問された。私は44歳の時から2年間だけ芸人事務所(SMA)に所属し、コントや漫才を日々やっていた。自分で実際にやったことがあるというだけで、その仕事のどこがどう難しいかは多少わかるものだ。
その上で「高度なことを成立させている」と思った組を高得点にした。「志が高いか」である。「日本のお笑いのトップランナーに胸を張って紹介できるか」と自問自答した。
私はこれでも日本の短歌界のトップランナーなので、短歌の選をするのと同じ考えでお笑いを審査したのだった。それがM-1の予選審査員と一致したということは、すなわち「現在のお笑いは良くも悪くも詩歌のような文芸に近づいている」ということなのではと思う。
今年のM-1は目下、準々決勝の結果が出たばかり。「準々決勝ライブでいちばん笑いをとっていたウエストランドが落ちているのはおかしい」という不満でツイッターは大騒ぎだ。
ウエストランドが爆笑に包まれている姿は目撃したから、心から気の毒に思う。しかし審査員の判断にも特に驚かない。なにしろお笑いはもう詩歌なのだ。人気を得るだけではだめ。ツイッターで最もリツイートされた短歌を「最も優れた短歌だ」と言いにくいのと同じだ。
漫才の日本一を決めるのはM-1だが、コントの日本一を決めるキングオブコントは10月1日に結果が出た。結成5カ月の「にゃんこスター」が準優勝。優勝した「かまいたち」より目立って話題を独占し、ツイッターは大騒ぎだった。
にゃんこスターは男女二人組。準優勝後に交際中のカップルであることが公表されたが、男性のほう(スーパー3助)は「アンドレ」という男性二人のコンビを長年やっていた(SMA所属で私の先輩だった)。女性のほう(アンゴラ村長)は伊集院光の番組に出演経験がある。二人それぞれキャリアがあるのにテレビでは結成5カ月ばかりが強調されてしまう。
芸人なら、彼らのネタがいかにさりげなく「高度なことを成立させている」かがわかる。ツイッターなどで「こんなにレベルの低いものが準優勝!?」「まったく笑えない」「真顔で見た」と不満を言う人たちは、お笑いの素人なのだ。
かつてのお笑いは素人が、「俺には面白くない」「もっと楽しませろ」と、上から目線で好き勝手言うことのできるジャンルだった。だが時代は変わった。歴史や文脈などの「素養」がない素人には、本当の意味では楽しめない。文化的に成熟した結果、野蛮なエネルギーが薄れてしまった側面もあるから、良し悪しだとは思う。思うけれども、後戻りはできまい。
お笑いについて、いとうせいこうさんとお話をしました。
私のnoteの記事に対する、アンサー記事。
もしお役に立ちそうな記事があれば、よろしくお願いします。