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いい歳こいて生きる意味とか考えてしまった

不覚にも世界が無意味なものに思え、一切が無目的に存在するような気がしたので、自分がなんで生きているのかを見失ってしまった。

元々全ての存在や行為に意味などない。と考えるタイプであったが、ふと気がつくとそんな世界で生きる意味などあるのか、と感じて全く生きる気力が湧かなくなった。

ので、自分勝手に自らの世界観を構築して、思考によって世界を生きやすく変えようと決意した。

がしかし、まずどう考えてもこの世界が存在する意味はわからん。死後の世界のためって信じない限りムリ。

だからそこは放置して、世界が人間に対して何を求めてるかってことを勝手に解釈して、人間が存在する意味を決めた。

意識のある主体が世界を認識しない限り、そこに世界があるって誰もわからない訳だから、認識されなければ世界は存在していないのと同じ。

→世界(地球)自身が存在するために意識(人間)が存在する(人間中心で結構勝手だけど)

→歴史からみて、世界は拡張しようとする。(逆に言えば、人間が世界を拡張させようとする) つまり、人間が認識(発見や開発によって)した分
だけ世界が広がる。

→なんで世界が拡張しようとするかはしらんけど、人間は未知を探求して世界を拡張するために存在する。


ここまでファンタジー多いけど、世界のあり方を他人の考え(宗教とか)でごまかさずに、自分の腑に落ちるように考えて決めるってのが必要な気がする。正解ないし

なので、人間は世界を認識して拡張するためにいる。と仮定します。

なので僕は、未知の探求、新技術やサービスの開発等、これまで世界になかったものを創造するために生きているということになる。

ほいで、これを達成しながら生きる上で大切なことは以下の3つとしました。

① 快楽の追求 (善の追求)
② 可能性の追求(自己実現)
③ 絶望(死)の克服(自己超越)

①は死生観と関連していて、生は意識、死は無意識の世界として考える。

死ぬと肉体は朽ちて地球の一部や生命の一部になる=無意識の世界

人間として産まれる=意識の世界

物質やエネルギーが循環する中で、たまたま母体に取り込まれたものが意識のある存在として産まれる→めっちゃラッキー=ボーナスタイム=快楽(善)を楽しむべき

②の可能性の追求は、絶望(キルケゴールの死に至る病参照)せずに生きるために必要。

人は絶えず可能性(必然性のある可能性)を求めることで絶望せずに生き続けることができる。

ので、可能性に対して前進し続けながら生きる。

③の自己超越は、死への絶望を克服するために必要。

人間は可能性が失われると絶望(生きる気力を無くす)する。

死は個人の可能性を完全に奪う(神も死後の世界もないと考えるので) ため、人は死を前に絶望する。

しかし、自己超越(ここでは、自己の可能性を他者に託すこと)によって、自己の可能性は失われずに死の絶望を克服できる。

ので、他者に可能性を与えながら生きる。

①②③の過程で、世界を少しずつ拡張(新しいものを創造する)していくのが僕が生きる意味(暫定)。という

①②③は人間の欲求段階にも合致していて(③はちょいはみ出してるけど)、世界が拡張するために人間にそーゆう欲求を与えたってことにすると納まりがいいな。って感じ

という世界観でしばらく生きてみる。

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