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もうすぐ東京を去る私は川崎の光を追った

(この記事は、「夕方、真南に輝く謎の光を追って自転車に乗る日のために」の後日談です)

 2023年10月、木曜日の19時、都内某所の職場にて。
 社員のKさんが赤字の最終チェックの手をとめて、腕を頭の後ろに組み、「あー、これ、明日の下版無理じゃね?」と怒りをこめて天を仰いでいた。
 年に数回出しているタウン誌の校了日。メイン担当の社員がKさんからNさんに替わったものの、どうにもなにもかもがうまくいっていなかったらしい。
 
 私はお手伝いのパートにすぎない。すでに自分が担当している分の赤字をまとめ、社員に渡したところで私の仕事はもう終わった。しかし、Nさんの担当部分がどうにもとっちらかっている。たくさんの店のデータを掲載するのだ。営業時間や電話番号を間違えるような事故が起こると大変だ。いつにも増して漂った殺伐とした雰囲気に、私はすみません、すみません〜といいながら会社を後にした。

 外はもちろん真っ暗。もうこんな日が1か月以上続いている。長期でのんびりやっていた地図系の書籍の仕事が終わって、私もこの業務に巻き込まれた。
 以来、一度出社したら最後、トイレに行くのも気が引けるくらいの多忙が続いていた。もう長いこと、昼はモニターを見ながらおにぎりを食べてばかりだ。

 ようやく終わるのに、全然せいせいしない。お昼、今日も少ししか食べていないのでおなかがすいた。セブンイレブンでクレープを買い、かじりながら駅まで12分の道を歩いた。涙が出た。手が塞がって、一緒にあったかいお茶を飲むこともできない。脚はむくみすぎてパンパン、歩いているだけで攣りそうになる。

 心が弱っているのは、ここしばらくよく眠れていないからだ。
 来年から夫と離れて地方で一人暮らしせざるをえない状況になった。その宣告を受けてから、ショックと不安と、無限にあるように思える用事のことを考え、眠れない日が続いた。私はかつて患ったひどい不眠症のトラウマを抱えている。不眠症というより不眠恐怖症だ。薬が効けば御の字。翌日が出勤の場合、迫る起床時間への緊張感に薬がまるで効かないことあった。そして、明日も出勤だ。

 私はこの後、「明日も仕事なのに? 眠れていないのに? こんなに疲れているのに?」という言葉をうちやって、とうとうあの、「真南の光」を追いにいったのだ。今夜もこのまま帰って早く布団に入ったろころで眠れないに決まっている、だったらもう、夜遅くに帰宅したって同じだ。

*
 真南の光。
 坂の途中に建つマンションの、3階の私の部屋から、真南の方角に見える謎の光。
 それは秋冬の日没以降だけに現れる、マイナス10等星のような光で、ひとつだけ強く何時間も輝く時もあれば、ふたつ並んで弱く輝き、しばらくして消えることもある。
 今年もここ最近、夕方早くから現れる日が増えてきた。あの光は、暑さが去る頃に毎年現れ、星の輝きと同じように、寒さが緩むと弱々しく消えていく。理由はわからない。

 東京を離れる前に、いつかあれを探しに行こうと思っていた。

クレーンのから少し離れた右にあるぽつっという光がそれ。
寒い季節だけ現れることに気づいたのは実は最近だ

 それが川崎あたりの工業地帯で、ガスを煙突から排出して燃やすことで無害化する「フレアスタック」という事象であることは、調べればすぐに予想されることだった。
 が、私の部屋から見るあの光のもとには、どうにも煙突が見あたらない。そして、光はあまりに長時間不動なのだ。その光の力強さと少しつぶれた形状。ゆらめきというより瞬き。炎というよりも、ほとんど星だった。

 真南、おそらく川崎の工業地帯は、自宅よりも職場からのほうが近い。今より寒くなったら、もうきっと行けないだろう。東京を離れる前に、寒くなる前に、あれを追いにいかなければ。

 私はよれよれの体をひきずって、電車とバスを乗り継いだ。大混雑の京浜東北線で揉まれて汗をかく。我ながら酔狂だと思った。早く帰って寝ろ。いや眠れないんだよどうせ。やけくそだ。
 川崎駅からバスに乗り込み、脚をさすりさすりしながら路面図を凝視する。このイベントはもっと楽しく、自由な気持ちで実行するはずだったのに、こんなタイミングで、こんな気持ちでいいのかとまだ自問する。
 湾岸へ向かうバスはどんどん周囲が寂しい闇になり、乗客も減っていく。自宅からの方角だけを頼りに、自宅ベランダの真南にあたる場所、浜川崎駅付近を目指した。

 前に書いたとおり、当初は自転車で午後から光を探して、少しずつそのあたりに向かって接近するイメージだった。が、残念ながらそんなことができる時間は平日に確保できなかったし(光は主に平日に現れる)、川崎の湾岸エリアではシェアバイクも少ない。バスのほうがかなり微細に工業地帯エリアをめぐるようだし、うまくいけば車窓から光を見つけられるかもしれない。
 車窓の外を見回す。が、街の灯りしか見当たらない。おそらく海抜0メートル地帯、地上から見えないあの星。

首都高が通る。下道も私が運転するにはまだ技術が経験が足りなさそうだった

 降り立ったバス停は「浜川崎駅前」という名とはうらはらに、完全にクルマだけの世界だった。ひとっこひとり歩いていない。駅はどこだ。クルマだけが猛スピードで走り抜けていく。歩行者なんてみんな見落として跳ね飛ばしていくのではないか。女がひとりで歩いていたら複数人の男がやってきて身ぐるみはがされても誰にも目撃されないのではないか。緊張が走る。

 少し歩いて脇道を見ると、小さな駅舎のようなものが見えた。バス停から駅はやや離れているらしい。しかし、駅に近づいても人はほとんどいない。
 この駅、南武線から鶴見線に乗り換える時は一度改札を出て道を渡るらしい。

鶴見線のこのあたりは、さすがに本数の心配と車内で浮く心配から乗れなかった。

 駅のまわりを歩いてみる。駅舎の陸橋を上がれば遠くが見渡せるのではないかと思ったが、鶴見線の駅は改札を通らないと階段まで行けなかった。加えてこの改札は、ほとんどJFEスチールの社員しか利用しないらしい。
 
 駅舎を出るとすぐ近くに踏切がある。電車のこない線路のむこうは開けている。線路のど真ん中にたって、ぐるりと見渡す。夜の闇と線路沿いの灯りくらいで、それらしい光は見えない。というか、あの光が、多少近い距離感になったららどんなふうに見えるのか、想像もつかない。

こんな感じ

 結局高いところにのぼれなければ、近づいたところで何もわからないんだな。と、私はふたたびバス停に向けて歩き出した。諦めた。また車窓から見えたらラッキーだ。もう、帰りたい。
 すると、バスが私を追い抜いて今にもバス停に着こうとしていた。私は走り出した。すると、「いつも開いているでおなじみ」の私のリュックの口から、仕事の書類やら明日のパンやらがこぼれ落ちるという漫画展開に。カバンに入れたままのヘルプマークもある。ヘルプマーク持ってる人間がなにやってんだ。こんなんだからヘルプが必要なのか。
 必死でひろいあげた私物をリュックにしまう間もなく、冷酷にもバスは走り去った。

 次のバスは20分後だ。待てない時間ではない。
 しかし、何もしないで立っているのは脚がもう限界だ。スマホで調べてみると、次の上りの南武線も20分後。しかし、ただ誰もいないバス停に突っ立っているよりマシだと、私は駅に向かってふたたび歩き出した。
 このまま帰るのは悔しい。いや、もちろん、ここまでやってきただけでじゅうぶん勇気を出した。その結果「わからなかった」でも後悔はしない。だけど、私はベストを尽くしたか? 心残りはないか?

 「地元の人に訊く」という、さっきうっすら思いついた名案を実行するかどうか。
 
 駅員さんが暇そうにしていたら話しかけてみようかとも思った。公共の人である。が、浜川崎駅は、なんと無人駅なのだった。
 
 あれしかない。
 駅前にたった1店だけ、商店がある。
 コンビニも薬局も病院も不動産屋も、なんなら普通の民家すら見当たらないこの駅前で、1店だけ、異常に人口密度の高い建造物があるのだ。サッシの外から見るに、それは、タバコやヤマザキのパンやクレンザーや石鹸を売っている離島の「商店」とは違い、どう見ても立ち飲み屋だった。もしかしたら昔は本当に「商店」だったのかもしれない。
 注文の多い料理店。オーケンの店。中は労働者。

 おかしいよ、酔っ払いしかいないところに、下戸の、文系の、ボーダーにメガネが突入したって、奇異の目で見られるだけだろ。
 というこれまでの自分の意見の横から、「いや? どうせいつも同じメンツで話すネタも尽きているおじさんの中に、何か訊きたいといって女が入ってきたら、みんな得意気に話すじゃん? そんで酔っ払ってるし後で相手何も覚えてないし気にもかけないだろ」

 私はもうすぐ東京を離れる。
 私はサッシをがらりと開けた。

 正面のカウンター越しに鋭い眼差しの店のママ。煙を吐く労働者たち。
「すみません、このあたりに詳しい人にお訊きしたいのですが…」

 いっせいにこちらを見るおじさんたち。
 このあたりからもう少し南の海側に、毎日不思議な光が灯っているのだが、あれはなんだ。ひとつだけのこともあれば、たまにふたつ同時のこともある。何時間も同じ場所に光っている。だいたい平日の夕方から夜に現れる。
 そして、想像どおり、複数のおじさんが一度に、口々に話し出した。
 彼らは周りなど気にせず自分の言いたいことを自分のタイミングで言う。

 正面のリーダー格のおじさんは、工業地帯OBだろうか。あれはな。石油とかガスとか…と、想像どおり、フレアスタックの説明をする。
 「でも、どうにも煙突が見えないんです。煙突から出ているようには見えないんです。というと、
「あの煙突は意外と細いぞ」とマジレスしてきたので、そうなのか、だから見えないのか? と自分を納得させようとした。
 そのやりとりの左横で、もっと年のいったおじいさんが、「あれはなあ! 東京オリンピックの聖火だよ! 50年前のがさあ! ずっと光ってんだっておれはみんなに言ってんだ!」とタバコの煙を私に吹きかけながら大きな声で話す。
 「その光は今日も出てるの?」とママが鋭い質問をする。「それが…今日は高いところに登っていないのでまだ確認できていないんです」と答える。しまった、在宅勤務中の夫に今日みえるかどうか訊いておけばよかった。ママは、工場労働者を相手にしながらも、たぶん今まで光のことを気にしたことがないんだろうなと思った。ママが見ているのは人。

 「あと、なぜか秋冬にだけ現れて、今年も少し前からちょっとずつ出てくる日が増えたんですよ」と私が言うと、右横でここまで静かに話を聞いていた、たぶん工場帰りの男性が、「石油の需要が増えるからだよ」とぽそっと言った。
 …そうか! 工場と関連していそうなら、なぜそのことに気づかなかったんだ。私は少し恥ずかしくなった。この男性、たぶん現場でもぽそっと的確なことを言って、寡黙だけれど頼られているタイプの人なんだろう。と、私は一瞬で一目置いた。

 結局酔っ払いのおじさんたちが口々に言う情報を集約すると、その光はT石油工場のフレアスタックであるという予想どおりの答えでしかなかった。どんな感じで店を後にしたか覚えていないが。
 わからないながらそこで一緒に酒を酌み交わせばいいオチになったろうが、私は酒が飲めない。タバコもちょっと耐えられない。結局、次の電車に乗れたのだと思う。

電車の時刻の前後には少し人が増える

 あの光がなんだったか、もはやどうでもよくなっていた。私はひとり笑いながらホームでひとり電車を待った。
 あのずっしりとした、胸のつかえと痛みが取れたのはどれくらいぶりか。よくやった。これで東京から離れても大丈夫だ、と思った。
 特に新しい情報が得られたわけではなかったが、あ、私、世界に対して開きはじめたな、と思った。
 本来私はそうだった。さらに、ここ数年少しだけ編集業務に復帰したことで(しかも、蒲田界隈で商売をしている人とたくさん接した)、「発病前の自分」とか「本来の自分」ともまた違う、別の扉が開いていたのを知った。
 長い長い時間止まっていた時計は、今動いたのではなく、本当は少し前から動いていて、すでに発病前とはまた違う地平に私を連れていたのだ。
 当たり前だ。みんなそうやって進んでいる。老化しているようで進んでいる。私だけが、「昔の自分に戻ること」がすべてだと思って生きてきてしまっただけなのだ。
 電車が武蔵小杉に近づくと、ようやく乗客も普段からよく見る雰囲気の人たちになってきた。ほっとした。と同時に、ああ、終わってしまったな、と思った。
  
 私は気分転換というものを信用しない。気分なんか転換している暇があったら身体を休めたほうがいいとずっと思っていた。が、あの殺伐とした校了日の職場を出てからたった2時間半の旅を終え、世界は変わっていた。その晩眠ったのは1時を過ぎてからだったが、私は6時間弱、しっかり眠って元気になり、翌朝何事もなかったかのように同じ職場に出勤し、昨晩もっと遅かったであろう社員たちを器用にねぎらった。
 以来2週間ほど、私はおおむね普通に眠って過ごすことができている。


あれが本当にフレアスタックならば、京浜工業地帯の工場夜景を見るクルーズツアーを利用するという方法があるなと思っている。近くで見てみれば、なるほどあれが遠くなるとあんなふうに星のように見えるのかと合点がいくのかもしれない。それはそれは美しいのだろう。今年の誕生日あたりにでも夫と乗船してみようか。
 が、きっと、その記憶はそれとして別のフォルダに保存されるのだと思う。
 おそらく、私が東京を離れても思い出すのは、部屋から見る光と、それを追いにいく想像と現実の自分、そして浜川崎駅前の光なのだ。

※追記:在宅勤務していた夫によると、私が光を追っていた時間帯、自宅からあの光は見えていなかったらしい。また、帰宅後22時ごろから、光っているのを私が発見
※フレアスタックをよく発生させているT石油は、私の部屋からは真南ではなく、実はやや東に寄っている
※浜川崎エリアには、「鋼管通り」とか「夜光」とか、趣深い地名がいくつかある。「夜光」は漁師の目標として陸で焚いた松明のことらしい








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