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女性が自由に生き方を選択できる社会が好き

女性が自由に生き方を選択できる社会が好きだ。

1990年代に生まれた私にとっては、女性が仕事をしていることが当たり前のことのように感じる。

また、海外に比べて遅れをとっている印象のある日本でも、女性に対する機会均等は徐々に浸透しつつあるように思える。

お互いに不当に扱われることなく、気持ちよく生きていきたい。

しかし、これまで女性が不当に扱われてきたことは言うまでもない。

紀元前1200年頃の中国では、男児が生まれるよりも女児が生まれることを不運とみなしていたし、2016年まで続いていた「一人っ子政策」が行われている間には、次なる男の子の誕生を願って、生まれたばかりの女児を殺してしまう親すらいたという。

女性は男性の財産であり、所有物であるという認識を持った社会が多くあった。古代には、未婚の女性が強姦された場合、被害を受けた本人ではなく、父親が賠償を受け、女性は強姦者の妻(財産)になるという今では信じられないような法律が存在していた。

現代まで続く家父長制度も、その名残ではないかとも思える。

過去には、男性が女性よりも優れているという考えが一般的であったかもしれないが、女性はその考えが誤りであったことを証明しつつある。(依然として差別的な考えが残っているが)

「男らしさ」と「女らしさ」は誰が決めたのか

思えば、「男らしさ」や「女らしさ」という概念は、誰が創造したのだろうか?

これも、社会の秩序を保つために創られた「神話」なのかもしれない。女性は、何者かが望む秩序のために犠牲になってきたのではないか。とも思える。

であるならば、本来女性は自らの考えや行動に「女性らしい」とか、「女性らしくない」といった、無意味とも言える「意味」を与えられる必要もなく、自ら新しい秩序を形づくってもよい。

そもそも行動は、「行動した」という事実があるだけであって、本来は意味を持たないものである。誰か(本人かもしれない)がそれに「意味」をつけることによって、初めてその行動が意味をもつものであろう。

従って、他者の創造した「意味」に縛られ、無意識のうちに自己を社会の秩序のために犠牲にしながら生きる必要はない。

少子高齢化だって知ったことではないし、社会のために結婚をして子供を産むわけではない。結婚したいならすればいいし、したくないならしなくてもいい。したいけどできないなら、粘ってもいいし、諦めたっていいだろう。

子供がいたら楽しいかもしれないけれど、いなくたって幸せに生きられる。

従って、女性だって好きなことを好きなようにやってもいい。何ができて、何ができなくたって、他人にとやかく言う筋合いはない。それが親であっても。

ということを考えたりもする。。。

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