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都井と田治見比較(後編)


はい(。*・д・。)ノ
サクッと続き行ってみましょ~


エントリーナンバー⑤
ドラマ2004年版
田治見要蔵役
「吹越満さん」ヽ(=´▽`=)ノ

マタギ個人的に好きな俳優さんです(*^^*)
以前、二時間モノのサスペンスで狂気に満ちた犯人役を演じた時に惚れてしまいました(笑)
そのドラマも確か大正末期だったか昭和初期を舞台にした泉ピン子さん主演のドラマで夜這い的な話が盛り込まれてましたね

あ、そういえば
そのドラマと八つ墓村の田治見要蔵、津山30人殺しの都井睦雄…
この三人はキャラがかなり被っているようです…(-∀-`; )

八つ墓村の田治見要蔵は妻子がいながらも
他の女性を無理やり手篭めにし、
その女性が自分の元から行方を眩ますと怒り狂い…
このスタイルで村人を次々と殺害していきました

実際の都井睦雄は村の女性に夜這いを仕掛け
多くの女性と関係していたといいます

彼は徴兵検査で肺結核と判明
兵役に就く事が出来ず
また移る病だからと村人からいじめを受け
自暴自棄になっていったそうですが

肺結核が判明してから
自棄を起こし村の女性達に夜這いを仕掛けたのか

それとも判明する前から夜這いを繰り返していたのか…

後者だとすると
女性のマタギとしては軽蔑しちゃいます…(-_-;)←変態でも一応女なので…(笑)(笑)

それにしても…

なんとなく懐中電灯がやたら大きい様な気がするのですが…(-∀-`; )
(サイズ感が…(-∀-`; ))


エントリーナンバー⑥
ドラマ1995年版
田治見要蔵役
「平幹二朗さん」ヽ(=´▽`=)ノ

あの…
今回、田治見要蔵役の俳優さんを見比べて思ったのですが

流石  平幹二朗さん
殺陣が素晴らし過ぎて…
猟奇的というよりも上質なチャンバラを拝見しているようでした(-∀-`; )

GIF動画にも映っている
刀を咥えて銃を構えるところなんぞカッコよすぎ(/ω\)キャー

こういう田治見要蔵も
ある意味面白いですよねぇ!



エントリーナンバー⑦
ドラマ1991年版
田治見要蔵役
「ジョニー大倉さん」ヽ(=´▽`=)ノ

え~………(-∀-`; )

花嫁さんの角隠しに見えてしまう…
ちなみに角(懐中電灯)は隠せてなく出ちゃってますが(笑)(笑)

他の方も違和感ありの方が居ましたが彼程の角隠しスタイルは
居ないと思われ…(-∀-`; )

え!?
ちょっと待って下さいよ?
もしかして羽織っているものは白無垢なのかも…!?

好きな女に逃げられ
乱心して女装に走ったのかも…Σ(゚Д゚)

一番突っ込みどころが多く感じたジョニー大倉さん

最初の思い詰めた表情もヒョコヒョコ歩きも他の方にはなかった
仕草ですね

まぁこれが彼カラーの田治見要蔵なんでしょう(●´ω`●)


エントリーナンバー⑧
映画1977年版
田治見要蔵役
「山崎努さん」ヽ(=´▽`=)ノ

よっ!( 」゚Д゚)」
待ってました!!

これぞ田治見要蔵!!
本家の風格を見せつけられちゃった感半端ないですね!

おそらく彼が映像化された田治見要蔵の元祖だと思われます

まぁ最初にこれを持って来られたら、この後どんな役者さんが田治見要蔵を演じてもそりゃ
木枯らしモンちゃんや角隠しにしか見えないってもんですよ(。*・д・。)ノ←そんな失礼な事を言うのはマタギ位のものだ…(-_-;)

しかしスタイリッシュに村人を次々と切りつけるところ
人間離れした動き
超人並みですね!

いや、これ本気で
キャラ同士戦わせるとどうなるのか!?

平幹二朗さんが悪をぶったぎるヒーローならば
山崎努さんは異次元からやってきた最強敵キャラといったところか…(* ゚∀゚)ワクワク


あ、いや…

調子ノッてふざけすぎました(;-ω-)ノサーセン


さて、そんな物語にも登場する程の大胆な犯罪を計画し実行にうつした都井睦雄

肺結核で兵役につけかった事実
そして村八分の様な目に逢ったとは言え
村の女性達に夜這いをかける
身勝手な男と感じる部分…

恨みを晴らす事だけしか
考えられなかったのだろうか…

ですが
そんな彼の見方が
少しだけ変わる物が残っています

それが最後に書き残した
遺書です

愈愈死するにあたり一筆書置申します、決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、この様なことをしたから決してはかをして下されなくてもよろしい、野にくされれば本望である、病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生まれてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生まれてこよう。

思う様にはゆかなかった、今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺元ゆり子が貝尾に来たから、又西山良子も来たからである、しかし寺元ゆり子は逃がした、又寺元倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、岸本順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。

もはや夜明けも近づいた、死にましょう。— 「津山事件報告書」より都井睦雄の遺書(犯行直後の興奮状態での遺書。誤字などあるが原文のままとする)

ウィキペディアより


長くなりました
ご覧いただきありがとうございました(。-人-。)

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