見出し画像

劣等感との健全な付き合い方について

昨日、白饅頭さんが「マシュマロガチ回答8:「劣等感」という名の獣」という記事をNoteに書いていたのですが、これ、実にいい記事だと思ったのですね。

白饅頭さんのご指摘通り、劣等感を抱かずに生涯を過ごす人なんて、多分ほとんどいないと思うのです。僕らの大半は、どうということのない凡人だからです。それは例えば容姿のことかも知れませんし、はたまた学校の成績やスポーツの得手不得手、あるいは対人関係のことかも知れません。僕らは誰しもが皆、なんらかしらの劣等感を抱えて生きていくのです。

僕もご多分に洩れず劣等感には散々苛まされてきました。僕はスポーツができるわけでもなく、はたまた勉強ができる子でもありませんでした。おまけに極度の近視で幼稚園の頃から眼鏡をかけていました。どこにいっても変わり者扱いされていつも浮いていました。おまけに人間関係さえ良好ではなく、友達は少なく、クラスの人気者になることなど、間違ってもありませんでした。親にさえ「お前は大きくなったら一日中機械に向かってるような、人と全く接しない仕事に就いたらいい」と言われるくらい人間関係が不得手だったのです。

それだけでもしんどい子供時代でしたが、兄弟と比べて明らかに自分が劣っているのが子供心に切なかったものです。兄は常に学年で1、2を争うほど成績が良く、親の期待を一身に背負っていました。一方弟はスポーツ万能で、学校のマラソン大会で小学校1年生から中学3年まで9年連続優勝するほど足が速く、その上球技だろうが水泳だろうが何をやっても常に注目の的でした。特に水泳では常に全国大会の常連で、人気者で人望も厚く、周りに人が群がっていて、学級委員や生徒会長などにいつも選ばれていました。

そんなわけで、僕にとって少年時代というのは「劣等感を刷り込まれる期間」だったと言っても過言ではないくらいだったのです。どう考えても何者にもなれそうもない確信めいた絶望感は小学校3年生頃にはしっかりと根付いていました。

※この文章は単品で100円ですが、1000円でこのマガジンを購入すると、1ヶ月20本くらい読めるので1本50円です。

ここから先は

2,429字

¥ 100

もしこの記事を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!