「ペンギン・ハイウェイ」。少年と死の物語。

 十歳の頃、僕は自分がいつか死ぬということに気が付いた。その考えはしばらくのあいだ僕に憑りついて離れず、夜になると一人布団のなかでそのことについて考えた(子供というのは誰でもそうだ)。僕がこの悩みを打ち明けた相手は祖母だけで、彼女はお前の言う通りだと笑ったものだが、その祖母も数年前に死んでしまった。人は誰でもいつか死ぬ。

 「ペンギン・ハイウェイ」はそんな映画だ。主人公のアオヤマくんは十歳の男の子で、日々この世界の様々な事柄について学び、探求し、将来は偉大な大人になることを疑わない。そんな彼の前歯は生え変わりを迎えてぐらついていて、物語の中盤でぽろりと抜ける。アオヤマくんは自分が大人になるまでの日数を数え上げ、それを毎日記録しているが、自分の寿命を数えるようなその仕草から、本作が死にまつわる物語であることがよくわかる。

 人間の歯は一生に一度だけ生え変わる。一度だけ、というのがポイントで、もし大人の歯を失ってしまうと二度と生えてくることはない。子供であるアオヤマくんは最初で最後の「生え変わり」を通じて、人生の不可逆性に触れるのだ。彼が子供であることは、待合室での鈴木くんとの会話からも明らかで、この場面で鈴木くんは大人の歯を持つ人間として描かれる。乳歯を抜きにきたアオヤマくんと違って、鈴木くんは親知らずを抜きに来ている。彼の歯はおそらくほとんどが大人の歯なのだろう。そんな鈴木くんに対してアオヤマくんが吐く嘘は冷酷だ。お前の歯は全て抜かれてしまう、さもなければお前は死んでしぬと彼は告げる。鈴木くんの遺影がテンポよく映るコメディタッチの演出が、アオヤマくんの無邪気な残酷さを引き立てる。彼にとって歯というものは生え変わるもので、まだやり直しのきくものなのだが、鈴木くんにとっては違う。鈴木くんの歯は抜けたら二度と戻らないものなのだ。アオヤマくんにはそのことがまだわからない。知識としては知っていても、その意味を理解してはいない。アオヤマくんはだから、その(無知ゆえの)残酷さのしっぺ返しとして復讐に遭う。地図を破られ、小便をかけられて。けれど彼は悔しがったり怒ったりはせず、淡々と言うのだ。「次に活かそう」と。アオヤマくんにはいつだって「次」があり、そこに行き止まりは存在しない。そういう世界に、彼はまだ生きている。

 ペンギンたちが現れる前にアオヤマくんたちが行っていたのは、用水路の水源を辿る「プロジェクト・アマゾン」だった。歯が抜ける前のアオヤマくんにとって、世界の果てとは「始まり」であり「終わり」ではなかったのだ。だが物語の中盤、歯が抜けたことをきっかけに、彼の研究は大きく方向を変え始める。ほんの少しだけ大人になった彼が辿り着いた世界の果ては「海」という、川の始まりではなく終わりを意味する名で呼ばれている。彼の世界に、死という破れ目が侵入する。

 だから中盤以降、物語には濃密な死の匂いが付きまとい始める。お姉さんは体調を崩し、アオヤマくんは断食実験を始める。「何も食べなかったら人はどうなってしまうのか?」。もちろん、答えはわかりきっている。「お母さんが死んじゃう!」という唐突な妹の叫びを彼が理解できたのは、彼自身も同じことを考えていたからだ。人はいつか死ぬ。夏休みもいつか終わる。どれだけ楽しくても終わりはやってくる。だが、今ではない。少年期に初めて感じる死というものの近さと遠さ。そのひりついた肌触りが素晴らしい。世界の果ては外ではなく内にあるという父の教えもまた、どことなく死の匂いがする。つまるところ、死というのは己の内部に存在する終わりだからだ。

 結局のところ、お姉さんとは何者だったのか? アオヤマくんが辿り着いた結論は単純である。一つ、海とは世界に開いた穴であり「存在してはいけないもの」である。二つ、お姉さんとペンギンはその穴を塞ぐ役割を担っている。三つ、お姉さんとペンギンは、けれど海からもらったエネルギーで活動している。お姉さんは映画の初めから、生きた人間ではないものとして描かれている。彼女は料理ができるが食事はせず、おそらくはあの部屋以外の過去を持たない。(たとえば、お姉さんはアオヤマくんのチェスの師匠として描かれているが昔からやっていたわけではなく、あの部屋に置いてある入門書を読んで勉強しただけである)。「わたしの記憶、全部偽物なのかな」という彼女の問いに対し、アオヤマくんは「僕の中の思い出は本物です」とだけ答える。お姉さんもペンギンも、世界の果ての住人なのだ。世界の果ては、この世界の表に出てきてはいけない存在であり、普段は隠れて目に見えない。だが、人生にはそうした裂け目が、ふとしたきっかけで顔を出してしまう瞬間というものがある。乳歯が生え変わる瞬間というのも、間違いなくその一つなのだ。アオヤマくんは歯の生え変わりという隙間を通じてお姉さんと知り合うが──全然関係ないけど、彼が舌先で歯の隙間を繰り返し突くのって××××の隠喩ですよね──やがて生えてきた「大人の歯」によって隙間は修復され、ペンギンたちは消えてしまう。お姉さんも姿を消す。だが、完全に消えてしまったわけではない。世界の果ては、まっすぐに続く道の先で待っている。結局のところ、人間の歯は二度抜けるのだ。一度目は喜劇として、二度目は悲劇として。

 ペンギン・ハイウェイは死に至る道だ。生命がそうであるように。物語のなかで、アオヤマくんは本物の水源を見ることも、本物の海を見ることもなく終わる。彼は自身に内在する可死性に想いを馳せただけであり、本当の死に触れたわけではないからだ。彼はまだまだ多くのことを知らないが、これからどんどん知っていく。毎日何かを学び、探求し、そしてどんどん偉くなって立派な大人になっていく。立派な大人になったその先には……もちろん、世界の果てが待っている。だがそれはもはやジャバウォックのような混沌ではなく、ひとつの再会、果たされた約束の形をとるだろう。それは彼の信念であり、科学の子であるアオヤマくんが生み出した宗教でもある。それは根拠もなければ証拠もない、ただの仮説にすぎないけれど、それでも何かを信じるのも決して悪くはないことなのだ。

 

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