ファラオ・ゲームについて

掲題の内容でツイキャスしてきました。

http://twitcasting.tv/match_bo/movie/169886355

以下、そのときの原稿。

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 ツイッター上でのつぶやきが、ほんのり単語だけバズってるのを目にしたので、
解説を試みます。
今日のツイキャスはファラオ・ゲームについて。

今日話したいことは次の3つです。
1.ファラオ・ゲームってなにか。
2.ファラオ・ゲームに巻き込まれるとどうなるか。
3.ファラオ・ゲーム対策。

 ええと。ファラオ・ゲームとは何かの説明をする前に、
世のネットゲームがすべてファラオ・ゲーム的なプレイング問題を
内包しているわけではない(と僕も思いたい)のと、
みんなの遊んでるゲームを腐すつもりは全然ない、というのは先に言っておきます。
気を悪くされてたら、ごめんなさい。
僕なりの理解で、以下、説明を試みます。

 さて、突然バズったこのファラオ・ゲームという単語ですが、
内容を聞いてもよくわからなかった方、いると思います。

 ファラオ・ゲームとは、遊演体によるPBM、ネットゲーム90こと
「蓬莱学園の冒険!」において提唱された理論です。
ファラオ・ゲームとは、周りの人々を文化やら空気やら噂やらで
信じ込ませ、熱中させた上で考える時間を与えずにあやつり、動員させ、
皆が働いた結果を「自分が偉いから」という信じ込ませによって、
全部かすめ取るシステムです。はい。悪いプレイですね!
要するに信仰や文化、情報の長者であることを背景に、
人を操って利益をせしめたり、巨大建造物を作ったりするわけです。
このプレイングを古代エジプトの宗教国家になぞらえて、ファラオのゲーム、
ファラオ・ゲームと呼びました。

ファラオ・ゲームが行われている場では、ファラオでない人とファラオでは、
ファラオが必ず勝つ。ファラオとファラオの間では、より動員効率の高い
ファラオである方がほぼ必ず勝ちます。
なので、あまたのファラオたちは、
自分がファラオとして強くあるように頑張ることになります。
具体的には周りを巻き込んでリソースを吸い上げるプレイをする。
その一方で根回し工作とかコネクションを結ぶとかをファラオ同士で行いつつ、
話に嘘を混ぜて他のファラオの評判を貶めたりしてやっつける、というのが
その主な攻略法になる、でしょうか。

 要するにファラオ・ゲームとは、支配のテクニックを競うゲームです。
ファラオ・ゲームでは、ファラオ同士が、おのおのの正義を振りかざして、
臣下を言うなりにして、より効率よく利益を吸い上げる腕を競います。
効率よく集積されたリソースはファラオたちによって再分配、
--より正確には、最強のファラオによってファラオ派閥の中で行使され、
行使によって生まれた利益が各ファラオを経由してプレイヤーに再分配--
されます。
 多くの場合においてこれが必要とされるのは、たとえば「戦争に勝利する」
「イベントを成功に導く」などのような、
莫大なリソースが要求されるイベントの時です。
また、戦争のような大規模イベントがいつ起きるかもしれないゲームの場合、
多くの場合は戦争準備として、
主に外交・内政にてファラオ・ゲームが恒常的に競われます。
外交や内政のあるゲームでは、ファラオ・ゲーム的な展開が場を支配する、
と言えるでしょう。

ただまあ、現在遊ばれてる多くのPBWでは、
王国の廷臣や国王となって国や敵国の命運を左右するようなゲームはあまり、
ありません。
これはプレイヤー個々人に利権が集中しないようにあらかじめ作られているため、
のではないかと、ぼくは考えています。
利権が集中しませんから、ファラオ・ゲームは基本、起きないはずですし、
起きても大丈夫なようなパッチ、
たとえばリソース上限を決めるギャップなどのようなものが当たっているはずです。


では次に、ファラオ・ゲームに巻き込まれてしまった場合について考えてみましょう。

 ファラオ・ゲームは前述のとおり、より強い利権、
あるいは勝利点を得るためにファラオたちによって行われるゲームです。
ファラオではない人にとって、ファラオ・ゲームに参加することは、
個人ではほぼ無理な勝利点を稼ぎ出すことができる唯一の方法として、
目に映ります。
しかし、ファラオ・ゲームにおいては、ファラオでない人のプレイングは
3つしかありません。
第一に、自分のリソースを持ちうる限りすべて捧げたのち、
正当な配分を得ることを訴えかける。

もしくは、小さなファラオとして、自分のリソースを持って、
自分の勝てそうなファラオにだけ勝負を挑む。

さもなくば、ファラオから離れてゲームをやめてしまう。
どれも難しいですよね。だいたい3つ目は結局辞めてしまうわけですから、
これはプレイング以前の問題です。

このようにファラオ・ゲームが肌に合わないプレイヤーにとっては、
ファラオゲームでは、
・奴隷になる
・嫌いなゲームに参加せざるを得ない
・ゲームをやめる
の三択しか用意されないわけです。これはだめだ。
プレイヤーに対しての愛がかけらもありません。

しかし、この考えのもとになったゲーム(蓬莱学園の冒険!)では、
これら問題に対して第四の道を提示しています。
それが今から解説する、オルフェウス・ギャンビットです。

 オルフェウス・ギャンビットとは、前提条件の付け替えです。
先ほど、ファラオ・ゲームはファラオ同士のテクニックを競うゲームである
という話をしました。
一定の基準をもとに勝利点を稼ぐためにプレイヤーのリソースを吸い上げて運用し、
ほかのファラオと競い、あるいは貶め、
あるいは時に協調するというプレイングのくり返しです。
これを崩すのは実は簡単で、
「一定基準をもとに勝利点を稼ぐには
プレイヤー集団の莫大なリソースが必要である」という前提を
崩してしまえばいいのです。
たとえば既存のバランスを崩す新ルールの導入などがこれにあたります。

これらバランスブレイク行為は、一般的にはゲームを壊します。
ですが、ネットゲーム90の理論においては、
こういったプレイングをする力を(おそらく珍奇なものとして尊ぶ意味で)
「オルフェウスの琴」と呼び、
このバランスブレイク行為を「オルフェウス・ギャンビット」と呼びました。

オルフェウス・ギャンビットは、一見してゲームを破壊する行為です。
しかしながら、リソースを使わずに問題となる障害がクリアできるなら、
障害の除去とイベントのクリアが全員の目的である限りは、
だれにとってもありがたいものになるわけです。

もちろん、オルフェウス・ギャンビットは
ゲームバランスを壊すものとして、それを嫌がる人も多いでしょう。
ですが、
「たまに奏でられるオルフェウスの琴を皆で愛でながら、
それぞれがそれぞれにおいて協力プレーをする」のが、
ファラオ・ゲーム問題に対する解法のひとつではないか。
という提案であったと、今の僕は考えます。
(浅学にしてネットゲーム90がどうだったかは(僕は)詳しくありませんが)

このファラオ・ゲームとオルフェウス・ギャンビットの考え方は、
ゲームバランスを破壊する行為をタブーではなく、
攻略のプレイングとして愛でるべきもの、とした点で、
時代を10年は先取りしていた考え方なのではないか。
と、僕は見ていますが、皆さんにはいかがでしょうか。

 まとめます。
 ファラオ・ゲームとは、騙しを使った支配のテクニックを競うゲームでした。
が、
巻き込まれた方はたまったものではなく、
これに対抗するテクニックが求められました。
ファラオ・ゲームという概念が登場した「蓬莱学園の冒険!」において生まれた、
ファラオ・ゲームに対抗するテクニック。
というのが、オルフェウス・ギャンビット、
要するに前提条件の付け替え、
ルール解釈の穴を突きゲームバランスを破壊する行為です。
それまではエチケット違反とされていたに違いないこの行為を、
あえて、愛でるべきものとして名前付けした蓬莱学園閥の皆さんに
僕は敬意を表したいと思います。

終わり (残り時間は質疑応答で過ごす)

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