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「非日常」を断捨離しよう

僕がまだ子供だった頃、外食ってすごく特別なことでした。月に一回も行かなかったような記憶です。たまに外食というと「今夜は外食だから間食するな」と言われましたし、わざわざよそ行きの服に着替えたものです。そして、ワクワクしながら父の運転する車に乗り込んで、大騒ぎしながらレストランに行ったものでした。普段はジュースなんか間違っても飲ませてくれないのに、その日だけはジュースOKだったりします。本当に特別感があり、気分が高揚したものです。

では普段はどんなだったかというと、同じことの繰り返しました。朝はご飯にお味噌汁に納豆みたいな食事で、お昼は学校給食、おやつは魚の煮干しとかだったりしました。夕飯もまたご飯、お味噌汁におかず1品にお新香みたいな感じで、毎日が平凡な日常の繰り返しといった感じだったのです。誰かの誕生日の日だけ大きな鶏の腿を母が焼き、その日だけジュースとケーキがあって、これまた特別感があって嬉しかったものです。

「ハレとケ」という概念

柳田國男という日本を代表する民俗学者によると、日本人の伝統的な世界観には、儀式や祭などの非日常を「ハレ」とし、日常を「ケ」とする「ハレとケ」というものあるそうです。ハレというのは「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」などのハレで、要するに特別な日です。一方、「ケ」というのは漢字で「褻」と書き、「汚れる」「日常」などといった意味です。

しかし、この「ハレとケ」の区別って、ここ30年ぐらいの間に、失われていってしまいました。これは、大人でも子供でも同じことです。始まりはバブルの頃だったと思うのですが、まずはそこいらじゅうにファミレスができたことで、レストランにいくことの特別感が、すっかり消え去ってしまいました。

また、その頃からお正月でもどのお店も営業するようになって、お正月の特別感がなくなってしまいました。あるいはハッピーマンディと称して国民の休日を週末に繋げたことで、連休が当たり前になり、特別感がすっかり失われました。そんな感じで少しずつ、日常と非日常の区別が生活から消えて行ったのです。今の生活なんて、昭和40年ごろの基準で考えたら、毎日がハレのようなものですが、もうすっかりこれに慣れてしまって、なんと特別感も感じません。

また、ソーシャルメディアにはみんな「ハレ」の写真しか載せないので、世の中がハレで飽和してしまっています。いったい何がハレで何がケなのか、よくわからないと言っても大げさではないでしょう。多くの人が少しでもインスタ映えしようと、日常生活さえハレの日のように工夫して写真を撮り、懸命に加工してアップしています。

実はこの「ハレとケ」のメリハリをハッキリとつけることは、考えているよりもずっと大切なことなのです。幸福感を高める上でも、健康的な生活を送る目でも非常に重要なコンセプトですので、今日はこの「ハレとケ」を区別した生活の効用を詳しく説明したいと思いますi。

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