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苦手なことって憧れていること。

来週の月曜日
近所の小学校で入学式があるようです。
ここ2、3日気温が低かったおかげで校庭の桜はきっと満開です。可愛らしい色とりどりのランドセルが行き交い初々しくも華やかなんだろうなとここにいる近所のおばちゃんはわくわくしていますよ。
こらこらまだおばあちゃんとは呼ばないで。

わたしはいつなんのきっかけでフェルト手芸をはじめたのだろう?今の作品のスタイルになったのはいつからなんだろう?と、自分のためにハンドメイドの記憶起こしをしています。
ここに興味を持ってくださって、読んでいらっしゃる方々に対しそんなことに付き合わせて申し訳ないと思いながらも、実は同時進行で、みなさんもハンドメイドに限らずご自分のナニかに照らし合わせて思い出してみたりできるんじゃないかと勝手に思っています。

あの頃アレが苦手だった。あの頃からコレが大好きだった。誰もにあの頃があって今があるのだからちょっと酸っぱい思い出もまあいっかと思えたりするのではないかと思うのです。
それを一緒にたどっていきませんか?と。
ええ、でも強制するつもりはまったくないので適当に読んでくださってかまいません。

わたしはとにかく苦手なことが本当に苦手で、いやこの日本語はちょっとおかしいのですが、でもまさにそうなんです。苦手なことがずっと苦手なままなのです。
一時期、苦手を克服しようと頑張ってみたこともありました。なぜならそれは苦手なことが実は憧れていることだったりするからです。
ですが頑張ってもまあ楽しくない。克服って何?なんでこうなるの?とだんだん何をどうしたいのかわからなくなるのでした。

そこで考えました。
苦手を克服するよりも好きなこと得意なことで苦手を見返してやろうと。
それがフェルト手芸です。
お裁縫が苦手でミシンが苦手で、でも本当は素敵なお洋服を拵えてみたい。が、無理。
これはあきらめるのではなく越えていけばいいのではないかと考えました。
お洋服は作れないけれどフェルトでオリジナルの作品が作れちゃったりするんです!と。

なんだかおかしな方向へ話が飛んでいっている気がしないでもないですが、わたしは「お洋服を作ってみたい」という憧れの気持ちはなくさないようにしたいと思います。おそらくその気持ちがその思いを越えようとすることで、フェルトで作るうちのちいさいぱんやケーキ、うちのちいさいくまたちを生みだしているのではないかと思うからです。

まだまだ新しいものも生み出したいですしね。
もういいおばちゃんなんですけどね。
こらこらまだおばあちゃんとは呼ばないで。

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