自分の人生を許すこと

なんで生まれてきたんだろう…と、鬱の時はいつも考える。
「出生しますか Yes/No」みたいな感じで生まれてくる前に選べればいいな思う。ついでに性別や能力のパラメーターも選ぶことができればなおいい。どんなクソゲーでも、プレイしないという選択肢はある。人生という最も理不尽で難易度が高いゲームでそれを選ぶことができないのは、これを設計した何者かに文句の一つも言いたくなる。終わらせることはできるけど。

その一方で、生まれてきてしまったものはしょうがないじゃん…と考えるとほんのちょっと気が楽になる。両親が…とかご先祖が…とか考えるとキリがなくてしんどくなるけど、僕が生まれてきたのは今更どうしようもない。

僕はずっと、生まれてきたからには「何者か」にならなくてはいけない。一人前の男性にならなくてはならないと信じていた。どうやら何者にもなれそうにないと気付いた後も、その考え方は僕を縛り続けている。たぶん一生この呪いと付き合って生きていくんだろう。少しずつでいいから、どうにか折り合いをつけていければいいなと思う。

人生の目標なんて、「寿命を全うすること」でも十分いいじゃないかと思う。お金や社会的地位や結婚や自己実現、それはそれで大切なことだけれど、それとは別に自分の人生を許す道も模索してもいいんじゃないか。
功成り名遂げて生きることができなくても、自分なりの日々・自分なりの人生を祝福してもいいんじゃないか。そう自分に語りかけている。

夏が終わって、辛くて長い冬がやってくる。でも、生きている限り必ず春は来る。少なくともそう信じていて別に損はしないと思う。
たとえもう人生が空っぽだとしても、箱の中に最後に残った希望を抱き締めて生きていきたいと思う。

それでも、やっていきましょう。

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