結婚はそもそも無理ゲーではないのか?

現在、生涯未婚率が止まるところを知らずに上昇し続けているという。離婚率も高まっていく一方だ。かろうじて繋がっているカップルたちも、セックスレスになったり、家庭内のモラハラやDV、あるいは子供の引きこもりなどなどで苦しんでいる。アメリカでは既に2組に1組のカップルが離婚するようになって20年以上も経つが、日本もおそらく、それほど遠くない将来に、同じくらいの率で離婚するようになるのではないだろうか。

どうしてこんなに結婚は難しいものになってしまったのだろうか? それとも最初から難しいものだったのだろうか? 原因は一体なんだろうか? 養育費の高騰? 給与の低下? 女性の高学歴化? いろいろなことが言われており、どれも一理あるし、それなりにうなずける説ではある。しかし、ここまで結婚が難しく感じられる原因としては、どれも少し説得力に欠けるような気がするのだ。

人は何のために結婚するのか?
マズローの欲求5段階説というものがある。人間の動機づけは段階的になっており、より低い段階が満たされないと、より上の段階の欲求に達することはないと解いた説なのだ。例えば睡眠や食欲といった生理的な欲求が満たされなかれば、人との繋がりや創作意欲といったより高次な欲求が芽生えることはない。

そして、これはそのまま結婚にも当てはまる。

人間はかつて、生理的欲求を満たすためだけに結婚したに違いない。セックスをして子孫を残す。これがすべてだったろう。寿命が短かった原始時代では当然のことだったろうし、不思議に思う人もいなかったはずだ。

しかし、世の中が豊かになるにつれて、少しずつ結婚に期待するものが変わっていったに違いない。性欲が満たされたら、おそらく次は安全や食料の確保などが目的となっただろう。マズロー的に言えば、安全欲求が目的というわけである。似た者同士で結婚し、夫婦2人で畑を耕し、農作物を刈り入れ、暮らしを営んでいったのではないだろうか。

そしたら次に満たしたくなるのは第3段階の社会的欲求だ。一族で群れて暮らす。共同体の一員として生きる。そうすることで、所属欲といった社会的な欲求が満たされたに違いない。無論安全も食料も確保された。そんな時代がつい戦前くらいまで営々と続いたのだ。 

戦後になると、次は第4段階の承認の欲求に至った。他人から認められたい。そいういう感覚がごく一般的なものとなった。見栄えのいい人と結婚する。郊外に大きな家を建てる。カッコいい車を買う。子供を聡明に育てる。そして「なんて素敵な旦那様、奥様、お子様、そして仲の良い夫婦なんでしょう!」と言ってもらうのだ。しかし、配偶者も子供も世の中の運もなかなか自分の思う通りにはなってくれない。承認欲求というのは求めれば求めるほど手に入らなかったりするのだ。だからこそ、幸せなはずなのに欲求不満、なんてことが起こってくる。昭和40年代をピークに結婚率が少しずつ下がり始め、離婚率が上がり始めたのは偶然なんかではないだろう。

さて、仮に承認欲求が満たされたとしよう。すると最後に求めるのは5段階目の「自己実現」だ。この自己実現には、きっと様々な形があり得るだろう。ある者は職に就き、組織の中で活躍することで自己実現を果たすかもしれないし、またある者は精神的に自分を高めることに精を出すかもしれない。ある者は一芸に秀でることに精進するだろう。社会に貢献を目指す者もいるかもしれない。どんな形を目指すにせよ、結婚相手はお互いを高められる存在でなければならない。子育てや家事も負担を分かち合うのはもちろんのこと、どんな悩みでも打ち明けられるソウルメイトのような存在だ。そんなパートナーと結ばれ、お互いに自己実現を果たすことことが、現代における理想的な結婚の姿なのだ。

無理ゲー過ぎやしないか?
しかし、冷静に考えてこれは無理ゲーすぎやしないだろうか? お互いに申し分のないセックスのパートナーとなり、聡明な子供を育て、素敵な車と大きな家を買い、社会的に成功を収め、悩みは何でも話し合って解決し、お互いに高めあう存在となり、最後には暖かく看取られながらこの世を去る。果たしてそんなことが可能なのだろうか?

可能なカップルもごく少数はいるに違いない。しかし、多くのカップルは残念ながら該当しない。ハードルが高すぎるからだ。あまりの無理ゲーっぷりに、これなら結婚するよりも独身を謳歌し続けた方がいい、という人がたくさん出現したとしても少しも不思議ではない。だからそもそも結婚しない人や、離婚する人が増えつづけているのではないだろうか?

幸せな結婚生活が送ることは可能なのか?
では、そこそこ満ち足りた結婚生活を送ることはもう不可能なのだろうか?

いや、方法はある。

それは、思い切って期待値を下げ、リスクを分散することだ。最良の相談相手で、最高のセックスのパートナーで、親友であり、何でも助け合える。普通に考えてそんな相手に巡り会う確率は極めて低い。だから思い切って期待値を下げておく必要がある。相談に乗ってもらうのが当たり前、稼ぎが良くて当たり前、セックスの相性が合うのが当たり前だと思っているから不満が溜まるのだ。

だから、例えば、自分やパートナーが得意でないことはどんどんアウトソースをしてしまっても良いのではないだろうか? 相談事は思い切ってカウンセラーや友達に任せてしまう。お料理はお惣菜を買ってきて済ませる。よくセフレなんて言葉を聞くが、あれだってセックスをアウトソースと考えられなくもない。思い切ってお互いへの期待値を下げ、できることは他人に任せて配偶者への依存度を下げると、かえって結婚生活がうまくいくと言うことは十二分にあり得ると思うのだ。

また、悩み相談も子育ても老後の資産構築も全て自分たちでなんとかしようとするから破綻してしまうのだ。それはちょうど、全財産を「自分たち」という一社に全て投資しているようなものだから、ウッカリとなにか一つがコケてしまうと、結婚生活そのものが丸ごと吹き飛んでしまうのだ。

おそらく今後は、夫婦の形そのものがさらに変容するはずだ。何しろ僕たちが求めているのは、自己実現を果たすためのパートナーなのだから。もしかすると新しい結婚のカタチは、年配の方から見るととても夫婦とは呼べないものになっているかもしない。しかし、結婚の在り方は時代と共に変わり続けてきたのだ。そろそろ僕らも、自分たちの時代にふさわしい、新しい夫婦の形を考えて行く時期なのではないのだろうか?


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松井博

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