快楽を追求する人が好き
脇目もふれず快楽を追求する人が好きだ。
快楽(英: pleasure)は、気持ち良いと感じる事で、喜び・幸せ・満足等の感情と密接に結びついているそうだ。
脳科学的には、報酬系における神経伝達物質を介した神経細胞間の活動で定義される。食・摂水・睡眠など、動物としての本能に根ざした行動は、快感という報酬と不快感という罰によりコントロールされる。
食欲などの欲求が満たされれば快感を覚え、満たされなければ不快感を覚える。その他、大脳の高次機能の発達した人間は、長期的な目標の達成等、動物的欲求以外の状態からも快感を得る事が可能であるようだ。美しいものを見て、素晴らしい音楽を聴き、楽しい時を過ごす事によって人は快感を得る。
覚醒剤やアルコール飲料、あるいはギャンブルなどは、強く直接的な快感をもたらすため、それを強く求める人は少なからずいる。依存症はこれらのもたらす快感に深く囚われた状態である。しかし、
「快楽」を追求することが悪いことだとは思わない。
「快楽」を「善」とする私の考えは快楽主義的かもしれない。
快楽主義(英: hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。
だが、もし善く生きたいのであれば、どのようにその「快楽」を得るかを考えなければならないようにも思う。
他者に「快楽」を与えることによって「快楽」を得る
自己が「快楽」を得る間に他者を「不快」にする
自己が「不快」に感じながら他者に「快楽」を与える
自己が「不快」を感じて、他者にも「不快」を与える
どういった行為を行うかについては、他者に口出しをするつもりはないが、私は善く生きたいので、自分にとっても他者にとっても善いと思われることを選択して生きようと思う。
自己と同様に他者も「快楽」を求める生き物であると仮定すると、「快楽」を与えてくれるものを選択することは自明である。
そのように考えると、より多くを得る人は、より多くを与える人なのだろうと思う。本人に与える気があるかないかに関わらず。
自分が楽しむことが、興味を追求することが、人に「快楽」を与えるということと結びついている。そんな「快楽を追求する人」が好きだ。
ということを考えたりもする。。。
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