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明日死ぬとしよう

 ちょっと誤解を招くタイトルにしてしまいました。そう伝う意味ではないです。

 コロナで自分が明日死ぬと分かっても、誰にも会えないんだなって気づきました。そんなあっけないエンドロール 誰が想像したでしょうか。それなりの困難があっても、ハッピーエンドが脳内自己物語の顛末です。

 怖いのは自分は軽度でも、無症状でも、誰かをそんな終わりへ導いてしてしまう可能性を持ちながら、歯牙にもかけず平然と過ごしてしまう人と、やはりハッピーエンドしか想像できない自分です。

 正直遊んでいる人、密空間に行く人を責められません。私がその人の状況だったらそうするだろうなとも思ってしまうからです。私もなるべく家にいますが、買い物にスーパーには行くので特段何かを防げているとは思いません。戦時中は今より暇を潰すものがなかったんだよなぁなんて事を思い浮かべて、「全然マシか、ご飯もネットもあるし」と言い聞かせて半引きこもり生活をしています。

 天国と地獄ってこうしてできたのかなぁなんて気づきもあります。生まれて死ぬまで何も浮かばれなかった人があまりにも切ないから、せめて死後は幸せを、悪行ばかりで私欲を肥した人は、せめて死後は苦しみを。亡くなった人に死後の話しは出来ませんから、生きている人のせめてもの希望でしょうか。

 希望といえば、コロナの影響で人が来なくなったタイや米国の浜辺でウミガメの繁殖が増加しているようです。コロナウイルスは人類にとって決して良い事とは言えません。しかし、物事の裏側には明るい事が起こるのだなと、このニュースから学びました。

 希望は捨ててはいけません。しかし、覚悟がいるかもしれません。それは命なのか、経済的になのか。エンドロール がまだ訪れないうちに。

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