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ラットレースから解脱して、気持ちよく暮らすことは可能なのだろうか?

世の中の大半の男たちは根本的に競争が大好きです。僕も例外ではありません。長いこと競争を続けてきました。そして、人生は競争の連続です。部活、受験、出世競争と果てしなく続いていきます。これについては以前にも何度か書いたことがありますが、特に男は、放っておくと果てしなく競争を続ける生き物です。

おそらくこれは、僕らのDNAに深く刻まれた本能なのです。しかし、競争というのは本質的に人々をハッピーにしない、残酷なゼロサムゲームです。誰かが1位になれば、誰かが必ず2位に甘んじざるを得ません。誰かが課長になれば、それ以外の人は平社員です。誰もがみんな一等賞というわけにはいかないのです。そして僕らは、勝って狂喜乱舞する勝者を見るのも、奈落の底に突き落とされる敗者を見るのも大好きです。だからこそスポーツの試合を夢中になって観るのでしょうね。ああした競技を観ると、自分のDNAのどこかに刻まれた闘争本能が刺激されてアドレナリンが駆け巡るのではないかと思います。

そんなわけで、僕らは今日も競争に明け暮れています。国同士が競い、会社同士が競い、個人同士が競っています。より良い大学を出て良い会社に就職し、同僚を蹴倒して出世すれば「勝ち組」のステータスを得て賞賛されます。けっこうな給料をもらい、美しい配偶者と結婚して家庭を築き、毎年のように海外旅行というわけです。飛行機はもちろんビジネスクラスで、泊まる先は一流ホテルです。

一方で、大学を出れず、非正規雇用であくせくと働き、出世の可能性のないポジションで止まってしまうと、「負け組」の烙印を押されてしまいます。配偶者にもなかなか恵まれませんし、海外に行くときは格安航空券でエコノミーで、泊まる先は3流ホテルです。

好き好んで負け組の入る人はあまりいませんから、みんなこのラットレースに参加して、必死の形相で競争に明け暮れます。そして負けた者はプライドを激しく傷つけられ、中には再び社会に出れなくなってしまうほどのメンタル・ダメージを負ってしまう者もいます。競争の本質がゼロサムゲームである以上、世界が一部のそのステータスを得て肩で風切って闊歩できる一方、大半の者はなんのステータスも手にできずに敗北感を味わうのはやむを得ないことなのかも知れません。

しかし、本当にそうなのでしょうか? 人間はそろそろ、ステータスに得ることに価値観を見いだすことから脱却すべきなのではないでしょうか? ブッダが悟りを開いて生きる苦しみから解脱したように、僕らもステータス争いの苦しみから解脱するべきなのです。では、そんな方法は果たして本当にありうるのでしょうか? 今日はそんなことを考えてみました。

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