たとえもう手遅れだったとしても


泣きたくなるような、それでいて「そりゃそうなるよな…」と呻いてしまうような話だった。

この記事で紹介されている42歳無職男性の事が他人事だとはどうにも思えない。僕のあり得る未来の一つだと思う。

思えば、「この年齢ならこのくらいは出来て当然だよね」というハードルを何一つクリアできてこなかった人生だと思う。そして、越えるべきハードルは今も僕の遥か彼方を遠ざかり続けている。他人が1年かけて身につけるべき社会的な所作を身につけるのに、僕は10年くらいかかる。これは運がいい時の話で、一生かけても身に付かないであろう社会的なスキルのほうが多い。

だけども、だけどもだ。それでもこの社会で生きていくことを諦めきれないでいる。どうにか社会と上手くやっていく方法を探さずにはいられない。100回チャレンジして99回は失敗するような「コスパの悪い」人生だが、それでも自分なりの社会への適応について考えない日はない。

例え何十年無職をやっていて、どんなに社会へのブランクがあろうとも、社会への参加にチャレンジする権利はあると思う。現実はそうではないのかもしれない。もう、間に合わない。そんな現実もあるのかもしれない。

しかし、それでも社会に参加することを挑戦し続ける権利はあると思う。
それを義務とは呼びたくない。みっともなくとも、行政や医療や福祉に縋って「助けてください」という権利はあると信じたい。
これは僕の個人的な信仰みたいなものに過ぎないのだろう。
でも、どんなに情けなくみっともない人生でも、最後まであがく権利は誰にでもあると信じている。

もしあがくことすらできないくらい疲れてしまっていたら、どうか精神科や心療内科などの医療機関を受診してSOSを発信してほしい。
そこにいる先生は最高の回答は返してくれないかもしれない。しかし、最悪の事態を防ぐ手助けをしてくれるはずだ。
辛い人生かもしれない、やっていけないかもしれない、それでも自分を救うことをどうか諦めないでほしい。

やっていきましょう。

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