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人間はやがてAIのペットになる

現在、AIが恐ろしいスピードで発達している。

やがてAIが仕事を奪う、というのは散々言われていることだが、これはおそらく不可避だろう。自動運転もやってくるだろうし、AIによる健康診断などももう目前までやってきている。

Windows95からたった23年の現在ですらすでにグーグルなしでは目的地につけない状態なのだから、ここから更に50年か100年経ったら、人間のやることなんて何も残っていないと考える方が、どう考えても理にかなっているのだ。

いくつか例を挙げてみよう。

例えば、付き合う異性はAiがオススメするようになるだろう。

以前「ソーシャルメディアを「タダ」で使うコスト」という記事にも書いたが、ケンブリッジ・アナリティカという会社はFacebookの「いいね!」をほんの数十個解析するだけで、その人の人種、性別、支持政党などを正確に把握し、Brexitやアメリカ大統領選に重大は影響をもたらすことに成功したのだ。Facebook社自身はあなたの友達の輪や勤務先や卒業した学校はもちろん、支持政党や所得や趣味や性向など、おそらくあなた以上に把握しているだろうから、オススメの異性などもかなり的確に「オススメ」できるはずなのだ。しばらく前にFacebookが出会い系の機能をインプリするとして話題になったが、時間の問題でこうした機能が搭載されてくるだろう。

関連記事:ソーシャルメディアを「タダ」で使うコスト

もう一つ例を挙げてみよう。Apple Watchは心拍数を測ってくれるし、運動量を正確に把握してくれる。そしたら時間の問題で、運動量や食事の頻度などのオススメをしてくるはずなのだ。むしろ、しないと考える方がおかしいだろう。

あるいはアマゾンは現在でも消耗品の定期配送をやってくれるが、もう少しすると消費量を把握して勝手にオーダーしてくれるようになるだろう。ドッグフードやトイレットペーパーや洗剤が無くなりそうになると、次のオーダーが自動的に入るようになるのだ。

Google は最近、自分に代わって電話をかけてレストランの予約などをとってくれるシステムを紹介して話題をさらったが、これもあっという間に普及し、生活の一部になるだろう。電話をかける方はもちろん、受ける方もAIになっていくに違いない。

角度を変えてみて見ると
さて、ちょっとここで話題をかえて、僕の飼い犬、ココの暮らしを考えてみたい。僕ら夫婦は朝晩2回、ココを散歩に連れてく。何しろ体を動かすのが好きな犬なので、2回歩かせないとストレスを溜めるからだ。食事は1日に2回。この量が太らず痩せずでちょうど良いからだ。それから、アレルギーの薬を飲んでいる。ひどいアレルギー持ちなので、薬を飲んでいないと皮膚炎ができてしまうのだ。ココはアレルギーの薬を飲むのが好きではないが、餌と混ぜてしまえばよくわからないままに食べてしまう。

つまりココの生活は、すべて僕らによって決められている。散歩の量も、コースも、頻度も、食べる餌の量も、味も、飲む薬もだ。なぜなら僕ら人間の方が彼よりも知性が高く、的確な判断ができるからだ。これによって、彼は不幸になったのだろうか? そうは見受けられない。繋がれているわけではないから家の中を動き回れるし、僕らに甘えたければ膝の上に乗ってゴロゴロしてもいいし、一人になって庭を行き交うリスを眺めたければ、窓辺に座って時間を過ごせばいい。夜中に起きて何やら歩き回っている時もあるが、それもまた彼の自由だ。僕らもペットがいる生活に満足している。

AIのほうが賢くなったらどうなるか?
ある時点でAIの方が賢くなったら、AIと僕らの関係は、この飼い主と飼い犬と同じような関係になるだろう。AIの方が知性が高いのだから、僕らにとって何がふさわしいのかは、AIが決めるのが当然となるのだ。

そんなことは起きるはずがないかと思うかもしれないが、2018年現在、僕らは既に誰の電話番号も住所も道順も覚えていない。全てはGoogle頼りなのだ。Amazonやメリカリのオススメを見ては衝動的に物を買い、YoutubeやNetflixのオススメを見て時間を潰している。ここから更に、金銭管理も時間管理も、そして人生そのものをAIに委ねるようになるまでにはそれほど時間がかからないだろう。

「いや、自分で買いたいものは自分で決めてる!」と思う人もいるだろう。本当だろうか? アメリカの大統領選では多くの人がフェイクニュースやFacebookの広告に影響されたが、大統領選でさえそうなのだから、僕らの買い物がネットのオススメに影響されていないはずがないではないか。

また、こうして人間のマインドをハックする方法は、極めて巧緻なものとなりつつある。だから少しずつ気がつかないうちにAIに誘導されて生きることに慣れていくのだ。AIが反乱を起こすのではなく、僕らが自主的にコントロールを明け渡していくのだ。


そして人間はペットになる
やがて、買い物はAI間で行われるようになる。AIが電話をかけ、アポを取り、支払いをする。僕らはそこに自動運転カーに連れて行ってもらい、グルームしてもらったり食べさせてもらったりする。あるいはバーに連れて行ってもらって異性と出会うのだ。AIによって演出された出会いだ。

え?お金はどうやって稼ぐのかって? 人間はお金を稼ぐ必要がなくなるだろう。何しろペットなのだから。仕事はAIがやって所得を得て、僕らを飼っていくのだ。AIの目的は、環境を保全し、エネルギーを節約しながら、人間を幸せに飼っていくことになるのだろう。

そして僕ら人間は、銘々が趣味に興じて、面白おかしく生きるようになるのだ。

夢中になって犬のぬいぐるみと遊んでいたココのように。

オススメの図書
今回のこの記事、ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス : テクノロジーとサピエンスの未来」にヒントを得て書きました。以前から考えていたことに鮮明に色がついた感じです。オススメします!

なお、ハラリのパクリだと思われるのも癪なので、4、5年前にあちこちに書いた記事もまとめて紹介します。この辺りが今回やっと全て繋がった感じです。ユヴァル・ノア・ハラリのだいぶ前に思いついても、まとめられないもんですね。大きな能力差を感じます。また、ハラリ氏の宗教についての考察などは僕が考えていたよりもずっと深く、さすが!としか言いようがなかったです。

僕たちの娯楽社会
「 キモチ・ビジネス」が始まった
ロボットと人間、「人道的」なのはどっち?
人間は「安上がりなコンピュータ」? 

なお、ペットじゃなくて奴隷化するかもしれませんね。ハラリ氏はどちらかというとそういうデストピア路線です。これの十二分にあり得る未来だと思います。

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