生きてるだけで、勝ちなのだ

人生の勝ち負けって何で決まるんでしょう?
進学、就職、結婚、子供、老後…世の中を見渡してみると、いろいろと情報が溢れていてみんな大変だなぁ…と思います。

昔、勝ち組・負け組という言葉が流行っていましたね。あれから結構経ったけど、そうした価値観はますますシビアになってる気がします。
今の世の中って、自分が「勝っている」と思える機会が少なくなっているのではないでしょうか。
代わりに、「勝っている」感を得られるものはとても人気が出るのかもしれませんね。
インターネットにおいては、どちらの考えが正しいとか正しくないとか…みたいな雰囲気を感じることが多くなってきました。僕がインターネットに出会った頃は、もうちょっとゆるい空気だった気がします。
現実世界では俺たちダメダメだよな…みたいな、そしてそれをお互い良しとする空気があったと記憶しています。僕の観測した狭い範囲内ですが…。無理に社会を演じていた僕にとっては、そこは砂漠のオアシスみたいな場所でした。

うつ病になってから、色々な人の体験談を知る機会がありました。
人生が病気になるまでは順調だった人、病気の他にも苦難に満ちた人生を歩んで来られた人…共通点はあっても、全く同じ人生・全く同じ苦しみというのはなかったと思います。それぞれの人生には、それぞれの苦悩と辛さがありました。
多分、石油王みたいな人にもその人だけの悩みや苦しみはあるのではないでしょうか。みんな違って、みんな辛い。人生ってそんなものかもなと最近は思うようになりました。

僕は多分、社会的な成功はちょっともう無理かなと思います。何を達成すれば社会的に「合格」なのかすらもはや僕にはわかりません。
人生の勝利条件がわからなくなってしまいました。

でも、「人生の勝利条件なんて、自分で決めちゃっていいんじゃない?」と考えてもいます。僕としては「自殺せずに寿命を全うすること」くらいを勝利条件にしたいですね。

死というものが、とても温かく、優しいものに思えるときがあります。その誘惑を振り切るのには凄まじいエネルギーを消耗します。僕の人生のエネルギーの大半はこの戦いに注がれています。これからも多分そうでしょう。

死に惹かれる一方で、「クソッタレ」と死神にケツを向けたい自分もいます。僕の人生も社会もロクでもないけれど、最期の一瞬までそれを見届けていたいのです。
僕は映画でスタッフロールまで全部見るタイプなのです。

そもそも人生に勝ち負けを考えてもしょうがないのではないでしょうか。もちろん、社会的な成功なり自分で決めた「勝ち」を目指していくことは決して悪いことではないでしょう。でも、自分の人生に勝ち負けとは関係ないエリアを作っておくと生き延びるのに役に立つと思います。少なくとも「負け」になった時に、魂の全てを持っていかれる可能性は減ります。趣味や教養はその助けになると思います。それが社会的に何の役にも立たなければ立たないほどいいかもしれません。そうした人生の「余白」が多ければ多いほど、生き延びる助けになるのではないでしょうか。

なんだかぐちゃぐちゃな話になっちゃいましたね。台風の低気圧で頭がぐるぐるしています。
どんなに人生が嵐でも、生きてさえいれば必ず晴れの日は来る。僕はそう信じたいと思います。

やっていきましょう。

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