自分を辞めたいと思う時

2018年の秋から、僕のうつ病は何度目かの悪化をしている。
もともと鬱状態と「ちょっとマシ」状態を行ったり来たりする生活をしているので、ある程度なれてはいるが辛いものは辛い。
暖かくなればきっと良くなるという希望と、春が来ても辛いままという不安、そして次の冬にはまたうつが悪化するという確信の絶望を日替わりで味わいながら過ごしている。

鬱になると、自分が自分であることを辞めたいと思う。そんなことできるわけもないのだが、そうすればこの苦しみから逃れられるのではないかと考えてしまう。一番確実なのは死ぬことだろう。だが、幸いにもそれを選ばずに済んでいる。

今まで自分として過ごしてきた記憶と、これから過ごすであろう未来。それが全て暗いフィルターを通して見えてくる。冷静に考えればそう悪いことばかりでもないだろうに、なにもかもが取り返しのつかない過ちだったと思ってしまう。医学的には、これはうつ病の症状なのだろう。でも僕にとっては「症状ですね」の一言で片づけられない重たさがある。だからこそ、うつ病は適切に病院を受診して一刻も早く治療すべきなのだとよくわかる。

鬱がひどい時は他人の視線が気になる。特に子供を連れた母親などと近所ですれ違う時には、平日の昼間からぶらぶらしている僕が不審者に見えていないかと心配でたまらなくなる。他人はそれほど僕のことを気にしていないことは頭では理解しているつもりだが、それでも心は安らがない。
きっと、他人の視線というより自分自身をそう見つめているからだろう。

子供の頃から、「ここではないどこか」を空想するのが好きだった。そこで僕は、宇宙船の乗組員だったり怪獣専門の獣医だったりした。恥ずかしい話だが、その空想は今も続けている。大人になって知識が増えた分、空想の世界の社会制度は複雑になり「リアリティ」が増していっている。


主治医にも話せないが、金がかからない趣味だと思ってこっそり楽しんでいる。最近のお気にいりは男女比が極端に偏った社会での生活だ。(もちろん女性が男性に比べて圧倒的に多い社会だ。逆は勘弁してくれ)
モテモテな生活を空想するもよし、問題山積みのディストピアを空想するもよし。なかなかに噛みごたえのあるネタだと思う。(どんな世界でもお前はモテないとか言わないでくれ)

……正直、書いていてクッソ恥ずかしい。でもこのnoteを読んでくれているみんなも他人に言えない趣味の一つや二つはあるだろう?なぁ?

やっていけない日も多いですが、やっていきましょう



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