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自動運転車は誰の命を最優先すべきなのか?

今、ウーバーとテスラの自動運転車による死亡事故が大きな話題になっている。どちらの会社も割と焦って自動運転の実用化を進めていたような印象があるから、もしかすると起きるべきくして起きてしまった事故なのかもしれない。これらの事故によって自動運転に対する熱は一時的に冷え込むだろう。しかし、これによって実用化が止まってしまうことは、恐らくない。むしろこれで、ようやくずっとおざなりにされてきた安全に対する議論が活性化し、より安全で信頼性が高いシステムの開発へと繋がっていくだろう。

すでに人間が運転するよりも安全
ちょっとここで、現行の自動運転システムが一体どの程度安全なのか調べてみよう。アメリカ政府が1年前に発表した、テスラの初代バージョンの自動運転システムによる事故発生率の分析によると、人間のみの判断で運転した場合に比べて事故の発生率が40%も減少するという。そしてその後、同社の自動運転システムは何度もアップグレードがなされており、着実にその精度を上げつつある。アメリカでは走行距離8600万マイル(1億3,840万km)に1回の割合で死亡事故が起きているが、テスラ社のオートパイロット機能を搭載した車に限って言えば、今回の件を含め、3億2000万マイル(5億1,500万km)に1回しか起きていない。つまり、テスラ社のシステムを使った方が、死亡事故の確率がおよそ4分の1にまで減少するのだ。しかも、だ。今回は自動運転システムが衝突の5秒前に運転手にハンドルを握るように警告を発していたのにも関わらず、運転手がハンドルを握ることはなかったと言う。これを一概に、自動運転の誤動作だったと言うこともできないだろう。

こうしてみると、やはり人間が運転するよりも自動運転の方が遥かに安全になるのだ。だが、世間はしばらく納得しないから、今回の事故がキッカケとなって、安全確保の議論がもっと真剣になされるようになるだろう。そしてそれは、自動運転の安全性をさらに飛躍的に向上させるに違いない。

(*なお、事故率の数字については、テスラの公式サイトより引用したものです。桁が凄すぎるのでにわかには信じられないのですが、これほど注目されている中でウソやデタラメは掲載しないでしょう。)

誰の命の最優先すべきなのか?
さて、僕が今回の事故の報道を読んで思ったのことは、ちょっと別のところにある。それは、「自動運転は一体誰の生命を最優先で守るべきなのか?」ということだ。

例えば、クルマが歩行者を避けると、自らが壁に激突して搭乗者が死んでしまう状況にあるとする。そんな時、車は人をはねるべきなのだろうか? それとも、壁に激突して搭乗者もろとも自爆するべきなのだろうか?

あるいは、直進すると人を3人轢いてしまうが、よければ1人を轢いてしまうとする。こんな時にはどうするべきだろう? さらには直進すれば子供を轢いてしまい、よければお年寄りを轢いてしまう場合には? ホームレスと金持ちだったら? ほぼ全ての人がスマホを持っているのだから、クルマとデバイスが通信し合うようになれば、目の前で轢かれる寸前の人の属性を知ることは、技術的には可能になるだろう。顔認識による人物特定や、年齢や性別の判断だって可能になる。だから、こうした議論は荒唐無稽でもなんでもないのだ。

自分より他人の命を優先するクルマを購入するか?
もう少し推し進めて考えてみよう。仮にここに、歩行者の人数が搭乗者よりも多かったら、歩行者の生命を優先するクルマがあるとする。例えば歩行者が2名で搭乗者が自分だけだったら、歩行者の安全が優先的に守られ、自分は壁に激突して死ぬかもしれない。もしもこんなクルマがあったとして、消費者はこのクルマを買いたいだろうか? 建前はさておき、おそらくほとんどの搭乗者は自分を最優先して欲しいに違いない。クルマのメーカーは車が売れて欲しいから、きっと搭乗者の生命を最優先するクルマを開発するだろう。だが、それは正しいことなのだろうか?

誰かが決めなければならない
つまり、クルマに「誰の命を優先するのか?」という判断を委ねる以上、クルマにどんな基準を持たせ、誰をどう優先させるのか、そこの部分をあらかじめしっかりと決めておく必要があるのだ。そして、一定のコンセンサスができたら、それを各社で遵守するよう法的に強制すべきだろう。A社の車なら搭乗者優先だが、B社の車だと歩行者優先、という訳にもいかないし、そんなふうにメーカーに委ねたら、きっとどんな状況でも搭乗者が最優先されるシステムだけが売られるようになってしまうからだ。

では、どんなシステムが理想的なのだろうか?

僕の考えはこうだ。ここの部分はあえてランダムにする。誰も優先しないのだ。誰が死ぬのかを決めるのか、あくまで乱数、つまり運に任せる。これだけが、命の値の公平性を保てる方法だと思うからだ。

ただ、これが多くの人のコンセンサスを得られるやり方なのかはわからない。

いずれにせよ、そろそろこうした議論し尽くして、法を整備していく時期ではないだろうか?


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