「素手でトイレ掃除」は洗脳以外の何者でもありません

清涼飲料水の「ホッピー」を販売する会社のパンフレットに掲載されていた社員が素手で(?)トイレ掃除をしているらしい写真が掲載されていたことが話題になっている。なんでもこれ、「トイレを掃除して心を磨こう!」という趣旨のようだ。

日本にはなぜか昔から、素手でトイレ掃除をすることを賛美する人々が一定数いる。イエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんはこの運動を始めたことで有名だし、学校や会社をあげて生徒や従業員にやらせているところもある。また、「トイレの神様」という歌が流行ったこともあった。こちらは「トイレ掃除をすると美人になれる」というような内容だった。

トイレ掃除をすると心は磨かれるか?
では、トイレ掃除を素手でやると、本当に心が磨かれるのだろうか?

トイレ掃除は不衛生だし面倒臭い。これを厭わずに素手でやることで心が磨かれるならば、いまだに面倒臭いことをすべて手でやらざるを得ない発展途上国の人々の心は、日本人の僕らよりもずっと磨かれているはずである。

現実はどうだろうか? 

僕がオフィスを構えているフィリピンでは、まだまだ家に洗濯機や掃除機がない家が大半だ。だからどの家庭でも不衛生で面倒臭いことを延々と手でやらざるを得ない。では、彼らの心はピカピカに磨かれて綺麗だろうか? 残念ながらそんなことはまったくない。スリや詐欺といった軽犯罪はもちろん、強盗や殺人といった重犯罪も日本とは比較にならないほど多い。街はそこいら中にゴミが落ちており、タクシーの運転手は隙あらばお釣りをチョロまかそうとする。

そう。むしろ逆。トイレ掃除なんか素手でしなくても済む国の方が、心が綺麗な人がずっと多いのだ。

手を汚さない方が、心も社会も豊かになる
ここで、Le Spinozisteさんという方の核心をついたツィートを紹介したい。

そう。人間はこれまで面倒臭いや不衛生なことを、より楽に、より衛生的にやりたいと創意工夫を繰り返してきた。重い荷物を楽に遠くまで運びたい。手を汚さずに掃除を済ませたい。座っている間に洗濯を終わらせたい。こうした思いが自動車や飛行機、あるは掃除機や洗濯機を生み出してきた。

はっきり言って、トイレ掃除を素手でしている場合ではないのだ。むしろ、どうやればトイレ掃除をより楽に衛生的にやれるか、創意工夫すべきなのだ。あるいは、そもそも汚れない便器を開発するような方向で努力すべきだろう。

すると、やることがさらに一つ減ってさらに時間に余裕が生まれるから、この時間を活用して、より健康に、より楽しく、より充実した人生を過ごせるようになる。

僕らはこの繰り返しで余暇の時間を増大させ、人生や社会を充実させてきたのだ。余った時間で読書や勉強をする人もいるば、運動を楽しむ人もいる。創作活動をする人もいるだろうし、映画鑑賞や音楽を楽しむ人もいる。そしてもちろん、社会奉仕活動をする人もいる。

こうして社会がさらに豊かになっていくのだ。

「手でトイレ掃除しよう!」は洗脳だ
はっきりって、トイレ掃除をすることに特別な意味はなんかない。素手でやっても道具を使っても代わりはない。いや、道具を使った方がどう考えても衛生的だ。また、社長がやるよりも、専門の業者がやったほうが効率もいい。それに、どうして会社で最も給与が高い人がその貴重なリソースを費やしてトイレ掃除をするのだろうか? これは株主に対する一種の冒涜ではないのか? ジェフ・ベゾスやティム・クックはトイレ掃除をしてるのだろうか? 会社は株主のものなのだ。社長なら、会社の株価をあげることに全力を尽くしてほしい。

どれもこれも自明ではないか?

ではなんでこんなことを大の大人が信じ込んで真剣にやっているのか?
それは、この運動がある種の宗教のようなものだからだ。宗教というよりも、むしろ洗脳と言った方が的確かもしれない。

洗脳のよく知られたテクニックとして、恐怖を安心を交互に与えるというものがある。例えばある会社で、社長自らが「トイレ掃除を手でしなければ心が綺麗にならない」と説いており、さらに自らが率先してそれをやっているとしよう。そんな環境で果たして何人の人が「素手で清掃なんて不衛生だし意味がない」と言えるだろうか?

もちろん言えるはずがないのだ。そんなことをしたら、出世も昇給も諦めなければならない。それよりもいっそ、難しいことは考えずに素手でトイレ掃除をやった方が楽になれる。要するに、こうやって「考えること」を放棄させられているのだ。

部活動を思い出してほしい。どんな意味のないと思われる理不尽な練習だって、先輩に逆らうよりはやった方がまだマシだ。やがて時間は流れ、いつかは練習が終わる。そうやって観念してやりだすと、今度はいつもでも文句を言っている奴が許せなくなる。

さらに、だ。

人は誰だって、自分のやっていることや境遇に意味があると思いたい。だから、どんな無意味なことにでもそこに意味を見出してしまう。大損したって「いい勉強になった」と思うし、大怪我をしても「体の不自由な人の気持ちがわかった」などと考える。

そう。人間は意味を見出さずには生きていけない動物なのだ。だから最初は意味がないと思っていても、社長や先生といった権威者に意味付けされるとやがて嬉々としてやるようになる。先輩に無理強いされた理不尽な練習も、DV夫のひどい仕打ちも、ブラック企業の上司の無茶な命令も、どれも同じなのだ。

素手によるトイレ掃除は洗脳です。

意味なんてありません。


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松井博

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