10年前にアメリカで書いたエッセイ:マルガリータの車のリアウィンドウが倒木で割れた件について

2008年の夏、大学の広報誌から原稿を頼まれたのだけれども、趣旨をまったく勘違いして書き上げてしまったボツ原稿です。あれからアメリカもいろいろ変わりましたね。十年一昔。

プリンストン大学社会学部で在外研究に取り組み初めてちょうど1年。このわずかの時間にわれらがニッポンの総理大臣が2人も辞任するとは思ってもみなかった。政治の混迷が続く日本とは違って、こちらの大統領選挙は、アメリカの人々の日常に寄り添いながら、おおいに盛り上がっている。だいたい福田首相の在任期間よりも、大統領選挙戦の方がずっと長いのだ。思うにこの在外研究は、民主主義がいかに「熟す」べきか、日米の政治を比べることで思索を巡らす絶好の機会を僕に与えてくれているかもしれない。しかし消費文化を研究する僕にとってはあまりにもシリアスな問題だ。だからこのエッセイではより日常的な出来事について話をしたい。マルガリータの車のリアウィンドウが倒木で割れた件である。

マルガリータはキューバ出身でニューヨーク州の大学に勤める社会学者だ。僕と同じように、サバティカル(研究に専念するための休暇)を所属大学に申請して客員フェローとしてプリンストン大学に籍を置いている。僕と同じオフィスを使う彼女は、数々の障害を乗り越えて自分で運命を切り開いてきたある種の女性がそうであるように、気が強く世話焼き好きな「おばさん」だ。自分で育てた野菜を分けてくれたり、その野菜でつくったガスパッチョを振る舞ってくれたり、僕が中古車を買うときに一緒に付いてきてくれてあっという間に1,000ドル値下げしてくれたり、と何かとお世話になってきた。

お互い様ということで、こちらもいろいろ頼まれる。先日は、冷蔵庫が壊れたので直るまで野菜と肉を預かって欲しい、と頼まれた。いろいろ詰まったクーラーボックスを家に持ち帰り、ボックスの中身を冷蔵庫に移そうとしたら、彼女自慢の有機野菜が結構腐りかけているのを発見。「タケシ、ありがとう。好きなだけ食べて良いから」って言っていたけど、ちょっとげんなりしたのが本当のところだ。彼女の冷蔵庫の修理が速やかに終わるよう祈りつつ、事務的にブツを冷蔵庫に移した。

11時半頃に仕事を切り上げてワインでも一杯と思っていたところ、携帯電話が鳴った。マルガリータからだ。彼女の大事な食料を冷蔵庫に移したのかわざわざ確認するために電話してきたのか、まいったな、と思ったら「倒れた木で駐車場がふさがっていて出られない」とのこと。最初は何を言っているのかさっぱり分からなかったのだけど、その木は彼女の車を直撃すらしたらしい。びっくりして「すぐ行くよ」と言ったら「カメラも持ってきて」と言う。保険対策だ。

行ってみると、オフィス裏の駐車スペースの出口をふさぐ形で20メートルはある大きな木が倒れていた。電線にもひっかかったらしく地面にはケーブルたちが無惨にのたうち、そしてマルガリータのクライスラー・PTクルーザーのリアウィンドウが粉々に割れていた。怪我がなくて何よりと声をかけて写真を撮っていると、警官がやってきて事情聴取を素早く済ませて、その大木を一人で軽々と動かしてくれた。これで車を出せるようになったけど、今夜は車をここに置いて明日にでも修理を頼むのだろう。じゃあ帰りに家まで送ってあげよう、とほっとしていると、マルガリータが突然言い出した。

「ニューヨークの家に今から戻る。だいたい保険会社の電話番号も分からないし、使いたい修理工場もあっちにあるし」

今って夜中だよ。しかもリアウィンドウないし。「タケシ、時速75マイルで走って3時間半で着くけど、この窓大丈夫だと思う?」と聞いてくる。実にグッドなクエスチョンだ。「ウィンドシールド(前面のガラス)が割れた訳じゃないから大丈夫だろうけど、夜中だし危ないよ。明日にしたら?」と消極的な意見を述べてみた。でも彼女は直情実行型の理念型というべき愛すべき人物なので、僕の穏当な意見はあまり耳に入っていない。彼女のプランは、オフィスの片隅に転がっていたカーペットの切れ端でリアウィンドウ部分を塞ぐ応急処置を施して一路ニューヨーク州に戻る、というもの。でもその切れ端はカーペットだけあって肉厚で重く、僕が唯一持っていたセロテープでは当然、窓部分に固定することはできない。日本から送ってもらった荷物に入っていた「プチプチ」のビニールがあったので「これで塞ごうよ」と提案するも、マルガリータはカーペット案に固執して埒があかない。

しかしこういったタイプの人は問題解決の手がかりを強引に引き寄せる力があるようだ。カーペット片を手にしたキューバ人とプチプチを手にした日本人が、リアウィンドウのない車の前で途方に暮れていると、スターバックスのコーヒーを手にした紳士が懐中電灯を手にしてゆらゆら現れたのだ。「どうしたんだ」と。僕らの駐車スペースの隣にオフィスを持つミケルというこのロシア人は、どうしても片づけなければならない用事があったらしく、こんな夜中に仕事場に戻ってきたという。事情を知ると、すぐに家に戻ってビニール・シートとダクト・テープ(粘着力が強力なガムテープのようなもの)を持ってきて、ビニール窓をつくる作業を始めてくれた。仕事があったにも関わらず(だからこんな夜中に現れたわけだし)、親切な人だなあと感心していると、マルガリータがミケルのビニール窓作成方針について意見し始めた。ミケルはビニールを1枚外側から張りたいのだけれども、マルガリータは窓の内側から2重、3重に重ねたビニールを張った方が良いのではと言うのだ。僕はというと、いい加減眠かったのでどっちでも良いよと、遠巻きにふたりのやりとりを聞いていた。結局、かつて絵のキャンバスを木枠に張る仕事をしていたというミケルの身の上を知ったマルガリータが折れたようだ。プチプチよりキャンバス、というわけだ。

ミケルの仕事はとても丁寧だった。4本のテープを窓の四辺それぞれに貼るのではなく、ビニール窓がピンと張っているか絶えず確認しながら、まるで切り絵のように短く切ったダクト・テープを少しずつ貼っていく。当然時間がかかるわけで、おしゃべりに花が咲くわけだ。1978年にソビエトから移民してきたミケルによれば、彼(か)の地では車はすぐ壊れるし修理するのが難しいからこういった応急措置はお手のものだそうだ。なるほどね。娘さんが高校で日本語を習っているそうで、彼女から習った「アリガトウゴザイマス」を上手に言うので、僕も大学で習ったロシア語を披露した。「これは家です」。他に何も覚えていないことに愕然としつつも、ソビエトとキューバの共産主義つながりについて語るふたりの会話に耳を傾ける。そうしているうちに出来上がったビニール窓は、見事な出来映えだ。強度を確保するために、ビニール窓の上に透明なテープを「枠」代わりに貼り付ける仕上げまでしてある。ハッチバックの開け閉もまったく問題がない。「これお金取れるよ」と軽口を言うと、「日本じゃそうかもしれないけど、わたしたちはこういった親切のやりとりに慣れているし、まさかお金なんかとらないよ」とマルガリータ。ミケルも頷く。「日本だって同じだよ」と言おうと思ったけど、東京で暮らしていたときにはそんなことってほぼ皆無だったことを思い出した。

さて「熟す」。アメリカという社会に暮らして1年、この国のありようについて深く理解できたとは思っていない。でも良いな、成熟しているな、と思うのは、まったくバックグラウンドが異なる見ず知らずの人々が、手軽に気軽に助け合うという習慣を共有している、ということである。もちろんこの国は数え切れないくらい深刻な問題を抱えているし、また僕が暮らすプリンストンは名門大学を抱える豊かで安全なきわめて例外的な街であるということも考慮すべきだろう。しかし近頃日本でも耳にするダイバーシティー(多様性)という実にアメリカ的な言葉には、長年の苦難を通じて獲得された深さと重みが備わっているように思える。多様性を前提としていかに信頼を醸成するか?この点についてより成熟しているアメリカの社会から学ぶべき点はまだたくさんあると思う。

さてリアウィンドウ。ミケルはテープとビニールの残りをマルガリータにあげて「じゃあ気を付けてね」と爽やかに去った。マルガリータもこれでニューヨーク州の家に帰られる。僕もようやっと寝られる。「じゃあ気を付けてね」と帰りかけたら、「家に帰るからさっき預けた食べ物返してくれる?」と彼女が言った。もちろん大歓迎。僕のアパートまで着いてきてもらってクーラーボックスを返した。野菜が腐りかけていることには特に触れず、「じゃあ気を付けてね」とだけ言って、リアウィンドウが銀色のダクト・テープで縁取られた不思議な車を見送った。家に戻ると3時。ワインなしでよく寝られたことは言うまでもない。

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