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マタニティリープマガジン vol.27 夫婦ともに子連れの再婚、子供と二人三脚で歩んできたシングルマザーが模索するstepファミリーの形 2回/全3回

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。先週から山本千佳さん(仮名)のインタビュー(全3回)が始まりました。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 山本千佳さん

〜山本千佳さん(仮名)のマタニティリープジャーニー〜(第2回/全3回)

千佳さんのご家族は夫婦ともに子連れの再婚のいわゆるstepファミリーです。現在は千佳さん、旦那さん、千佳さんの小学4年生の息子さんとご夫婦の1歳の息子さんの4人で暮らしています。シングルマザーで子供と二人三脚しながら母の最期を24時間介護で看取るなど、波瀾万丈な出来事もママ友のサポートを受けながら乗り越えてきたそうです。前回は離婚した旦那さんと暮らした家を出るところまでの話をお伝えしました。今回の記事ではお母様の介護と看取り、現在の旦那さんとの出会いと二地域居住のお話です。

1回目のインタビュー記事はこちら

下町を離れ、白金へ。そこで母を看取る

ーーその家を出られて、次はどこに?
白金に家を借りました。以前していたレストランの給仕やカフェの仕事の縁でそこに戻ろうと。調べると港区は保育園に2つだけ空いている枠がありました。その時は待機児童が問題になっていた頃で、保育園問題は大きかったです。そして、これまでの縁を切る意味でも生活圏を変えたかったというのがあります。そこから離婚するまでに2年ぐらいかかりました。調停している間に、実の母の余命宣告(余命半年)がありました。私が36歳ぐらいの時です。最後3ヶ月は仕事をやめて、24時間で介護をしました。当時、母が住んでいた埼玉の実家で飼っていたねこは白金に連れてくることができなかったので、週に3回白金から埼玉に通って餌などの世話をしていました。人の命が絶えること、怖かったですね。最期は夜中に亡くなったんですが、お医者さんに連絡しても、もうできることはないと言われ、1人でその時を迎えました。

ーーお姉さんはその時は?
私の姉も2回結婚していて、2回目は結婚して関東近県に住んでいたのですが、結婚後は音信不通で来てくれませんでした。結局母が亡くなってから来ました。父にも連絡を取りましたが、会うのはいいということで、最期まで母には会いませんでした。

ーーその時お子さんは?
3、4歳だったと思います。母は入退院を繰り返していたのですが、子供も一緒に病院に行ってくれていました。病室には入れないので、ドアを開けて廊下から、保育園の発表会のダンスを母に見せてくれたりしました。母の闘病生活後半は点滴のみで命を繋いでいたので、息子と一緒に点滴パックを交換したり、点滴の消毒やお着替え、沐浴なども息子は付き添ってくれていました。母は何もかも口にする事が出来なくなってしまったので、息子は母を気遣って、食事を母には見えないところで済ませてくれたりもしました。

子供との二人三脚、そしてママ友のサポート

ーーお子さんとは二人三脚で?
そうですね。子供とは二人三脚で協力して生きていました。
自分が小さかった時に自分のお母さんの手伝いをしたように、今度は子供と一緒に二人三脚でと思っていました。結局私は結婚しちゃったんですけど。(笑)
だから子供はずっと私のことを「ちいちゃん」と呼んでいました。他に家族で助けてくれる人はいませんでした。私の友達がサポートしてくれました。いまだにサポートしてもらっています。

ーー支えてくれたお友達はどんなサポートを?
シングルマザーの時期も仕事をフルタイム以上にしていた時期がありました。保育園の受け入れは7:15からだけど6:30にお友達のお家に預けて一緒に保育園に連れていってもらったり、帰宅が遅くなりそうな時は一緒にピックアップしてくれたり、お泊まりをさせてもらっていました。

現在の旦那さんとの出会い


ーーお母さんを看取られた後はどうされたのですか?

それから2年ぐらい経って、友達の友達にあたる今の旦那に出会いました。その時に今の旦那はもう離婚していて、2人の男子小中学生の子供がいました。親権は旦那が持っていましたが、仕事で面倒を見れないので、元妻のところで子供達は暮らすことになっていました。

ーー旦那さんはどんな人ですか?
旦那さんはちょっと年上。結婚するときは息子は喜んでくれました。パパができるのは嬉しいって。最初はベッタリでした。夫も子供も嬉しそうでした。

コロナを機に東京から山梨へ


ーーそのあと山梨に引っ越しを?
以前から山梨に夫が家を持っていたんです。甲府ではなく八ヶ岳の近い方に。夫婦ともに40歳ぐらいになって、今度はどこに住もうかと話して、週末に行ったり来たりしていて。コロナも影響していました。そして、息子が小学校入学をきっかけに山梨に移住しました。元々旦那の子供も住んだことがある家だったので、夫の子供と一緒に生活したりもしました。
ただ、夫の前妻が不安定な感じで、旦那が前妻との子供もひきとる、ひきとらないと話が二転三転し、言い合いにもなりました。私たち家族はいわゆるstepファミリー。連れ子同士の家族です。stepファミリーは難しいです。血のつながらない親、兄弟、男女の組み合わせも色々問題を生じさせます。カウンセリングにも行ったりして、なんとか乗り越えようとしました。子供たちは3人(私の子供1人+夫の子供2人)、その時協力して乗り越えてくれたんだと思います。

ーーお仕事はどうされました?
山梨に行っても、仕事がなかなかできなかったのは辛かったです。私の子供が小学校に入る時に山梨に移住して小学校に入ったのですが、夫の仕事と私の仕事のことを考えて、夫と私と私の子供の3人で、東京に戻るという選択をしました。(夫の子供は近県に住んでいる前妻のところに行きました。)大好きな小学校と友達がいたので、子供には負担をかけました。

第3回に続く


▪️編集後記

素敵なイラストが出来上がってきています!
マタニティリープの本が秋ぐらいに出版されます。デザイナーの方にイラストをお願いして、作成してもらっています。プロコーチのママ4人が一緒にマタニティリープの旅をガイドするママのためのライフデザインブックになる予定です。少しずつSNSやnoteでも内容を発信していきますので、どうぞお楽しみに!


<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


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