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大学はそう遠くない将来オワコンになります

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大学という制度ははもうそろそろオワコンになるんじゃないだろうかという気がしています。その理由はいくつかあるのですが、その根底にあるのはやはり驚異的なITの発達です。クラスで何十人もの生徒が机を並べて座り、同じペースで同じ内容の授業を受けるというやり方はもはや時代遅れです。

具体的に何年後になるかはわかりませんが、まずは大学がオンライン化し、その後大学自体がオワコンになってしまうというのが僕の予想です。一体なぜ僕がそう思うのか具体的な根拠を説明しましょう。

集団形式の授業はもはや時代遅れ
冒頭で述べた通り、学校の難しさはレベルも性格も学ぶスピードも違う大勢の生徒が全員同じ教室に机を並べて、同じペースで、同じことを学ぶというところにあります。このため先生はどうしても最大公約数的なことしか教えられませんし、教えるスピードだって遅い方に合わせざるを得ません。また、深掘りして学びたい人がいても、それに付き合う余裕もありません。

また、学校の運営には大きな資本が必要です。教室という箱がどうしても必要なので仕方がありません。

生徒の側も同じ場所に同じ時間に集まざるを得ないため、時間を捻出に四苦八苦です。働きながら通うことなど、事実上不可能です。

しかし、ネットを活用すれば、このこれらの問題の大半は解決してしまいます。

つい先日、カリフォルニア州が教育者全員に児童虐待の講習を義務付けたため、僕も講習を受けなければならなかったのですが、これがすべてオンラインで完結していました。これが10年前だったら、確実にどこかの教室に行かされたでしょう。

このほかにも僕は2年に1回救命救急法の講習を受けることを義務付けられているのですが、こちらの方も講義の部分は全てオンラインで、対人形式が残っているのは包帯の巻き方や人工呼吸の練習などの実習だけです。

また、大学のオンライン・クラスで新しいプログラミング言語を学んだこともありますが、講義から課題提出から定期テストまで全てオンラインでした。もはや「学校」という箱にいく理由がなんなのかよくわからない状況になりつつあります。

Progateのようなオンライン・プログラミングスクールも盛んですし、僕自身も今年からBrighrture English Academy の卒業生を対象にオンラインスクールをやっていますが、お陰さまで好評を博しています。教室という箱に通うことの意義がゼロになるわけではありませんが、今後その必要性は、かなり限定的となっていくでしょう。

ネットで学べることがあまりに増えた
実際問題として、料理からギターから物理から数学に至るまで、大半のことがネットで学習可能になってきました。もちろんネットだけでは完結しないものもたくさんありますが、驚くほど多くのことがネットで学べてしまうのも否定できない事実です。

MITやハーバード大学といったトップクラスの大学が積極的にオンライン授業を提供し、これを何十万人という人々が受講しているのです。

今後VRが発達すれば、大学の意義はさらに薄れていくでしょう。

授業料が高すぎる
その上、大学は授業料が高すぎます。日本でもアメリカでもあまりに授業料が値上がりしたため、借金を背負わないと大学に行けない人や、そもそも大学進学を諦めざる得ない人が大量に発生しています。

東京都区部の大学授業料推移(1950年~2017年)(円)(2017年は直近月)(年間)より

上のグラフは大学の授業料の推移ですが、僕が大学を卒業した1989年と比べると、ザックリと倍以上に値上がりしています。では大学の授業の質が倍になったのかというと、別にそんな話は聞きません。要するに、ただ不当に値上がりしただけなのです。なぜ同じサービスを受けるのに不当な代金を払わなければならないのか、全く解せないことです。

なぜ僕らはそもそも何のために大学に行くのか?

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