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015.『帰属コンプレックス』

ーーゲスト紹介ーー

平塚旦(ひらつかだん)
東京都出身。Yume Wo Katare Okinawa代表。宜野湾市にある「Yume Wo Katare」というラーメン屋の店主。”夢を語るラーメン屋”という、一風変わった空間を作っている。若者の夢を応援するダンさんのもとにはいつもたくさんの夢を追う若者と、おいしいラーメンを食べたお客さんの笑顔で溢れている。

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どんなコンプレックスでした?

帰属意識をもてない、というのがコンプレックスでした。ぼくのお父さんは日系ブラジル人で、お母さんはヨーロッパ系ブラジル人で、ぼくはそんな二人の間に生まれ、日本で育ちました。見た目だけで言えば、いわゆるハーフというやつです。

小学校の頃から「ハーフ」と言われ続けてきたんですが、当時は日本しか知らなかったからハーフというものがどういうものなのか、どういう意識なのかわかりませんでした。純粋な日本人の子どもからすると自分たちとは半分だけ違う国の人という認識なんだと思ってはいましたが、当事者的には「え、日本で生まれて日本で育ってる自分がなんでみんなと違うの?」なんですよね。育ってきた環境は同じなのに、見た目が違うだけでどこか違う存在として扱われるのが疑問でした。

とはいえ、家庭ではブラジルの空気が流れていたので自分は自分をブラジル人だと思っていて。ブラジル人であることは誇りでもありました。でも自分が生活してる環境の8割は日本だし、日本で生まれ育ったハーフという背景があって、周りの人には「ダンは日本人だよ」と言われることもあって。それはすごくショックだったんです。同時に、それはどちらか決めなきゃいけないことなのかという疑問もあったんですよね。

顔は日本人っぽくはないし、自分にはブラジル的な部分があるし。でも日本的な部分もあって。どこかに帰属しなくてはいけないんだという自分を取り巻く空気のなかで、アイデンティティーについて随分と悩みました。その後アメリカの大学に進学したんですが、そこでも自分はブラジル人にもアメリカ人にも日本人にもなりきれず。アメリカで日本人相手に接客してると「日本語お上手ですね」って言われるし、アメリカ人たちにはアメリカで生まれ育って日本語を頑張って勉強した人だと思われるし。日本にいると”外国人の方”っていうレッテルを貼られることもあって、そのたびに「違う、俺日本人。日本で生まれ育ったんだよ」と思ってました。

でもだんだんと、ぼくはどこに行ってもその場所の人じゃないんだと思ってしまう自分がいて。環境的にも外見的にも心理的にも、どこかの国籍に帰属できない自分にずっとモヤモヤしていました。

どうやって乗り越えました?

これははっきりと覚えてます。2017年の6月のことでした。
ニューヨークでYume Wo Katareボストンの出張出店をやってたことがありまして。それが最後の週に差し掛かった頃、家系ラーメンを食べに出かけたことがあったんです。その6月はLGBTに関するいろんなイベントが1ヶ月かけて行われるPride monthという月で。ちょうどぼくが出かけたのは、街の大きな道をいくつか封鎖してパレードをやっているときでした。人がごった返して身動きが取りづらいし、全然行きたい方向にいけないような状況で、早くラーメン食べに行きたいのになと若干イライラしてると、近くを通りがかった女の子が目に留まって。彼女はレインボーの旗を振りながらスキップしていなんとなく目で追ってました。すると彼女がこっちを向いて、満面の笑顔で、こう言ったんです。

「Happy Pride!」

Pride monthのテーマは「自分が自分であることに誇りをもつこと」なんですよ。彼女の言葉を聞いて、Pride monthのテーマがふっと頭をよぎって、ぼくはこう思ったんです。LGBT系の団体には入ってないけど、そんなのは関係ないんだ。顔も背景も関係ない。"ただただ自分に誇りをもつこと"をすればいいんだと。当時見たあの笑顔は「自分が自分であること、いいね!」と言ってくれた気がして、あの瞬間すごく気分が晴れました。何もかも全部『まぁいっか』になって、自分のことも、帰属意識がないことも、いいんだと。

名前も誰かもわからない、女性に見えてたけど心は男性かもしれないその人には、誰もが何にでもなれると思わせてくれる目、それを誇っていいという気持ちを伝染させる力がありました。その日からハーフであることを気にしなくなったんです。むしろネタにして笑いを取るくらいになりました(笑)。

今、昔の自分にどんな気持ちをもっていますか?

帰属意識をもてなかったことの根本的な理由の大きなところは、自分の心身に二面性があったというところなんですが、その二面性を好きか嫌いかで言うと好きです。なんならブラジルの両親のもとで生まれて、日本で育って、アメリカで勉強してっていう今までの人生を考えると、ぼくは少なくとも三カ国の部分をもってるんですよね。昔は血筋で自分を分けられてて自分が半々の血をもつだけの存在だと思わされていたんですが、今は3つの側面を流動的に使い分けてて自分をハーフだとも思わなくなりました。

使い分けるっていうのは例えば、愛情表現するときは60%くらいブラジル人の感じで話したり、日本語だと解釈が違うなと感じることに対して英語で表現したりするんです。彼女もアメリカで4年間暮らしてたのでぼくの言葉や振る舞いのニュアンスをわかってくれるし、それで通じるのがまた面白いです。3つの側面をもつおかげで日本語、ポルトガル語、英語ができるし、3ヶ国語の夢を見るし、自分が何者かを割り切れないことで悩んできたけど、今はその良さを実感してます。

しかも、沖縄でYume Wo Katareのラーメン屋を出店すると決めて来たときにもすごく役に立ってくれて。出店準備でいろんなところを回っているとき「うちなーんちゅ(沖縄の方言で、"沖縄の人"という意味)ですか?」ってよく聞かれたんですよ。沖縄で育ってればハーフもうちなーんちゅという文化があるらしく、そう聞かれてぼくは沖縄にいたら外見で自分の存在を一つのものに当てはめられることがないんだと感じたんです。そこで自分の帰属意識が生まれた感覚がありました。ハーフがハーフじゃなくなる沖縄は、とても生きやすくて帰ってきたくなる場所だと思えたんですね。

沖縄って『内地のものが入ってくるのが嫌』っていう感覚があるらしいんですけど、ぼくは見た目がうちなーんちゅの様なので入りやすいなと。武器になるなと思ったんです。実際に、沖縄で出店準備をするにあたって人とつながりやすかったし、自分がお願いすることも受け入れてもらいやすかったというのがあって、いろんな血筋が混ざってて良かったなと感じてました。

ハーフであること、二面性をもつことに悩む方々に向けてメッセージをお願いします。

自分のバックグラウンドに興味をもつことはとても大事で、それが自分のオリジナリティになるということは強く伝えたいです。ハーフの人って学校やクラスにそんなに多くはいないから、どうしても特異に見られがちじゃないですか。でも、だからこそ自分を唯一無二の存在だと思えやすいのが良くて、見た目とか背景で自分らしさを感じやすいんですよね。そういう自分だからできることがあるし、自分のオリジナリティが際立つからこそ人のオリジナリティが見えやすくなるし。そんな自分を恐れないこと、恥じないことを大事にしてほしいです。

色メガネで見られがちなのはつらいかもしれないけど、そんな自分をどう伝えるか。自分の二面性に「人と違う」と負い目を感じるんじゃなくて、強みとして使っていけると生きやすくなるんじゃないかなと思います。がんばろ!

店舗紹介

『Yume Wo Katare Okinawa』
営業時間:火曜日〜土曜日 (日曜日・月曜日定休、不定休あり)
昼営業→11:30〜14:30 夜営業→18:30〜21:30
住所:沖縄県宜野湾市我如古2-12-6
Twitter:https://twitter.com/ywk_okinawa

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