人生の自己採点

「あなたは今の自分が何点だと思いますか?」とカウンセラーに会うたびに聞かれていた。最初に「…マイナスの点数でもいいですか…?」と答えた気がする。だいたい、0点とか10点…とか答えていただろうか。

当時の自分は、社会的な評価が自分の価値の全てだった。どれくらいの偏差値の大学に入り、どれくらいのステータスのある職業に就き、生涯でどれくらい稼ぐ…。そうした、目に見えて他人に評価されるものが多ければ多いほど自分はこの世に存在することを許されるのだと信じていた。

大学を中退して療養を始めた僕に残ったのは精神疾患の患者という肩書きだけだった。メンヘラという言葉にはあまり馴染みがなく、ニートという言葉を必死に頭の中から追い出そうとしていた。そして、田舎では精神疾患どころか通院の事実そのものも周囲に知られるのは憚られた。

自分の自己採点が20点とか30点になり出したのはアニメやゲームにハマりだした時だったと思う。主人公や登場人物に自分を重ねて共感し、自分が喜怒哀楽を感じることができることを思いだせたからだっただろうか。たとえ他人が創ったものでも、自分はそこに物語と感情を見つけることが出来ることが嬉しかった。当時はそこまで言葉にはできなかったが。

それから何度か挫折を繰り返し、その度に自己採点はマイナスになった。しかし、調子のいい時の点数も少しずつだが上がっていった。どうやら、世の中の人生の採点基準は一つではないらしいと気づいた頃だっただろうか。

そのうち、ネットや本で色々な人の人生を垣間見ようとするようになった。社会的に成功を収めた人の話ではない。失敗した人や挫折した人が自分と向き合い、自分を取り戻しつつどうにか日々を過ごしていく。そんな話を好んでいた。

男性の厄年である25歳を越えた頃だっただろうか。そもそも人生の点数は誰が、いつ、どのように決めるのだろう…?と疑問を抱くようになった。幸せな晩年を過ごして「上がり」を迎えることだろうか?いや…、歴史上の偉人や一流の起業家でも、晩年はあまり幸せではなさそうな人はいくらでもいる。何が幸せなのかよくわからなくなったが、「わからない」ということだけはわかるようになった。

さらに歳をとり、自分につけていた点数の物差しはほとんど他人が作ったものなのではないかと思うようになった。もっと言うと、如何にして金に換金できるかという視点も大きかったと思う。確かにこの娑婆世界で生きていく上でそうした価値観から完全に逃れることは出来ないし、無理に逃れてもリスクは大きい。しかし、自分の魂の内側くらいは、自分自身の採点基準や物差しを適用しても良いのではないか。〇〇な職業で活躍する自分も、100円のコーヒーを飲みながらだらけている自分も、どちらも大切な自分であることに変わりはないのではないか。たとえ職に就けず困窮した生涯を送ったとしても、僕の人生は尊い一生だったのではないか…そう考えるようになって、人生の自己採点が60点を越え始めた。

僕が今目指しているのは、「生きているだけで60点。そこから後は加点式…」みたいな感じだろうか。僕も貴方も、生きているだけで十分合格点だと思う。そこから自分に出来る形で好きなように点数を重ねていけばいいと思うのだ。誰がが決めた採点基準ではなく、貴方が自分自身にあげたい点数を。

あなたは今何点ですか?

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