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02 昔の本は高価(たか)かった。

●12年めのコメント

12年ぶりに「町のパン屋さんのような出版社」(前回)の続きを書いている。2009年にあのエントリを発表したときは、出版関係者からもそこそこ反響があった。大手出版社を早期退職して小さな版元を立ち上げた知人の編集者は、私が書いたあのエントリの影響を語ってくれ、恐縮した。

一番驚いたのは、「たけくまメモ」のコメント欄に某有名漫画家さんが現れて、「今の出版体制でもまだ行ける」と反論(?)を寄せてこられたことだ。たけくまメモのコメント欄はココログ標準のそれではなく、レンタル掲示板を借りてそこにリンクするかたちで使っていたので、12年間放置しているうちにその掲示板サービスは消滅しており(いつ無くなったのか、それすら知らない)、くだんの漫画家さんのコメントも私のコメントも消えてしまい、具体的に引用することができなくなってしまった。

有名漫画家氏がどのような文脈で「今の出版体制でもまだ行ける」と言われたのか、詳しくは憶えてない。そのコメントが発せられたのは2009年なので、Kindleの自主電子出版サービス(KDP)が現れる3年前。そこから加速が始まった電子出版時代については、私も有名漫画家氏も、まだ分からなかったはずだ。ただiPhone3Gが日本で発売されたのがその前年(2008年)で、もはやインターネット抜きで社会は回らなくなっていた。

インターネットの発展とともに、紙出版の衰退も徐々に露わになっていた。特に雑誌の落ち込みが激しかった。雑誌の売上げのピークは1997年で、そこから2021年の現在まで、ただの一度も回復していない。2009年の段階では、まだ電子書籍より紙の売上げの方がはるかに多かったが、それが2018年に逆転してしまう(それ以降は電子書籍の売上げが順調に伸びていて、紙の売り上げ減を補う格好になり、出版全体としてはやや息をついている)。このあたりの事情は、連載がもう少し進んでからデータをもとに説明したいと思う。

有名漫画家氏の「今の出版体制でもまだ行ける」というコメントに対して、今の私なら「半分は正しく、半分は間違っている」と答えるであろう。正しい半分とは「紙書籍は残る」というもの。ただし電子書籍と共存する形で。間違った半分とは、「現在の書籍の流通販売システムは大きく縮小変質し、書店ではなくネット通販が主流になる」、というものだ。

つまり紙書籍は残るが流通販売システムは大きな変更を迫られる、と私は考えているわけである。

2009年とは大きく違っているのは、私のこの見解は、ほぼ実現しつつあるということだ。すでにネット書店であるAmazonがリアル書店を押しのけて書籍販売の最大手となって久しい。以下、私はこの見解を詳しく説明していくことになるが、最初に「町のパン屋さんのような出版社」で書いた持論の補強から始めることにしたい。

●昔の本は高価かった。

「町のパン屋さんのような出版社」の中で、私は夏目漱石「文士の生活」を例に出して明治大正時代の出版事情について考えている。このエッセイの中で、漱石は明治38年初版「吾輩は猫である」の価格・発行部数・装丁について詳しく書いており、貴重な資料である。ここで私が注目したのは定価と発行部数だ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2679_6493.html
↑夏目漱石「文士の生活」(青空文庫)

オリジナル初版「吾輩ハ猫デアル」は夏目金之助の著者名で明治38年(1905年)に大倉書店から上巻が刊行された。発行部数は漱石によれば2千部。価格は95銭である。以降明治39年に中巻、40年に下巻と続くが、その後判型を小さくして全一巻にまとめた袖珍本も出ている。袖珍本は題字と猫のイラストが金箔押しで、なかなか豪華なデザイン。

吾輩は猫である袖珍本表紙

さて、95銭という価格が、現在ではいくら位になるのか、考えてみよう。

https://manabow.com/zatsugaku/column06/
明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?

上記のブログ記事によると、明治30年代の1円は「体感価格」として現在の2万円に相当するらしい。『猫』上巻はその95%なので、およそ1万9千円になる。考えていただきたい。新人作家のデビュー単行本が、1万9千円もしたのである。明治時代の書籍がいかに高価だったか、おわかりいただけるだろうか。

芥川龍之介の検印

前回、私は書籍の奥付に貼ってあった「著者検印」の話もしたが、これは著者が版元に本の発行を認めた証明であり、発行部数ぶんの枚数の印紙にハンコを押して版元に渡し、版元は検印紙を奥付に貼り込んで販売に回した。これが貼られてない書籍は不正規出版物として、出版法により警察の取締の対象になった。

出版法には当局による検閲が制度として定められており、戦後、新憲法の発布に伴って廃止された。検印自体は昭和30年代まで残っていたが、戦後の発行部数増大にともない、非常な手間を著者と版元に強いる検印は徐々に廃止される。しかし私は、将来の出版は通常は千部以下、多くて数千部が当たり前の時代に戻ると考えており、部数を誤魔化す余地がない検印は、制度として再評価される時期が来ると思う。

私がなぜ、戦前・戦後の一時期まで出版物に検印が押されていたことを重視するのかというと、昔の本は1千部前後の少部数が多数で、その代わり高価だったことを知っていただきたいからである。1千部2千部程度なら、著者が自分で検印をおすことは不可能ではないが、これが1万部を超えたら、アルバイトを雇わないと困難になるだろう。昔の文士のエッセイには、家族総出で印紙にハンコを押す光景が書かれることがあり、新著刊行前の作家の家庭の風物詩だった。それが人気作家の証明でもあったのである。

戦前漫画のベストセラー「のらくろ」も高価かった!


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田河水泡の漫画「のらくろ」は、昭和6年(1931)に大日本雄辯會講談社(講談社)の「少年倶楽部」で連載が開始された。天涯孤独の捨て犬だった野良犬黒吉が猛犬連隊に入隊して軍人(軍犬)となり、毎回ドジな失敗を演じながらも手柄を立てて出世していくアイデアが受け、翌昭和7年に単行本第一巻が発売されるや忽ちベストセラーになった。

ドジな二等卒の新兵だったのらくろは、最終的には大尉にまで出世するが、本当は少佐に昇進させようとしたが軍から苦情が来て、大尉で除隊して民間人として中国大陸で資源開発を始める。太平洋戦争開戦直前の昭和16年10月で連載そのものが終わるが、作者の田河が当局からの干渉を嫌ったことと、いよいよ戦争が近づいて尉官であるのらくろにヘマがさせられなくなったからだと言われている。

のらくろグッズに囲まれる田河水泡

それはともあれ、昭和10年代における「のらくろ」の人気は凄まじいものがあり、何回もアニメ映画化され、お菓子や文房具、浮き輪や玩具など、ありとあらゆるのらくろグッズが発売された。漫画とアニメ、各種キャラクター商品の数々は、今で言うメディアミックス展開の初期の大成功例であり、単行本は戦前刊行の10巻だけで累計発行部数が100万部を超えた。シリーズは10巻なので1巻あたり10万部の見当だが、いったいどうやって検印を押したのだろう。家族に弟子を総動員しても人手が足りず、アルバイトも雇ったのではないだろうか。弟子だった長谷川町子も「のらくろ」の検印を押したのかもしれない。

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さて、「のらくろ」単行本の価格は1円である。昭和7年の1円にはどのくらいの価値があっただろうか。昭和初期、東京市内を走るタクシーは円タクと言われた。1円で、市内ならどこまでも走るから円タクである。

各種資料を突き合わせると、昭和初期の1円はおよそ現在の3千5百円から5千円くらいの価値があったと思われる。深夜に東京の都心部から都下の吉祥寺までタクシーを使うと7千円くらい取られるから、体感価格として5千円は下らなかったのではないだろうか。

ここでもう一度考えてもらいたいのである。「のらくろ」が、子供向けの漫画単行本にも関わらず、現在の体感価格で5千円もした事実を、である。

私が所有する「のらくろ」単行本は昭和44年に講談社が昭和ヒトケタののらくろ世代に向けて出した復刻版だが、造本も印刷も、当時の単行本を完全再現している。ハードカバー布張りの表紙で函入り、本文はカラー印刷と、とんでもない豪華本であることに注目したい。

シリーズ合計とはいえ、漫画単行本で100万部を超えたのは「のらくろ」が日本初である。現在の漫画価格の主流である5百円前後ではなく、5千円の価格の漫画が100万部を超えたのである。「のらくろ」の人気がいかに凄まじかったかということだが、漫画界・出版界における存在感としては、いまの「ONE PIECE」「鬼滅の刃」に匹敵すると言っても過言ではない。

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価格が1円(今の5千円)もするからこれだけの豪華本にできたわけだが、問題は、どうしてこれほど頑丈な本にする必要があったのかということである。

理由は「子供がたくさんいたから」という以外にはない。戦前の家庭は子沢山が当たり前で、5人兄弟姉妹、8人兄弟姉妹が普通にいた。だからこそ、上の子供から下の子供へと一冊の漫画は読みつがれ、それが数年から十年続いたのである。つまり、子供が入れ代わり立ち代わり何年も乱暴に扱っても、簡単にはヘタレない丈夫な本にする必要があったのだ。

親の立場で考えるなら、一冊の漫画が兄・姉から弟・妹へ何年間も読みつがれるのであるから、価格が1円しても、安い娯楽だったわけである。

書籍の造本と価格は、そのときの社会情勢を考えないと、なぜその造りでその価格なのか、わからないのである。

さて、戦前の書物は高価だったことを述べたが、次に、戦後になって発行部数が増加し、それに反比例するように価格が下がっていったことは何故か、という疑問が出てくる。次回は、出版の「薄利多売」への移行、それに伴う出版流通の変化についての私見を書いてみたい。

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