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「きょういく」を改めて考えました…。

”きょういく”という言葉を考えさせられた。

「当たり前」のように”教育”という漢字に変換してイメージしてしまう…。
教え、育てる。
何を教え、何を育てるのか?
誰が教え、誰が育てるのか?
このように、どうも教える側と教えられる側、育てる側と育てられる側に分けられている感じがする。
完全な「〜る側」と未熟な「〜られる側」

”共育”

あるフォーラムに参加して、その中でくり返し使われた言葉。
なんかいいな〜と感じた。
共に育つ
教え教わる関係は、育て育てられる関係。
「共に」という視点が加えられることで、
一方的なものではなく、双方向的なものになる。

そんな時に、The Kさんの記事を見つけた!
明確に言語化されていた!
すごい!


”当たり前”を当たり前に使うのをやめよう。



今日も新しい気づきをありがとうございました。

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