いつか虹の橋を渡るまで

僕は年末を迎えると、毎年体調を崩します。12月31日が近づくにつれて、じっとりと体が鬱で締め付けられていきます。また1年が終わってしまった、自分は何もできていないじゃないか…1年分の後悔を凝縮したような気持ちになります。

そういう時は「浮いて待て」という言葉を思い出します。もともとは海などで溺れた時の対処法の言葉です。溺れた時にじたばたしても、体は沈んでしまう。動かず全身の力を抜いて浮かんで顔だけを水面から出して呼吸し、救助を待て…という言葉だったと思います。人生にもそういう時ってありますよね。もがけばもがくほど、いろんなものがまとわりついてきて塩水を飲んでしまう。そういう時はどうにか浮かんで息をして、どこかの岸に流れ着くのを待ち続けるしかないのでしょうね。

フォレスト・ガンプ/一期一会という映画に「人生はチョコレートの箱のようなもの。 開けてみるまで中身はわからない。」というセリフがあります。
僕のチョコレートは残念ながらゴディバとかではなかったみたいです。賞味期限もとっくに過ぎているのかもしれない。それでも最後の一粒まで食べてみようとは思います。
神様に空の箱を叩きつけるのはそれからでも遅くはない。

僕にもあなたにも、最後の一瞬まで生きようとする権利はあると思います。生きあがく権利はあると思います。それを義務とは呼びたくはありません。しんどくなっちゃいますからね。
生き延びることにはどうしてもある種の「汚さ」や「しんどさ」が付きまとう気がします。若いうちに自らこの世から退場することに、僕はどうしても憧れを抱いてしまう。
老いを知らずに散ることを、望んでしまいそうになります。

だからこそ、生きることを無条件で肯定したい。自分のも、他人のも。僕もあなたも生きていていいのだと、少しずつ心に浸みこませて自分と折り合いをつけていければいいなと思います。

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もやっていきましょう。

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