7 一旦着地編

怯えていた時代を思い返す。その原因について、嫌でも考察せねばならない時期もあったけど。

恥はかきたくないと思っていた。それは今でも変わらないかもしれないけれど。でも、恥だと思う対象は随分かわった。

下手な歌しかきかせられなかった。
そういう場所ではもう歌いたくなかった。

誰かが笑ってるって思うからだ。

ボールをつかみそこねた野球場には、近寄りたくなかった。
思い出が痛むんだ。


記憶や記録。
それらは常につきまとう。
時に消せない過去として君臨する。

でも、実はそれらは、たいしたエネルギーを有してはいないんじゃないか。

いつも無機質に横たわっている。

それに比べて、はるかに強烈なエネルギーを有しているのは、本人の意識だろう。

それを知った今の僕に、トラウマという概念はない。


怖いものは今もある。

狭い場所に潜り込むと錯乱する。
高い場所に登ると錯乱する。
大切な人を失うのが怖い。
死ぬのも怖い。

まだある。

でも、怖いものの多分全部は、未来を想像した副産物なんじゃないか。もしかしたら、ひとより想像力が強いからかもしれない。社会は平均値を越えた想像を妄想という。でも、いきすぎた妄想レベルの感度をもってなければできないなりわいで生きている。想像レベルにとどまる人々は、僕の妄想を楽しみ、オフタイムの充実のために利用する。


僕は自然や宇宙の法則に興味がある。これは趣味でもあるし、もちろん好きでもある。ただ、あまり人には言わない隠された理由もあるんだ。

恐怖要素を減らすこと。

本来あるべき自然の仕組みや法則を知ることや、それをうまく使いこなす技術を磨くことで、将来おこるかもしてないある程度の恐怖を克服できる。未然に防ぐ方法論、いざという時の対処術、耐え忍ぶための思考などの創意工夫力。

僕は、自分も含めた愛する人たちと、人生を楽しんで生きるために、そのときどきやるべきことを、そのときどきの今を、精一杯楽しみながら取り組んでいきたいんだ。

精神のある場所。
それを、過去でも未来でもない。
今にアジャストする。

それが僕が磨き得た技術であり、
メンタルジャーニーの今のところの着地点なんだ。

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