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私は完全なる消費者

まず、私の今日の感激を紹介する。

その1:アプリゲーム「ユニゾンエアー」の楽曲、「青空が違う」のライブ映像。サビ前の渡邉理佐。

単純に言うと、推しの幸せそうな表情。

その2:PrimeVideo取扱作品HBO「GIRLS」シーズン4。仕事がうまくいかなかったり、自分の正義が人に挫かれたり、就活に敗れ、自分のことが嫌いになる。そんなシーン。

単純に言うと、人間が自分に悩むこと。

コンテンツに感動する経験、誰もが体験しうることだと思う。おもろい映画、なんであんなに最高なんでしょうか。

本題に入ろう。

これら2つの感動は、提供された感動である。自分が人に何かを与えたわけではない。与える側と与えられる側、社会には2種類の人間がいる。

めっちゃ気持ち悪い言い方ですねこれ「社会には2種類の人間がいる」、、、ステレオタイプ、、、

私がこれから成る「社会人」というものは、「他人に何かしらの価値を提供する。それによって利益を得る人」のことである。

私は今20歳であるが、いまだに「生産する側」として活動したことが無い。

社会人に求められる「与える力」が私には無い。社会人になるという行為に希望が見出せない。

ここで思ったのが、「ボランティア活動は、生産する側に立つ行為」であるということだ。無給で活動する理由はここにあるのでは無いか。社会に参加することで、自分を鍛えられる。もちろん、社会に利益をもたらす必要があるが、利己的な自分が、ボランティアに参加する理由はそこにある。

思ったのだが、モテる人は価値を持っている人ではないか。

付き合うということは、互いの価値を享受し合うことなのではないか。

価値のない人間はいないが、価値を提供できていない人間はいると思う。

生きてきた時間、その中から見出せる価値を考える必要性。

そして何よりその難しさ。

どう気づこうか。

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