決して褒められない趣味を持つ者たちへ

僕は煙草を吸うのが好きだ。箱から煙草を取り出し、ライターで火を着け、ゆっくりと吸い込む。
その瞬間だけは、現世のあらゆる面倒なことから開放された気分になる。
時間にして5分もないし、臭くなるし、お金もかかる。今日では喫煙者は病気だとか仕事に採用しないとか貧困層だとか散々言われて、どうやら都知事もご立腹のようで。まぁなかなかに厳しい。

煙草に限らず、この世界には世間におおっぴらにそれを楽しんでいると言うと、いろいろと大変なことになる趣味が沢山ある。
例えば二次元の創作物において、未成年(特に低年齢)の登場人物を性的に描写することとか。

僕は表現規制については恥ずかしながら不勉強なのであまり詳しくは言及できない。ただ、表現の自由はそのために先人がおびただしい血を流して守ったものなので、我々も守るべきだとは思う。

今挙げた例はほんの一例で、この世界にはたくさんの褒められない趣味があるのだと思う。所属する社会によっては、それを楽しんでいることがバレただけで職を失ったり、時には命すら失うこともある。イスラム国の支配地域で日本のアイドルの曲を流して、同じ格好をしてダンスをすればどういう目に遭うだろうか?

しかし、現在の日本でアイドルの曲を流して踊ったところで命を失うことはない。逆に、イスラム国の支配地域で煙草を吸いまくって副流煙を撒き散らしたとしてもそれだけではたぶんそんなに怒られないと思う。なので、所属する社会によって何を趣味として許されるかは全く異なってくるのだと思う。

これは同じ社会でも時間の経過によって変わってくる。昔はロックンロールは不良の聞くものだったそうだが、今そう主張する人に僕はまだお目にかかったことはない。(いるかもしれないけど減っているとは思う)

どんな趣味が許されて、もしくは許されないかに絶対的な基準があるわけではないと思う。多くの場合はその社会で実権をより多く握っている多数派が、「空気」で決めているのだと思う。
だからあなたが他人に言えない趣味を持っていても、決してそのことで自分を責めたり恥じたりしなくていいと僕は信じる。
2018年の日本では許されない趣味だったとしても、1918年には当たり前すぎて「趣味」とすら呼べないことだったかもしれないし、2118年には伝統文化になっているかもしれない。恐らく、僕たちは生まれるのが少し早すぎたか遅すぎたんだ。

法律を犯すことでなければ、あなたはその趣味をこっそり、十二分に楽しんでいいのだと思う。法律をなぜ守るのかというと、刑務所の中では趣味を楽しめないからだ。生活に支障が出るくらい依存していなければ、その趣味はあなたの魂を守って、救ってくれているのだと思う。だからあなたはそれを趣味にしているんでしょう?僕もだよ。

よく、「趣味に不寛容な社会は人間に対しても不寛容な社会だ」という発言を目にすることがある。逆に、趣味に寛容な社会は人間に対しても寛容な社会だとも言えないだろうか。
そうすると、僕やあなたが趣味を楽しみ、他人の趣味を守ることでこの社会の寛容さを守っていることにはならないだろうか。
もちろん社会に向かって寛容さを訴えることも大切だ。しかし、目の前にいる他人の「変な」趣味を非難せず、そっとほっといてあげることも寛容な社会を守る戦いの最前線ではないだろうか。

そして、それは趣味を否定されて傷ついた僕とあなただからこそできる戦いなのではないだろうか。

公にできなくとも、どうか胸を張って趣味を人生の相棒としてほしい。そして、人生を精一杯楽しんでほしい。それでは、良い人生を。

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