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【無料】小説『またあした1』~ユーモア・ミステリー~|第4回|

「ここんとこ、笑ってないなあ」
というあなたに!
ユーモア小説 ケンちゃんシリーズ『またあした』を週1回ぐらいのペースで10週ほど連載します 第1回はこちら

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その三

 その日、買ったばっかりの赤いアウディに新藤さんを乗っけて。言われたとおりに走らせたら、どんどん都心に向かってくんだよ。
 広小路通りを栄の方に向かって行って、ちょい手前。新栄のあたりで一本裏に入ったんだけど、あのあたりは、ほとんどオフィス街だろ。
「その先の駐車場」
 新藤さんの指示どおり、クルマを停めて外に出た。
 すると目の前に、古びてるけど八階建てくらいのオフィスビルがあった。看板を見ると、帝国火災保険株式会社。ああ、財閥系のな。
 その隣にはガソリンスタンド。といっても、店の入り口にロープを張って、なんかもう営業はしてない雰囲気。
 新藤さんはクルマを降りると、すたすた歩いていく。
 仕方ないから、その後について行ったら、ガソリンスタンドの横に台湾料理の店が入ってる雑居ビルがあった。
 こんな場所に、婆さんなんか住んでんのかなって思ったけど。新藤さんは、雑居ビルの角を回りこんでく。そしたら、広小路通り沿いの角地、そこに一軒の古いきしめん屋があったんだよ。
 木造の二階建て、白っ茶けた板張りに黒い瓦ぶきでさ。白地に筆文字で「きしめん」って書いたのぼり幟がたってて。入口の暖簾には『尾張屋』って書いてある。
 なんていうか、あんな都心にあるとは思えないほど、思いっきり古くさい感じの店なんだ。
「ちょっと、ここで待っててくれ」
 そう言い残して、新藤さんは店の中に入ってった。
 しばらく店の前で待ってると、背の低い白髪頭の婆さんと一緒に出てきてさ。
「お婆さん、運転手を連れてきましたよ」
 婆さんは、オレを見ながら、
「おみゃあさんは、どなた様でしたかなも」って訊くのよ。
「今日は、大須へ行くんでしたよね」
 新藤さんが、横から声をかける。
「はあ、はあ。そうだった。お世話様です」
 ペコリとちいさな白髪頭をさげるもんだから、こっちも慌ててお辞儀した。
 三人で駐車場まで歩いてったんだけど。
 中古とはいえ、買ったばかりのアウディの助手席のドアを開けるときにはさ。リリーの激辛カレーを食ったわけでもないのに、さすがに涙がこぼれそうになったね。
 だってさ、マスター。
 トモちゃんとのデートのために、アウディ買ったんだぜ。
 ったく、冗談じゃねえよな。
 念願のデートにも、まだ使ってない。そのクルマの助手席にさ、何が悲しくて見も知らないボケた婆さん乗せなきゃなんないのよ。そうだろ、マスター。
「じゃあ、よろしくな」
 新藤さんの声に送られて、もう泣く泣くさ。婆さんを大須まで乗せて行く羽目になったのよ。
 ところが、この婆さん。栄の交差点を過ぎたあたりで、突然「あんたのクルマは、カーナビがないの」って言い出した。
「ええ、なくても分かりますから」
「いまどきカーナビがないと、遠出したときに困らん」って突っ込んでくる。
「そうかもしんないですね」
「このクルマ、あんたのもんでしょ。まだ遠出したことないの」
 婆さんしつこいんだ。
「ええ、そうですけど」
 できるだけ穏やかに返事してたらさ。
「ふうん。このクルマ、そんなに新しいことはないわね」
 勝手にグローブボックスを、ぱたぱた開けたり閉めたりしてる。
「ひょっとして、中古で買ったんかね」
 いちばん訊かれたくないことをヘーキで言うのよ。
 でも、まあ、事実だからさ。
「ええ、そうッスけど」
 さすがに、ちょっとムッとしてたら。
「あんたねえ、女にモテようと思って見栄はっとるんでしょう」って言いやがるんだ。
 おまけにだよ。
「女は男よりも現実的だでね。こんなしょうもないとこにおカネつかわんと、クルマなんてカローラで十分だで、ちゃんとカーナビ付けて、残りは貯金しといたほうがええよ」
 そう説教までしてくれるのよ。
 面白くないから、ムスッとしてクルマを転がしてると。
「そこ、右だがね」
「なにやっとんの、その路地を左っ」って、うるせえんだよ、ホント。
 おまけに、ようやく駐車場を見つけて入れようとしたら。
「ここは、大須でいちばん高いとこだよ。もっと先に安い駐車場があるがね」  
 いちいち指図すんのよ。
 そんなこんなで、ようやくクルマを停めたんだけど。
 婆さんは、膝が悪いらしくてさ。
「今日は、あの人に急かされて、杖をもってくるのを忘れたんで。あんた悪いけど、手を引いてちょうでゃあ」
 しょうがないから、クルマを降りて助手席のドアを開けて。オレは婆さんの手を引いて、二人仲良く観音様にお参りよ。
 ヨットの浮かぶ浜名湖のほとりで、助手席から降りてくるトモちゃんの手を引いてるオレ。っていう、ちょっと前までのイメージトレーニングは、婆さんたちのメッカ大須観音じゃ、なーんの役にもたたねえ。 
 なッ。マスター、泣けてくるだろ。
 婆さんの膝を気遣いながら、よちよちとお参りを済ませ。やれやれってクルマに戻って。
 さて、尾張屋に帰ろうと思ったら。
「これから整体に行くでね」
 そんな話、ぜんぜん聞いてないんだけど。
「膝が悪いんで、毎週かよわんといかんのだわ」
 しょうがないから上前津の整体院まで送って。また婆さんの手を引いて、一緒によちよち歩いて。受付を済ませてから、クルマの中で待ってたんだ。
 一時間ほどして整体院のドアが開いて、婆さんのちっちゃな姿が見えた。片手でドアにつかまったまま、キョロキョロしてるんだよ。
 オレは、慌てて飛び出してって。右手を支えようとしたら、婆さんはオレの目を覗き込むように見て。
「あんたは、優しい子だねえ」
 そう褒めてくれた。
 そんでクルマに戻って、こんどこそ新栄に戻ろうとエンジンをかけたら。
「悪いけど、もう一軒、寄ってきたいとこがあるんだわ。納屋橋の今井総本家っていう饅頭屋さん、あんた知っとる?」
 饅頭なんて買わないから、そんな店を知ってるわけがないだろ。
「いや、聞いたことがないッスね」
「あんた名古屋に住んどって、今井総本家を知らんの」
「まあ、あんまり饅頭は食わないし」
「それじゃあ、何が好きかね」
「やっぱ、ひつまぶしかな」って返事をしたら。
「若いくせに、そんな贅沢を言っとると、歳とってからロクな人間にならんよ」
 また説教な。
 こっちがうんざりしてるのなんか気にもしないで、巾着袋からケータイ取り出して。
「あの、いつも買わしてもらっとる尾張屋です。いまから十分後にそっちに寄るんで、薄皮饅頭を五つ。それと栗饅頭を五つ、包んどいてもらえん」
 納屋橋に向かう途中で、オレのケータイが鳴った。
「ようケンちゃん、アウディ買ったんだって」
 こないだから、実家のソープランドな。うん、夢殿。その天国みたいな自分んちに戻ってたヒロシの奴からで。
「まあな」
「どこで、そんなカネつくったの」
 羨ましそうな声をだすから、中京競馬場での話を、ぜーんぶ話してやったんだ。
「万馬券か、そりゃすごいな。でもアウディって、かなり高いんじゃね」
「ドラゴン・モータースの水野さん通しよ。ネットワークの総力を挙げて探してもらった。中古だけど百万円ぽっきり」
「さっすがだねえ、ケンちゃん」
「とうぜんだろ。そこいらの奴らと違って、オレはアッタマいいから」
 思いっきり威張ってやった。
 そしたらヒロシの奴が、ゴキゲンなときに、こんなこと言って気分悪くするかも知れないけどって、勝手に話かえやがって。
「リリーのトモちゃんさ。ケンちゃん、結構マジじゃん」
 いきなりなんだよ、って思いながら。
「まあな」
 そう答えたら。
「あの娘。南山の学生とちょくちょくデートしてるぜ」
「…………………………………………………………」
「あのーう。……………やっぱ、悪いこと言っちゃったかなぁ……」
 ヒロシの声が、ちっちゃくなった。
「いや、ぜーんぜんOKよ」ってツッパるのが精一杯でさ。
 もうテンションが一気に下がって。おもわずハンドル放して、おもいっきりアクセル踏み込んで、どっかに突っ込んでやろうかって気分。
 ちょうどそんとき、隣で婆さんが呟いたんだ。
「ふうん、この外車が百万円ねえ。ぞんがい、ええ買いもんかもしれんね」
 とたんに、頭のなかにグチャグチャに潰れたアウディの写真が浮かんだ。その横にオレと婆さんの顔写真があって。
《若い組員、七十過ぎの老女と心中か?》って見出しの大名古屋スポーツ。しかも《クルマは盗難車と判明》って小見出し付き。
 オレの殺気を感じたのか、ヒロシが慌てて。
「いや。言おうかどうか、迷ったんだけど。……でも、知ってるのにケンちゃんに知らせないってのも、友達としてなんか良くないだろうと思ってさ……」
 電話の向こうで、ごちゃごちゃ言ってる。
 オレは、もうお怒りモードMAXなんだけど、やっぱ男として泣きごとは言えんだろ。
「ヒロシさあ、気ぃつかってくれてアリガト。でもな、ぜーんぜんOKだよ」
 ブチッて電源切ってやった。
「あんた、運転中に携帯電話で話しとると危険だがね。もし、おまわりさんに見つかったら一点減点。六千円も罰金とられるんだよ。知っとんの」
 うん、また説教な。もう最悪の気分。
 だけど、こんなとこで婆さんと一緒に死ぬわけにはいかないからさ。いつもより慎重に、ゆっくり安全運転で納屋橋までクルマ転がしてったら。
「あの信号を右」とか。
「その白いビルの手前を左」
 また婆さんが、いちいち指示するわけ。もう、膝と口の悪いカーナビな。
 ビルの角を曲がったとこで。
「ここで、ちょっと待っとってちょ。すぐ戻るで」
 ドアを開けて降りると、いきなり小走りに道の向こうの店まで駆け出した。
 オレはビックリしてさ。膝が悪いはずなのに、あんなにちょこちょこ走れるのかと思ってね。
 だから饅頭を買って、尾張屋まで送っていく途中で、思わず言ったのよ。
「お婆さん。膝が悪いのに、ようあんだけ走れるねえ」
「あんたは、若いから分からんだろうけどね。膝の痛みは、歩いとるほうがラクなときもあるし、じっと寝とっても辛いときもあるんだがね」
「ふーん」
「一日のうちでも、朝昼晩で、ひどくなったり和らいだり。いまみたいに調子がええときは、なんぼでも動けるよ」 
 そんなもんかと思ってさ。
「ほんでも、膝が痛いというのは、悪いことだけじゃにゃあよ。わたしの膝は、その辺の気象予報士なんかより、よっぽど正確だで」
 婆さん、巾着袋にハンカチ仕舞いながら。
「右が痛むときは降水確率三十パーセントだわ。左が痛むと四十パーセント。両方痛いときは八十パーセント。おまけに腰まで痛いと百パーセントだでね」
 こと細かに、聞きたくもない説明までしてくれるんだよ。
「ところで、あんたの名前は?」
「浅井ケンタですけど」
「浅井・朝倉のアザイかね」
 やっぱ年寄りは、古い話をよく知ってる。
「ふうん。あんたはどっか、その辺の人間と違うと思うとった。でケンタって、どういう字」って聞かれたもんで。
「賢く、太い」って答えたら。
「あはははっ。あんたらしい名前だがね」
 婆さん、妙に喜ぶんだ。
「それはええけど、わたしの携帯電話の番号を教えとくわ。あんたの携帯電話の番号も、教えといてちょ。連絡するのに知っとかんと、いかんでしょう」
うん?
 尾張屋に着いて、クルマを降りる前に教えたよ。しょうがないだろ。だって、新藤さんから頼まれてる相手だしな。
 でもなあ、まだトモちゃんのケータイの番号も訊き出せてないっていうのにさ。婆さんとケータイの番号を交換してんだぜ、オレ。
しかもヒロシはへんなこと言うし、ほんとサイテーだよ。
 ようやく面倒な婆さんの相手が終って、ホッとしてクルマを転がしてると、新藤さんから電話があって。
「どうだった、婆さん」
 どうって訊かれてもさ。
「まあ、元気な婆さんですよね」
「うーん、そうか」
 それから新藤さんは、
「池下の高山さん、先週の掛け金、六万九千円。本山の黒田さん、三万五千円。香味苑の店長、三万円丁度。スターロード商店街の『カトレア』の親父、三万二千円。おなじく『八笑』のヨーコさん、一万五千円。布池の太田さん十五万円丁度。計三十三万一千円を金曜までに回収しといてくれ」
 そう言って切った。
 えッ、それなりに客がいる? 
 JRAの百円馬券が九十円で買えるわけだし、後払いOKだしさ。しかも穴狙いの連中にとっちゃ、オッズが下がんないしね。
 それに、いまだにケータイを電話以外に使えないおっさんにとっちゃ、ノミ屋ってのもまだ必要みたいなんだな。
 まあ、そんなわけで、その日は、妙な婆さんに振り回されて。くたくたに疲れたから、とにかく事務所に帰って、ソッコー寝た。

                       (つづく)

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ケンちゃんシリーズ『またあした』1~8巻
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2巻はこちら


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