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結婚しないことをとやかくいう人が嫌い

誰が社会を生きにくくしているのか

他者と異なるということは、いつであっても人生を生きづらくする。では生きづらくしているのは誰だろうか?

現生人類であるホモ・サピエンスは幾多の人類種を滅ぼしてきたし、信じる神が異なるからといって平気で人を殺し、肌の色の違う親戚を奴隷として金銭で売買した。

いつでも、人を生きづらくさせるのは人だ。

マイノリティであるがゆえに蹂躙されてきた人々の苦しみはどれほどのものであったかは、想像もできない。

信じる神や肌の色によって人間としての優劣はないという認識が一般的となり(そのように思わない人もいるかもしれないが)、露骨に差別的な扱いを受けることは少なくなってはいるかもしれない。

しかし、他者と異なることによって受ける差別的扱いは、日常の至る場面で起こりうる。

性別、学歴、職業、収入、結婚、家族。とかく人は、優劣をつけたがる。そして、優位に立ちたがる。どうにかならないものか。

誰が人を責められるのか

2011年に放送されたテレビドラマ「それでも、生きてゆく」を観た。

幼女を殺害した中学生の少年を持つ加害者家族と、殺害された幼女の被害者家族。それぞれの苦悩が描かれている。

満島ひかりの演じる加害者の妹「双葉」は、加害者の妹であるがゆえに学校でいじめに会い、恋人にふられ、仕事も辞めさせられる。

何かおかしくはないかと感じたが、まさしくこれが日本という国なのだろうと思った。

彼女を迫害した人たちは、殺人を犯した兄を持つ彼女が自分より劣った人間だとでも思うのだろうか?

全ての現生人類がホモ・サピエンスである以上、祖先が人(人類)を殺していない者などいるのか。

ネアンデルタール人などの人類だけでなく、これまでどれほどの種の生物を絶滅させてきたことか。

日本人も、過去を遡れば刀などというもので人を斬り殺し、60年前まで戦争をしていたではないか。

誰にも彼女を責めることなどできない。

それが結婚であっても同じだ。配偶者のいない女性に対しては、世間はことさら冷たい。

しかし、誰が彼女らを責められるのか?

彼女らは配偶者を持たないという選択をしたに過ぎず、それを「社会に不適合」という意味をつけて勝手に非難したり蔑むのは、こちらの都合でしかない。

配偶者を持たないという選択には本来意味などなく、それぞれが無意識に意味を付けているということを認識する必要がある。

親が落胆するのは、親の責任だ。「娘が結婚しない=育て方が悪かった」、「孫の顔が見られない=悲しい」などということは、親自身が(社会の影響を受けて)作り出した意味でしかない。

従って、「配偶者を持たない=より幸せ」という意味を付けてもいいし、これを多くの人が信じれば、今度は結婚することが馬鹿にされるようになる。

本来、誰にも彼女を責めることなどできない。

ということを考えたりもする。。。

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