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2019年GWカンボジア旅行記

2019年のゴールデンウィークに行ったカンボジア旅行の記録です。
(有料noteとなっていますが、現地での旅行記の部分は無料です。おまけ的な個人的に持って行ってよかったものや、出発前の両替やビザ取得についてなどの部分が有料になっています。)

この記事はガイドさんの個人的見解や曖昧な情報を含んでいたり、現地の情報は変更されている部分もあるかもしれません。
旅行へ行ってから半年以上たっておりますが、行った直後に書いた文章に見出しを付けるなどの修正をして公開しています。

楽しい旅のお役に立てましたら嬉しいです。
なお、何でもかんでも書き残す悪癖で1万字以上ありますので、目次で気になる場所だけ読むなど、適宜読み飛ばし推奨です。


1日目(4月30日) 日本→カンボジア(プノンペン)

 7時40分頃に旅行会社のカウンターでチケット受け取り、全日空のカウンターへ。チェックインは機械で先に座席や荷物のバーコードを発券してからカウンターで荷物を預け入れ。
 出国手続き後は免税店へ。夜ご飯用にサンドイッチを購入してから搭乗口へ。
 飛行機は10時40分発で11時頃離陸。おつまみみたいなおかきのお菓子二回と昼食、最後に飴も貰った。現地時間14時50分頃に着陸。フライト時間約5時間50分。
 現地は36度で降りた途端物凄い蒸し暑さ。入国は良くわからずにVISAを取っていたのにVISA発行の列に並んでしまったりしていて、ちょっと時間がかかった。入国カードと出国カードは一枚の紙で切り取り線が真ん中にあって、自分で切り取ってしまった人が書き直しになっていた。税関申告書は本当に空港から出るドアの前で立ってる職員にちらっと内容見ただけで適当に回収された。とりあえず入国審査で噂に聞いていた賄賂を要求されなくて良かった。

 現地ガイドの人は出てすぐ見つかって、少ししてバスに一時間弱乗ってホテルへ。街中は開発中の大きなビルやショッピングモールと、崩れかけの低層の建物がアンバランスな感じ。大きな建物はほぼ中国資本みたいだった。車やバイクがとても多くて、トヨタやホンダが多く走っていた。
 あとはイメージ通りトゥクトゥクも多かった。道のわきで車のなかにハンモック吊って寝ている運転手さんがいたと思えば、多くのトゥクトゥクがトゥクトゥク専用と思われる配車アプリに登録されていて、進化してるんだなと思った。

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 現地ガイドの人は往復分交渉してトゥクトゥクでイオンモール位なら行っても…という感じだったけどホテルにいた旅行社の日本人スタッフは見える範囲のコンビニ位なら明るいうちは行っても良い位で、外出はあまりしない方がいいって感じだった。トゥクトゥクで目的地ではない知らないところに連れていかれたりしているとのこと。内戦終結から25年経ったとはいえ、未だに銃を持っている人も多いらしく、プノンペンは特に治安はあまり良くないみたい。
 宿泊はPhnom Penh Era Hotel(プノンペンエラホテル)。カンボジアガイドブックには、カンボジアのホテルはアメニティが無いことも多いみたいに書いてあったけど、シャンプーやコンディショナー等もあったし、バスローブやドライヤーもあった。Wi-Fiもストレスなく使えたし、空調も効きすぎなくらいきいていた。
 とりあえず今日は4時起きだったしホテルでゆっくり。テレビつけたら中国のテレビ局も改元の話題でびっくり。日本は世界上で唯一の元号使用国家とか放送されてた。NHKが映ったからみてみると、やはり平成振り返りと改元ネタ。なんだか不思議。

2日目(5月1日) プノンペン

 朝食はホテルの1階の中華レストラン。本来は2階のレストランだけど、現在改装中とのこと。今日はシェムリアップへ移動するので、チェックアウトを済ませて8:30頃ホテルを出発。今日の予定の中でホテルから一番近い、トゥールスレン博物館へ。

 トゥールスレン博物館

 トゥールスレン博物館はポルポト時代に収容所として使われ、日常的に拷問が行われていた場所で、建物の中には犠牲者の写真や拷問の様子を描いた絵や犠牲者の頭蓋骨など凄惨な大虐殺の資料が展示されていた。一万人以上がここに収容され、亡くなったとのこと。生き残ったのはたった数人。
 カンボジア全体では犠牲者は100万人とも200万人ともいわれている。現地ガイドの人は見たくないと思ったら、入口付近の集合場所で待っていてくださいと繰り返していた。また、ポルポト政権の高官で訴追されていたのは5人で、まだ生きているのは2人。それも90歳前後のため、その人たちが死んだら終わり。これ以上は裁判しない。裁判対象を広げることは、現在の政府関係者も引っ張りだすことになるから、それは政府はしないと現地ガイドの人が言っていた。中国が影で動いていたこともあまり触れられることは無い、とも。
 そして敷地内でトゥールスレンの生き残りの人がお土産物を売っていた。正確な犠牲者数は分からないらしいけれど、国民の1/3が犠牲になったともいわれる大虐殺がまだ40年前の出来事で、まだその時代の記憶を持っている人が多くいるんだなと思った。
 トゥールスレン博物館はポルポト政権以前は学校として使われていた建物で、中庭にはプルメリアの木が花を咲かせていて、とても綺麗だったけれど、晴れていて明るいのに、なんだか暗く感じられて現実味のない空間だった。その中で、まだ学生なのではと思うような若い女性が流暢な英語でガイドをしているのを見て、これから発展していくんだなと思った。

 王宮

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 次に王宮へ行った。午後からミャンマーの政府関係者がカンボジア国王と会うとのことで、午後はクローズになるとせかされた。しかし、予定があっても午前中は見学OKなことにびっくり。帯剣した警備隊が居たが、普段は居ないとのこと。王宮の外観は屋根や階段に蛇の意匠があり、寺院にも似た感じだったが、中は煌びやかなシャンデリアがいくつも下がっていてキラキラしていた。また、王様が王宮にいるときに掲揚されるという青い王家の旗が挙げられていた。
 敷地内には沙羅双樹の木があって花もついていたので、沙羅双樹の花の色ってこんな色かぁと思った。白い丸い部分の周りにピンク寄りの赤い花びらのようなものがついていて、太い幹の周りに蔓のように下がっている部分に花がついているというちょっと異様な姿でびっくりした。

 シルバーパゴダ


 すぐ隣にはシルバーパゴダがあり、王宮から直接入ることが出来た。シルバーパゴダは床一面が銀の板が敷き詰められていて、90㎏もの金の仏像があり、大きなダイヤモンドやエメラルドがはめ込まれていたり寺院だけどこちらも煌びやかだった。天井から丸いランプが吊るされていて、王宮のシャンデリアのような煌びやかさはないけれど綺麗だと思った。

 国立博物館


 シルバーパゴダの次は国立博物館へ。王宮に似た伝統的な外観の建物だったけれど、全体的に赤かった。カンボジアの遺跡の彫刻や石像などは、フランス植民地時代や、ポルポト時代、内戦時代に盗まれたり、壊されたりしたとのことで、あまりきれいに残っていないとのこと。綺麗に残っていたものがこの博物館に収蔵され、保存されているそう。
 エントランスではヒンドゥー教の大きなガルダ神の石像がお出迎え。ちょっとぽっちゃり感があってどことなくコミカルに感じた。中は中庭を囲むように展示室があって、大きな石像や、サンスクリット語の石板、オリジナルのレリーフ、船、伝統的な機織り機などが収蔵されていた。中庭も木や花が綺麗で、真ん中には仏像があった。仏像が沢山ある部屋には蓮のつぼみのような花を持った女性がいた、渡そうとしてくる。これは有料だから買う気がないなら気を付けて、とガイドさんに言われた。また、ここまで入場券は全てガイドさんが回収していて、経費精算に必要なのかな、とか一緒のツアーの人が言っていた。


 博物館見学後は昼食へ。途中、バスの車窓から独立記念塔を見た。昼食はトンレバッサックⅡレストラン。アジア料理のビュッフェだったけれど、ちょっと口に合わなかった。

 セントラルマーケット


 昼食の後は、フランス植民地時代に整備されたというセントラルマーケットへ。中央のフランスの様式の綺麗なクリーム色の建物の中はほとんどがジュエリーだったけれど、ガイドさん曰くほとんど偽物とのこと。そして、建物の周りは迷路のように店が密集していて、生の肉や魚など食品や日用品なんでも売っている為、建物内もすごい生臭い臭いがしていた。ここでは買い物をせず、近くの地元デパートへ。デパート内のスーパーでカンボジア胡椒やクッキーのお土産を買った。カンボジアは日本とは違って地上階を1階とはせずにグラウンド階1階2階…という数え方だった。

 メコン川クルーズ


 この後、シェムリアップ行きの飛行機まで時間があるとのことで、ガイドさんが全員行くならガイドするといって予定にはなかったメコン川クルーズへ。1人8USドルでアンコールビールまたはコカ・コーラ1本付き。メコン川と合流する少し上流のトンレサップ川から乗船し、少し下ってメコン川へ。メコン川の方が綺麗で、飲めるとガイドさんは言っていたけれど、どう見ても濁っていて飲んだら危険な感じがした。また、合流地点の中州には小屋が沢山立っていて、ベトナム人がメコン川を下って勝手に入ってきていると言っていた。正直、ベトナムの方がカンボジアより発展していそうなイメージだったので、意外に思った。そして、合流地点の西岸には王宮があって、王宮の目と鼻の先に不法入国者のキャンプがあるのが驚きだった。

プノンペン空港→シェムリアップ

 下船後は、プノンペン空港へ。途中、ワットプノンの前で少しバスを止めてくれて、お寺の階段下で写真だけ撮った。お寺の見学は1USドルとのこと。階段下では地雷で片足をなくした人がポストカードを売っていた。
 空港に向かう途中、ガイドさんが時々機体のやりくりが上手くいかなくて飛行機急に飛ばないことがあるから飛ばなかったら連絡くださいと言っていた。日本と違ってチェックインも結構ギリギリでも大丈夫とかも言っていた。けれど、カンボジアでは国内線でも液体物は国際線と同じ規定だから飲み物は持ち込みできないとのこと。ここまで案内してくれた現地ガイドさんはプノンペンだけとのことで、空港でお別れ。
 今度はカンボジアの国内線なのでANAではなく、現地のアンコール航空。格安航空みたいに、飲み物などは有料。カンボジア語と英語で書いてある雑誌があった。雑誌にはカンボジアの紹介と、就航している都市の観光情報などが書かれていた。遺跡の観光マナーなどが書いてあるので読んでいたら、客室乗務員の人がライトつけてくれた。飛行機は事前に18時発から18時50分発に時間変更があったのは聞いていたが、搭乗予定時刻の18時20分になってもなかなか搭乗が開始されず、20分遅れ位で19時10分に離陸。搭乗前に空港の売店RELAYで売上がカンボジアの女性の自立支援に役立てられるという14USドルのクロマーを購入した。飛行時間約50分と聞いていたけど、19時40分頃に着陸。しかしなかなか荷物が出てこなかったため、シェムリアップ空港で20分位待ったかも。

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 空港出てすぐシェムリアップの現地ガイドさんに合流して夕食へ。20時30分頃にニューバイヨンレストランに到着。遅くなったせいか、他に客が全くいなかった。ここのお店はカンボジア料理のレストランで、日本のツアーがよく使っているのか、従業員の人たちが少し日本語を使っていた。出てきたメニューはココナッツカレーや海苔が沢山入っていて見た目が黒いスープなど。味付けがみんな優しくて美味しかった。21時30分頃にレストランを出てホテルへ向かう途中、現地ガイドさんの携帯電話にホテルからまだ来ないのかと連絡が入っていた。ガイドさん曰く、カンボジア人は10時頃には寝る人が多いらしい。
 今日から3連泊するホテルはStarry Angkor Hotel(スターリーアンコールホテル)。ホテルはプノンペンの方が良かったな。エアコンの効きが悪いし、アメニティも少なめ、そして部屋ではほぼWi-Fiが繋がらない。まぁ、こんなものかなぁ。ちなみにロビーだとWi-Fiがまともにつながる感じだった。でも朝食はシェムリアップのホテルの方が美味しかった。


3日目(5月2日) シェムリアップ

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 今日からシェムリアップ観光。最初にアンコール遺跡群のチケットを購入するため、アンコールエンタープライズへ。アンコールエンタープライズはアンコールワットなどの遺跡群からは少し離れた場所にあって、建物はお寺のような、オレンジの屋根に蛇の意匠がついていた。チケットは1DAY37USドル、3DAY62USドル、7DAY72USドル。以前は20USドル、40USドル、60USドルだったそうなので、結構値上がりした印象。これで遺跡が保護修復されるならいいけれど。チケットは写真入りになるので、チケットカウンターで卓上のパソコンの外付けカメラみたいな機械で写真撮影された。ツアーだったから全員が撮影し終わるまで待ったけど、チケットは結構すぐできたかな。
 ちなみにアンコール遺跡群は地元のカンボジア人は無料で、子供の場合はパスすら要らないとかガイドさんが言っていた。だから地元住民は近所の公園へ行く感覚で、仕事終わりにお弁当もってアンコールワットにピクニックにいくとのこと。

 ロリュオス遺跡群

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 今日の観光は午前中にクメール王朝最古(8世紀末~9世紀)の遺跡であるロリュオス遺跡群のプリアコー、バコン、ロレイへ。現地ガイドさんが遺跡のエリアに入る際にチケットホルダーを1USドルで売っていた。ちなみにバスには冷蔵庫がついていて、ドライバーさんが冷やしたミネラルウォーター500ml×2本を1USドルで売っていた。この価格は遺跡群の中の露店も同じだったから、観光客に倒れられても困るだろうし、ある程度決められているのかな、と思った。売店ではポカリスエットも売られていて、こっちは1缶1USドルだった。
 遺跡に入る手前でアンコールワット遺跡群のチケット確認があり、チケットの裏には日付に相当する①~㉛の数字が縁にぐるっと印刷されていて、一日の観光の初めに該当の日付(今回は②)のところにパンチで穴を開けられた。これでこの3DAYパスを何日分使ったのか確認するらしい。

プリアコー
 最初に行ったプリアコーはヒンドゥー教の寺院で、最古なだけあって他の遺跡に比べると規模が小さめ。高さも背後の木々の半分~2/3程度しかないので、放置されると密林に埋もれてしまうのだろうなと思った。素材は砂岩、ラテライト、煉瓦で、修復された煉瓦の部分が赤々としていた。プリアコーは「聖なる牛」の意味で、名前の由来になった牛の像が建物の前に3頭鎮座している。煉瓦部分の建物はかなり崩れてしまっているけれど、ヒンドゥー教の神ガルダなどの砂岩で出来たレリーフは綺麗に残っているものも多かった。建物内のリンガは壊されていて、ヨニだけが残っていた。

バコン
 次に行ったバコンはプリアコーと比べるとだいぶ規模が大きかった。アンコールワットの原型とも言われている最初のピラミッド型寺院で、大きな環濠もあった。参道脇の欄干は大きな蛇神のナーガだった。登れる遺跡だったけれど、立ち入り禁止のロープとかもなく、そのままの遺跡に入れるのでびっくり。ピラミッド型なので当然上の方に行くほど狭くなるけれど、転落防止柵とかもなく、狭いところで観光客がすれ違ったり、物売りが常駐していたり、結構スリリングだった。

ロレイ
 最後に、ロレイへ。4つの建物がある寺院で、現在修復中のため足場が組まれていた。ガイドさんいわく、いつ修復が終わるか分からないとのこと。ここは四方に聖水を流すリンガが残っていた。この隣には現役の仏教寺院があった。



 お土産屋さん“カンボジアティータイム”

 午前中の遺跡観光はここまでで、この後カンボジアティータイムという日本人経営のお土産物屋に行った。このお店の名物のカンボジア伝統菓子ノムトムムーンをはじめ、胡椒やチョコレート、コーヒー、カシューナッツ、クロマー、石鹸、代表的なカンボジアのお土産は大抵売っていた。お店の前でノムトムムーン作りを実演していた。店員はカンボジア人と日本人。でも、商品知識はカンボジア人店員の方があるみたいだったし、カンボジア人の店員さんもある程度日本語が通じた。価格は高め。基本はドル払いだけど、その日のレートが書いてあって日本円でも決済可能。クレジットカード払いも対応しているけど、3%の手数料がかかる。


 お昼ご飯はアマゾンアンコールというレストランへ。綺麗で、ステージも備えた立派なカンボジア料理のレストランだった。食事をしたのは離れのような別棟の建物で、名物のアモックやココナッツカレー、空心菜の炒め物や焼きそばが出てきた。アモックはココナッツジュースとスパイスで白身魚を煮込んだもので、笹のような葉っぱの器で小さく盛られていて、癖や臭みもなくまろやかで美味しかった。デザートはかぼちゃプリンで、ここにきて初めてかぼちゃの語源がカンボジアから来ていると知った。プリンはかぼちゃの中にミルクプリンを入れたものを切った形で、日本のかぼちゃプリンとは全然違うものだった。
 昼食の後は、ホテルに戻って1時間半ほど休憩。13時~14時半。一番暑い時間帯にホテルでの休憩が設けられていた。でも、ホテルの部屋はカードキーを挿さないと空調も作動しないから、部屋が暑い…。

 バンテアイスレイ遺跡


 休憩後の午後の観光は中央神殿に刻まれた女神像が“東洋のモナ・リザ”として有名なバンテアイ・スレイ遺跡へ。シェムリアップ市街からは40㎞位離れているので、バスで1時間くらいかかった。ほとんど綺麗に舗装された道だったけれど、一部はかなり揺れる部分があった。
 バンテアイ・スレイ遺跡は10世紀後半に建立された寺院。女の人によって造られた寺院だそうで、名前も「女の砦」を意味する。女性の手による寺院のため、アンコール遺跡群の中でも特に彫刻が細かいとガイドさんが言っていた。実際、植物や女神のレリーフは精緻で見入った。東洋のモナ・リザはロープがあって近くまで寄れないので、今回のために購入して日本から持参した双眼鏡でみた。5mくらいは離れていたかな。購入するときにどの倍率にするか迷ったけど、8倍の双眼鏡で十分細かいところまで見えた。一眼レフカメラもあらかじめ普段使っている標準ズームレンズから望遠レンズにチェンジ。標準レンズのままだとあまり大きく写せない距離だったので、東洋のモナ・リザを撮るには変えて正解だった。ちなみに使用機材はEOS Kiss Mのダブルズームキット。

 プレループ遺跡

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 この後は夕日鑑賞のためプレループ遺跡へ。ここもバコンのようなピラミッド型の遺跡で、ここは登る用の手すり付きの階段が遺跡の上に設置されていたけれど、急な角度で登るのは結構大変だった。夕日を見るのにこの遺跡は条件が良いらしく、遺跡には夕日を見るために沢山の観光客が来ていた。遺跡の上には転落防止柵などは全くないのに、観光客の多くは遺跡の縁に座って足を投げ出していて、結構怖いなと思った。遺跡の西には密林が広がっていて、その上に浮かぶ真っ赤な太陽が幻想的だった。日没は18時20分頃だったけれど、地平線近くの雲が厚くて日没は見られなかった。太陽が雲に隠れると、薄暗くなると危ないからか、係員がホイッスルで降りるように促してきた。遺跡の下には沢山の物売りがいたけれど、降りる頃には店じまいし始めていた。

 アプサラダンス

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 夕食はKoulen II Restaurantで宮廷舞踊アプサラダンスを鑑賞しながらアジアン料理のビュッフェ。このレストランは屋根だけの半屋外みたいなレストランで暑いため、皆さんはビュッフェは生野菜などは避けた方がいいとガイドに言われた。上にはファンはあるものの、暑く、ちょっと辛かった。席は真ん中の列で、前に日本人の団体1つだったため、前の方で良い席だった。前にいた団体は添乗員付きのツアーだったので、さらにツアーのグレードが高くて良い席だったんだろうなと思った。アプサラダンスは19時半から約1時間に渡って色んなダンスが披露された。漁民の恋の物語や伝説にまつわるような物まで演目は様々。ダンスしている演者の多くは高校生のアルバイトらしいけれど、独特な手や足の動きがしなやかで、また、伝統的な衣装も綺麗だった。恋の物語では欧米系の団体が囃し立てたりしていて、国民性が出るなぁと思った。ここでのドリンクにはメニューの料金にプラス10%が上乗せされた。税なのかサービス料なのかはよくわからなかった。ショーの後、演者が舞台でカーテンコールした後に残って、観客と写真を撮るのに応じていた。出遅れて演者の帰り際に声をかけても少し残って写真撮影に応じてくれて、親切だった。今日はここまでで、ホテルへ。


 シェムリアップのガイドさんは何度もカンボジアは安全になりました、観光地は地雷の撤去が完了しています、内戦が終わって平和になったのでみんな仕事終わりに飲みに行ったりナイトマーケットに遊びに行きますと繰り返していた。実際、車窓から見ていると夜でも広場のようなところには地元住民が男女問わずのんびり過ごしていて、平和になったんだなと思った。


4日目(5月3日) アンコール遺跡群

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 今日はオプショナルツアーのアンコールワット朝日鑑賞からスタート。朝5時にホテルを出てアンコール・ワットへ。シェムリアップの市街から近いので、15分位で着いたかな。アンコール・ワットの少し手前で係員がバスに入ってきてチケットのチェック。③にパンチで穴を開けていた。バスを降りてからアンコール・ワットの環濠沿いを歩いて参道へ。懐中電灯が必要なほどは暗くなかったけれど、端によって歩くと凸凹に少し足がとられそうになった。
 環濠を渡る橋の前でまたチケット確認。中央の正規の参道は現在ユネスコと日本の大学が共同で修復中とのことで、右側に架けられた浮きを繋げたような浮き沈みする橋を渡ってアンコール・ワットの中へ。アンコール・ワットの日の出は人気で、沢山の観光客が来ていた。今回の団体ツアーでも19人中17人が申し込んでいた。
 アンコール・ワットを見る人気のスポットは右側の水たまりに写るアンコール・ワットらしいけれどかなりの人だかりと、日の出前のせいで日中あまり見かけなかった蚊のような虫が柱になっていて、あまり近寄れなかった。日の出は5時50分頃で、今の季節は遺跡に向かって左側から昇ってきた。赤い朝日がヤシの木やアンコール・ワットのシルエットを映し出すのが幻想的だった。少し上の方に雲があったので、しばらくして朝日は雲に隠れてしまった。
 春分の日にはアンコール・ワットの中央真後ろから太陽が昇るように計算されて建てられているそうで、そうした高度な文化を持ったアンコール王朝が突如こうした建物を放棄して消えてしまったのは本当に不思議だなと思った。ちなみに、アンコール遺跡群は東向きに建てられているが、アンコール・ワットは西向きに建てられている。ガイドさんによると西は死を表す方角で、カンボジアでは今でも西枕は縁起が悪いとされているそう。西向きに建てられているアンコール・ワットは王の霊廟という説もあるが、何故西向きなのかはっきりしないらしい。通常の観光は写真を撮るのに順光になる午後が良いとのこと。
 7時頃にホテルに帰ってきて朝食。昨日より30分程度早く食堂に入ったせいか、人が少なめだった。スタッフが作ってくれるフォーのような麺料理と卵焼きが美味しかった。

 アンコールトム


 8時半に再びホテルを出発。バスで午前中は城壁都市アンコール・トムとタ・プロム寺院へ。アンコールは都市、トムは大きいの意味とのことで、大都市という名称とのこと。四面仏が綺麗に残る南大門から入ったけれど、この門を自動車がガンガン通っていくのにびっくりした。幅も狭く、人通りも多いから速度度出すような車はもちろんいないけれど、ぶつかったりしたら危ないのでは、と思った。
 アンコール・トムは大都市というだけあって広いため、南大門を歩いて通り抜けてからまたバスに乗車してアンコール・トム内のバイヨン寺院へ。バイヨン寺院のあたりでは、寺院を一周する象に乗る体験もやっていたけれど、今回のツアーではなし。バイヨンも東向きの寺院で、沢山の塔があり、それぞれに四面仏が彫られている。沢山の観世音菩薩の顔が並んでいて圧巻。登るとすぐ近くにお顔を見られる。穏やかなクメールの微笑みを浮かべている。
 次に行ったバプーオンは登らず見学。バプーオンとは隠し子の意味で、クメール王が息子を守るためにこの寺院に隠したという伝説があるそう。かつてはバイヨンよりも高かったらしい。
 この後に王宮跡のエリアにある寺院のピミアナカスへ。ピミアナカスは天上の宮殿という意味で、9つの頭を持つナーガが棲み、クメールの王は毎夜ナーガと契らなければ王は死に、王国に災いが降りかかるという伝説が残っている。
 次に王族の閲兵等に使われた王宮前にある象のテラスへ。階段の左右にずらっと象の彫刻が並んでいた。また、ハンセン病に侵されていたライ王の像が安置されているライ王のテラスには、壁一面に神々の彫刻があり圧巻だった。

 タ・プロム寺院


 ここからまたバスに乗り、タ・プロム寺院へ。発見当時の景観のまま保存する方針とのことで、巨大な樹が遺跡を覆うように生えていて幻想的な景観だった。ここ見どころ!みたいなところには木の板が遺跡の上に張ってあって、そこで観光客みんな写真を撮っていた。


 昼食はパラダイスアンコールヴィラホテルにて飲茶の昼食。この日から体調を崩していて、腹部の不快感や頭痛などがあり、普段は平気な辛味のあるスープもほとんど飲めなかった。この後、日本人が経営するアンコールクッキーへ行き、クッキーを購入。ここがアンコール・ワットの形のクッキーの発祥みたい。
 お土産購入後は今日もホテルでの休憩。この頃には寒気もし始めて、とりあえず寝て過ごした。

 アンコールワット


 午後の観光は朝日を見に行ったアンコール・ワット。カンボジア観光でここは外せない。ということで、休んだら体調も少し回復したためアンコール・ワットへ。アンコール・ワットとアンコール・トムの違いはアンコール・トムが仏教の影響が強いのに対し、アンコール・ワットはヒンドゥー教の宇宙観を地上に再現している。
 遺跡に入ると、正面入り口付近に内戦時代の弾痕が残っていて生々しかった。第一回廊に入る前、右側にトイレが設置されていて、アンコール遺跡群は比較的綺麗なトイレが無料で設置されているところが良いなと思った。ここのトイレでは猫が入り口で伸びた状態で寝ていて、平和になったのだなぁと思った。
 アンコール・ワットの内部のレリーフは繊細で、柱などいたるところに彫刻が施されていた。第一回廊のヒンドゥー教の天地創造の物語である乳海攪拌や天国と地獄の図を見たけれど、以前は地元の人たちが彫刻を触ることが普通だったそうで、よく触られていた物語の主要な人物や神様のところが黒ずんでいた。ガイドさんが柱の女神のレリーフを指して、胸の部分がよく触られていたから黒くなっていると言っていた。ちなみに、シェムリアップは隣国タイとの戦争の歴史があるそうで、地名もシェム(現タイ王国の地域の国シャム)リアップ(追い出す)という意味だという。
 行った日は仏教の日で、第三回廊はクローズ。開いていると1時間位並ぶこともあるらしい。そのせいか想像していたより空いていた。教科書にも載っていて有名なインドと間違えた江戸時代の日本人の落書きも案内してくれたけれど、薄くなっているのかどれがそうなのかよく分からなかった。
 帰る頃になると西向きのアンコール・ワットは夕日に照らされて、赤く美しかった。また、涼しくなってきたからか、参道に猿が何匹も出てきていた。日本だと襲ってくるイメージの猿だけど、ガイドさん曰くアンコール・ワットでは地元の子供は猿と遊んだりするとのこと。


 アンコール・ワットの後に夕食へ。トロピカルレストランでクメール鍋を食べた。遺跡を観光している間はハイになっていたのか平気だったが、夕食時になって再び体調悪化してあまり食べられなかった。鍋はつけだれに辛味がある以外は優しい味で、沢山の白菜とか白身魚のすり身を海苔で巻いたような具材があって親しみやすかった。最後は残った具材を取って、鍋にご飯と卵を入れて雑炊にしてくれた。食欲が落ちていたので、食べやすくてありがたかった。
 この後はホテルに帰るだけだったけれど、希望者はクメールマッサージに行っていた。私はこの頃には寒気も感じたりしていたのでパス。ガイドさんは優しいマッサージだと言っていたけれど、行った人は結構ハードだったとのこと。1時間で15USドルで、良ければチップを1USドルあげてとのことだったので、結構安いなと思った。

5日目(5月4日) シェムリアップからプノンペンへ


 今日は観光しつつバスでプノンペンに行き、22時50分の便で日本へ。最初にベンメリア遺跡へ行き、次にスピアンコンポンクディを観光。

 ベンメリア遺跡


 ベンメリア遺跡はアンコール遺跡群のチケットに入っていないため、別でチケットが必要。5USドルだったかな。東のアンコールともいわれていて、アンコール・ワットとも類似点が多いという。ベンメリア遺跡にはほとんど綺麗な形で残っている建物はなく、しかしそこに樹木が生い茂っているのがとても幻想的に見えた。タ・プロム寺院も遺跡に巨大な樹が生えていたけれど、ベンメリア遺跡は建物のほとんどが壊れている点で無常観のような物を感じた。
 また、アンコール遺跡より欧米系の観光客は少ないとガイドさんが言っていた。天空の城ラピュタのモデルのように言われて日本では知られているけれど、知名度がアジア以外では低いのかな。アンコール遺跡群は1998年に観光解禁になったが、ベンメリアは隣の寺院の地雷除去が進まず、観光解禁になったのは2010年から説明されたので、1986年公開のラピュタのモデルということはないんじゃないかなと思った。しかし、遺跡の中を観光客が歩き回っても安全な程度になったのが、まだ10年も経っていないことに衝撃を受けた。この旅行の中で、遺跡の参道で地雷で体の一部を失った人が楽器を弾いているのに遭遇したこともあり、まだ内戦の記憶は爪痕は生々しく残っていた。

 スピアンコンポンクディ


 ベンメリア遺跡観光の後はアンコール時代の橋スピアンコンポンクディへ。今まで見てきた遺跡と同様に欄干にはナーガの彫刻があり、比較的綺麗に残っていた。橋は本当に民家の一角にある感じで、地元民が次から次へバイクで渡っていたけれど、さすがに車は通行禁止になっていた。川は乾季のため流れるほどの水量はなかった。ひっそりとしている観光スポットだったけれど、観光客の写真を撮って売っている人がいた。また、橋のすぐ脇の家は1000リエルでトイレの貸し出しをしていた。私は使わなかったけれど、使った人曰く水栓の綺麗なトイレだったらしい。


 ここからはひたすらプノンペンへ走り、途中で給油のためかガソリンスタンドで休憩を挟み、Glorious Hotel and Spaにて昼食をとった。カンボジアのガソリンスタンドには大抵コンビニのようなお店が一緒になっていて、ツアー中ガイドさんがカンボジアとタイにはコンビニが沢山あるけど、ベトナムには無いとか言っていて、本当か?とか思った。立ち寄ったところにはコーヒーショップが併設されていたので、エスプレッソを飲んだ。しかしコーヒー豆の原産国はカンボジアではなくタイだった。コーヒーメーカーはWMFを使っていて、店内もスタバのような綺麗な感じだった。


 昼食をとったGlorious Hotel and Spaでは、カンボジア料理を食べた。このホテルはリゾート感溢れる感じだったけれど、シェムリアップの隣県であるここはあまり観光スポットがないとガイドさんが言っていたので、どんな人が泊まるのだろうか。カンボジアの人のリゾートなのかな。昼食はご飯を笹のような葉っぱで円錐形に巻いていたのが印象的だった。あとはスープや白身魚のソテーのような物とか、ごま油で茎のような野菜を和えた様な物が出てきた。全体的に辛味はなく食べやすい味。デザートはドラゴンフルーツとオレンジと一緒に、ここでもかぼちゃプリンが出てきた。この旅行中、何回かドラゴンフルーツを食べたけれど、いまいち美味しいと思わなかったがここで食べたドラゴンフルーツはちゃんと甘みがあって美味しかった。そして、ここまで一度も飲み物の精算で領収書が出てきたことはなかったのに、ここはレシートが出てきてびっくりした。


 この後はずっとプノンペンの夕食のレストランまでバス。プノンペンに近づくにつれ、立派なマンションやショッピングモールが建設中で、そのほとんどが内資ではなさそうだったけれど、これから発展していくのだなぁと改めて思った。ガイドさん曰く、かつてはポルポトの大虐殺で廃都と化したプノンペンに対して、みんなおばけが出るのではと怖がっていたけれど、今はみんな土地を欲しがっているとのこと。そんな街並みを見つつ、日本が架けたという日本橋の隣の中国が作った橋を渡ってプノンペン中心市街へ。


 夕食は華南大酒楼にて中華料理を食べた。飲み物の値段がシェムリアップのレストランより高かった。やっぱり首都の方が物価が高いのかな。夕食後に外に出るとすっかり暗くなっていて、バスに乗るまでの短い間バイクやトゥクトゥクや車が入り乱れる道の脇を歩いたけど、ガイドさんがバイクはスリだから気を付けてとのこと。やっぱりプノンペンの方が治安が悪そう。ここからバスでプノンペン空港へ。

 プノンペン空港

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 プノンペン空港には20時前に到着。出国の手荷物検査では靴も脱いでX線検査機に通させられて、靴に何か隠し持っていることが多いのかなと思った。搭乗する便は22時50分だったので、それまで空港の免税店を覗いてクロマーやコーヒー、ご当地マグネット等を買った。また、スターバックスもあった。
 帰りも全日空で成田へ。ほぼ時間通りの運航。深夜便なので、離陸後しばらくしてスナックと小さなミネラルウォーターの詰め合わせが配られた。

6日目(5月5日) カンボジア→日本

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 帰国便は機内食1食付きで、そちらは朝食として到着1時間前くらいに配られた。パンケーキとパンプディングの洋食を選んでみたところ、さらに丸いパンとうどんが付いてくるという炭水化物尽くしの謎なメニュー構成だった。

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途中、気流が悪いところを通過するので、乗務員も着席するアナウンスがあったけど、あまり揺れることなく成田についた。フライト時間が微妙であまり眠ることが出来なかったけれど、夜明けの空は綺麗だった。
 到着予定時間は日本時間6時45分だったけれど、20分位早く到着した。入国審査は機械だったので、帰国のスタンプも省略されていたけれど、帰国のスタンプが必要な場合もあるらしく、帰国スタンプを押してくれるカウンターがあった。私は必要な場合に当てはまらないようだったけれど、念のため押してもらってゲートを出た。
 そして無事帰宅。今回体調は崩したものの、心配だった治安面で危険な目にも遭わずに帰ってくることが出来た。おわり。


さて、ここまで読んでくださったそこのあなた!ありがとうございます!
カンボジア旅行に行く!もしくは計画中!という方が多いと思いますので、少しでも参考になれば幸いです。

では、読んでくださった皆様の旅行が楽しいものとなりますように。


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