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ちょうどよい「時間」

徒歩だと20分

ある時から徒歩で通勤するようになった。
それまでは、自転車での通勤だった。
通勤時間は、自転車だと10分。
徒歩だと20分。
職場に、または自宅に、早く到着したいのなら、選択肢は自転車。
でも、徒歩を選択している。

通勤時間は思考の時間

転勤する前は、車で20分の通勤時間だった。
少し遠いので、自転車や徒歩での通勤の選択肢はなかった。
だから、車で通勤するのは当然の選択だった。
しかし、毎日のルーティンである通勤時間の中で、あれやこれやと思考をめぐらせていた。
このことをふと思い出した。
そうだ!
私にとって、通勤時間は思考の時間だったのだ。

職場のエリアに入ることは、職業人としての自分になること

以前、このような記事を書いた。

職場への境界線を通り過ぎることは、自分にとっては職業人としての自分になるスイッチ
従って、通勤時間が短いということは、「職業人としての自分」にスイッチが切り替わるまでの時間も短いということになる。
何ものでもない自分でいられる時間の中で、あれこれと思考をめぐらせることは、自分にとって、どうやらとても大切な時間だったようだ。

スイッチが切り替わるまでの時間は、長くても短くてもしっくりこない。
「ちょうどよい時間」というものが存在していた。
それが「20分という時間」であった。

自転車通勤から徒歩通勤に変えて、「20分という時間」の存在を大切に思えるようになった。
晴れの日も、曇りの日も、風の日も、雨の日も、そして雪の日も。
「20分という時間」を楽しめるようになった。
直に、四季の変化にも目を向けられる”ゆとり”を持てるようになった。

そして、気がついた。
自分に取っての「歩くことの価値」に。

マンダラチャートの一部

マンダラチャートを作成した際、その一部にこのようなことを書いていた。
「散歩をする」と書いている。
それは、本を読むことや美術館に行くことやおしゃれを楽しむことなどと同じように、自分にとっては「自らのセンスを磨く」ための行動であった。

日々40分。

往復にすると、40分の時間。
何者でもない自分であれる時間。
1日20分×2=40分は授業の1時間よりも短い時間。
しかし、約200日間あると考えると相当な時間になる。
とても大切な時間だ。
これからも、この時間を大切にしていこうと思う。

今日も新しい気づきをありがとうございました。

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