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集団で意思決定するのと、個人でするのとではどちらが有効なのか?

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日本企業の停滞が長い間続いています。僕はかつてはこれ、意思決定者たちが昭和の成功体験を引きずっているからだと思ってたんですね。でも、アップルに務めたり自分で起業したりするうちに、これは単に意思決定のやり方の問題なんじゃないかと思い始めたのです。そして、最近ネットを騒がせている「『印鑑なしで法人登記』法案提出を見送り」のニュースを見て、あ、これはやっぱり単純に意思決定のやり方の問題だな、と確信を深めています。

考えてみれば、何でもかんでも昭和の亡霊のせいにしたり、既得権益のせいにするのは多分なんかちょっと無理があります。何しろもう昭和から平成に変わって30年経ちますし、現在が時代の境目であることを理解していない人などはいないからです。また、既得権益は他の国にもあるのです。

では何が問題なのか?

僕は、日本の停滞の原因は「集団による意思決定」自体の問題ではないかと考えています。

アメリカとの企業というのは本当に驚くほどトップダウンで、トップが決めたことに本当にみんなが粛々と従います。一方日本は基本的にボトムアップで、なおかつ合議制です。よく「出る杭は打たれる」と言いますが、日本ではみんなの合意を得ながら物事を進めていかないと、本当にフルボッコされます。

日本にもっとたくさんのトップダウンの会社があったら、おそらくもう少し元気な社会が続いていたでしょう

今や世界を牛耳っているアップルもグーグルもツイッターもアマゾンも全てアメリカの会社なのが、何かを物語っているのではないかと思います。また、現在でも元気な日本企業といえばユニクロとかメルカリとかソフトバンクですが、どこもワンマン経営者でトップダウンの会社ばかりなのもなかなか象徴的です。

おそらく合議制という意思決定のやり方には何か根本的な問題があるのです。そして、そこから思い切って決別しない限り、日本企業の復活はあり得ないような気がしています。

集団による決定が抱える3つの問題

実は集団による意思決定は次の3つの問題を抱えています。

1)アイデアが出にくい
2)危険な方向にシフトしやすい
3)慎重な方向にシフトしやすい

3つともずいぶん昔から指摘されていて、割合よく知られた問題ですが、これがどのくらい深刻なのか、あまり深く考えたことがないような気がしますので、改めて紹介したいと思います。

1)アイデアが出にくい

昔から「三人寄れば文殊の知恵」なんて言いますから、人が大勢集まって話し合えば、より幅の広い、たくさんの意見が出るような気がします。ところが実際には全く逆のことが起こるのです。しかもこれ、今から61年も前の1958年にすでに検証実験が行われているのです。4人でブレイン・ストーミングを行なった場合と1人で考えた場合とでは、1人で考えた時の方が4人で考えた時の2倍ものアイデアが出ることが確認されています。

このほか、大勢でアイデアを出すと、割と最初の頃に出たアイデアが重んじられる傾向があることなどもわかっています。これは会社などでブレイン・ストーミングをする際に、参加者全員が肝に銘じておくべき重要なポイントではないかと思います。

なおこの実験が記載された学術論文はこちらです。興味のある方は購入してお読みください。

Does group participation when using brainstorming facilitate or inhibit creative thinking.

2)危険な方向にシフトしやすい

もう1つの特徴は、アイデアが危険な方向にシフトしやすいことです。これはネット上における意見の分断を見るとイメージが湧くのではないかと思うのですが、異なる意見が対立した場合、自分の主張を押し通そうと、意見が極端な方向に走っていく傾向にあるからです。この現象にはリスキーシフト(Risky Shift)という名前まで付けられています。

また、自分一人の意思決定ではないので、誰の責任だかよくわからなくなってしまうのも、意見が極端な方向に走りやすい1つの大きな要因でしょう。太平洋戦争への突入なども一体誰の意思決定によるものなのか判然としませんが、大勢で決めるというのは要するにそういうことなのです。なお、太平洋戦争開戦への足取りは「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」という本の中で詳しく解説されているのですが、読んでいくと、これでよく開戦の意思決定ができたもんだと、ある意味感心してしまいます。この本、今度の日本を占う上でも読むに値する貴重な一冊です。オススメします。

日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)

3)慎重な方向にシフトしやすい

さて、「集団で決めると意見が極端な方向に振れやすい」ということは、逆に慎重な方向にもシフトしやすいことを意味します。この現象にも名前がついていて、コーシャスシフト(cautious shift)と呼ばれています。"Coutious" というのは「気をつける」というような意味ですから、「慎重シフト」という感じでしょうか。たとえば、官僚組織がいつもいつも前例前例で無難な施策ばかりを続けなどが、この具体例として挙げられると思います。また、前述の印鑑温存問題もこの流れだと理解してもいいでしょう。

このほか、組体操が危険だとわかっても止めない小学校とか、深刻な財政赤字とか、はたまた夫婦別姓とかなんでもいいんですが、要するに慎重な方へと議論が流れてしまうのは、要するにこのコーシャスシフトによるものです。

現在日本人の平均年齢は47歳と言われていますから、中年のおっさんが集まって会議を開くとだいたいこっちのコーシャスシフトに流れていくわけです。個人個人では面白い考えを持っている方もたくさんいると思うのですが、グループになって話し合うとどうしてもグループ内での人間関係の調和が最優先課題になってしまうので、民泊もライドシェアも印鑑廃止も夫婦別姓も到底頂けないということになってしまうわけです。

集団による意思決定の恐ろしさ

さて、危険な側にせよ慎重な方にせよ、なんらかの意思決定がなされたとします。すると今度は相互監視が始まり、そこからの逸脱が許されなくなります。戦時中の日本や、いじめが横行するクラスとかを想像してもらえると、この相互監視がどのくらいエゲツないものになり得るかイメージできると思うんですが、本当にちょっと考えられないくらい強力です。もしも「ダイエット法」とか定めて相互監視させたら、日本人が一気に全員痩せるんじゃないかと思うくらいです。この相互監視については、かつてこのメルマガで記事にしたこともあります。

そして一度社会がこうした方向に振れてしまうと、別の方向に振るのは容易ではありません。日本ここ30年間まさにコーシャスシフトでやってきたわけですが、平成の終焉とともにうまく方向転換できるのか、非常に大切な局面なのではないかと思います。

意思決定はもうグループでしなくてもいいんじゃない?

こうして考えると日本みたいに意思決定者の顔が見えない社会って、案外危険な社会かも知れませんね。アメリカもまあ色々と揉めていますが、意思決定者の顔が見えるだけまだいくらかマシなのかな、と思ったりする今日この頃です。

日本を変えるような提案はちょっとないのですが、現在停滞している企業は、もっと意思決定者の顔が見えるようなシステムに変えていったほうがいいのかも知れません。もっとも、日本人全員がずっとこの集団意思決定の中で育ってきたので一筋縄では行かないとは思いますが、経営者が個人で意思決定してうまくやっている会社も数多くあるわけで、できないことではないような気がします。

さて、まとまりがありませんが今日はここまで。それでは良い週末をお過ごしください。

 なおこの記事、続編を書きましたのでこちらもどうぞ!

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