見出し画像

モラルの境界線はどこにあるべきなのだろうか?

2007年に発売されたプレオという恐竜型のペットロボットがあります。このロボットは発売当初大きな注目を集めました。6つのプロセッサ、12個のモーター、そして38個のセンサーを搭載したこのロボットは人間が撫でたり呼びかけたりすると非常にナチュラルに反応するのです。まるで感情があるかのようだと、当時、ニュースなどでも取り上げられました。

しかし、発売後しばらくすると、なんとこのロボットを虐待するビデオがYoutubeに上げられ、しかも12万PVもついたのです。実によくできたロボットで、関節を逆に曲げたり、逆さにして持つと苦しがってバタバタとするのがかえって仇となったようです。こちら、その虐待のビデオです。最後には壊れて動かなくなってしまいます。

(相当気分を害するビデオですので、こういうものが苦手な方は見ないでください。)

そしてこのビデオが一度バイラルになると、今度はプレオを虐めるロボットが次々にアップされるようになったのです。

今でもこのプレオは販売されていますが、発売当初にインプリされていたリアルなリスポンスはかなり削ぎ落とさたようです。どうもあまりにリアルな反応をすると、人間の残虐性が刺激されてしまうようだからです。

しかし、本当のところ、一体プレオの何が人間の残虐性を刺激したのでしょうか? それとも僕らはそもそも最初から残虐な存在なのでしょうか?

古代は殺人が横行していた?
人間は残虐な生き物だとする証拠は、実はかなりたくさんあります。例えば遺跡から発掘される遺体を調べると、明らかに殺された痕跡のある遺体が少なくないのだそうです。古代にはどのくらいの割合で人が殺されていたのかは学者の間でも諸説ありますが、少なく見積もっても人口の2%程度が殺されていたようなのです。中には15%という説さえあります。2%というと少なく感じる人もいるかもしれませんが、50人に1人ですから、学校の各クラスで一人ずつ殺されているのと大差ありません。ちなみに現代日本の殺人発生率はわずか0.00003%ほどですが、これは人類は長い時間をかけて法治国家を作り上げ、殺人を抑制してきた成果なのです。

現代でも一定の条件が満たされると人間の残虐性はすぐさま発揮されます。イラク戦争の折のアブグレイブ刑務所での捕虜虐待などは記憶に新しいところですが、虐待しても咎められないとなればトコトンまでやるのが人間なのです。

また、ネット上でのバッシングなども本当に酷いものです。一度炎上が始まると、みんな寄ってたかった全く関係ない人をコテンパンにします。

そう。プレオの拷問する残虐性こそが人間の特徴なのかもしれないのです。

もしそうだとすると、僕らはなぜ日頃残虐にならずに済んでいるのでしょうか?

ここから先は

1,807字 / 2画像

¥ 100

もしこの記事を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!