選択肢が多いと、人はかえって生きにくい

僕たちが「自分の気持ち」を大切にして生きるようになって、もう30年近い歳月が流れた。「自分探し」「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」「あなたはあなたのままあでいい」。そんな「自分の気持ち」を何よりも大切にするキーワードが幾度となく繰り返されながら、90年代、2000年代、そして2010年代が慌ただしく過ぎ去ろうとしている。

今やネットを介して好みの人と、好きな時に、好きなだけ繋がることができる。NetflixやSpotifyやYoutubeに視聴しきれないほどのコンテンツがあるから、80年代のように取り立てて観たくもないテレビ番組を家族と一緒に観る必要もない。それどころかクラウドファンデイングでお金を集めて起業もできるし、好きになった人と誰とでも気兼ねなく結婚できる。やりたいことを見つけて「自分らしく」生きれば、それを誰しもが「あなたらしい生き方だ」と認めてくれる。

見たい番組が瞬時に見れ、買いたいものがいつでも選べ、食べたいものも飲みたいものも無数に用意されている。どんな職業に就いても、誰と結婚しようがしまいが、誰からも咎められることもない。昭和の頃から考えたら一種の極楽と言ってもいいだろう。こと選択肢に関しては、この30年間、“More is better” というのが一定のコンセンサスだった。今や世の中は信じられないほどの選択肢で溢れている。

「選択の手間」をどう扱うか?
しかし、選択肢が多いのは実はそんなにいい話ではないのかもしれない。

「ジャムの法則」という有名な実験がある。TED Talkでも取り上げられたので、聞いたことがある方も多いことだろう。24種類のジャムを並べたときと6種類のジャムを並べたときとでは、6種類のときの方が売り上げが10倍にまで上がるという実に興味深い実験なのだ。要するに選択肢が多すぎると、「選択の手間」がストレスを生み出して、売り上げを落としてしまうらしい。ちなみに僕は今日Amazonで財布を買ったのだが、選択肢は1000以上にも及び、どうということもない財布を一つ選ぶのに1時間ほども費やしてしまった。確かにこれならば売り場に並んだ5〜10種類くらいの中から選んだ方が、ずっとストレスがずっと少ないだろう。

買い物に付いて回る「自己責任」
また「たくさんの選択肢」にはこのほかに、「結果に対する自己責任」というとんでもないコストが付いて回る。

例えば、ジーンズを買うとしよう。これだけたくさんのメーカーから様々なジーンズが売られているのだから、その中には自分によく似合う、ピッタリの一着がきっとあるはずなのだ。だから吟味して買ってきたジーンズが似合わないとしたら、それは誰のせいでもない、選んだ「あなた自身の責任」なのだ。

これが学校指定の制服やジャージならこうはならない。一種類しかないのだから、仮に似合わなかったとしてもそれはジャージがダサいせいであって、あなたの責任ではない。テレビ番組がつまらなかったとしても、チャンネルが6種類ない時代ならば悪いのは番組のほうであって、1000の中からつまらない番組を選んでしまったあなたではない。ダサい服を着ていても、不味いレストランに入ってしまっても、常に言い訳が可能だった。

しかし、今や僕らが購入する全ての製品とサービスに対して、「選択に対する責任」が漏れなくついて回る。パソコン、スマホ、服、靴、カバン、映画、テレビ番組、旅行、食料品、レストラン.... 。仮にダサかったり不味かったりつまらなかったりしたら、それは選んだあなたの責任なのだ。

選択しなければならないのは買い物だけではない。朝起きた瞬間から夜寝るまで僕たちは選択に迫られ続ける。何時に起きるのか、何を着ていくのか、いつ誰と何を食べるのかなどなど。そしてそれらの選択が少しずつ僕らの人生を形作っていくのだ。

考えて見れば、人生は選択の連続そのものだ。大学の専攻は何にする? 就職先はどこ? 伴侶は誰にすればいい? 結婚は何歳? 生涯独身の方がいい? 子供は作る・作らない? 何人作ればいいの? いつ作ればいいの? 子供の進学先は? どの株に投資する? 家は買う? 賃貸のほうがお得? 買うならどこに買えばいい? 生命保険は何を選ぶのが最良? ガンになった時の最良の治療法は? 老人ホームはどこにすればいいの? お墓はどこにする? 神様は誰を信じる? 選挙は誰に投票する?

時代の境目だから、年長者の言うことなど当てになりはしない。すべての人が、自分だけを頼りにすべての決定を下し、全責任を背負って歩き続けなければならないのだ。

「好きに生きればいい」はかえって生きにくい
かつて大人たちは「大学に行け」「そんな長い髪をするな」「お見合いしろ」「さっさと結婚しろ」「早く孫の顔見せろ」などなど、大きなお世話なことをグダグダと言い続けていた。しかしそれはある種の救いでもあった。なにしろうまくいかなかったら、親のせいにして罵ればよかったのだから。また、グズグズと言われることで、かえって自分のやりたいことが鮮明になることもあったように思う。

それに比べると、今の親たちはもっとずっと物分かりがいい。「好きに生きればいいんだよ」と優しく言ってくれる。しかし、実はそれは「あなたの人生なんだから全責任は自分で取りなさいね」と言っているのに等しい。そして全責任を背負いながら「好きなこと」をやって生きていくのは、思っているよりもしんどいのだ。だからある者はひたすら悩み、ある者はネット上でストレス発散する。しかし、多分もっとうまい解決方法があるはずなのだ。

ではどうすればいいのか?
一つ目の解決方法は、選択肢を狭めることだ。
例えば、特にこだわりのないものについては買うお店やメーカーを固定してしまうことで、思い切って選択肢を制限してしまおう。食料品はA店、服はB社、IT機器だったらC社といった具合だ。それでもまだ少なからぬ選択肢があるが、世の中のすべての製品の中から探すのに比べれば格段に迷いが少ない。

さらに、自分が得意でないことは思い切って得意な人に託してしまう。金融商品の選択は友人のA君。パソコンの選択ならB君。旅行先ならばCさん。こんなふうにそれぞれ得意な人に任せてしまうと、悩みがグンと減る。どうせわかりもしないことを悩んで決めたところで、いい選択ができるはずがないのだ。

さらに、朝のルーチンを固定してしまっても良いだろう。あるいは会社に来ていく服も固定してしまう。朝食のメニューは毎朝一緒。スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグと同じアプローチだが、間違いなく決めることが減る。

もう一つの解決方法は、コミュニティを築いてお互いに少しずつ支え合うことだ。要するに相談相手もおらずに1人ですべての決定を背負い込むから辛いのだから、相談できる相手がいれば幾分気が軽くなるはずだ。同好の士でもいいだろうし、職場の仲間でもいいだろう。また、こうしたゆるい繋がりが複数作って依存先を分散しておくと、人間関係のリスクヘッジにもなる。

僕たちが今後再び、選択肢が少ない世界に戻ることはない。それだったら、選択肢が多い世界での上手な泳ぎ方を身につけた方がどう考えても生きやすくなるのだ。みなさんも選択肢が多い時代の身軽な生き方を、一緒に模索してみませんか?

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選択肢が多いと、人はかえって生きにくい

松井博

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松井博

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